第6話 「月が綺麗ね。私、死んでもいいわ」
六月九日。良い子の寝る時間が刻一刻と迫る中、久遠と俺はいつも通りリビングで、入浴後で就寝前の平穏を享受していた。膝の間に座りくあっと八重歯を見せて欠伸をする久遠を眺めていると、久遠のスマホが一件のメッセージを受信した。猫アレルギーで猫を飼えないからと言って、着信音まで猫の鳴き声にするのは如何なものか。
「『九頭龍分家、次期頭領決定戦について』?」
フロアデスクの上のそれを読み上げると衝撃があった。顎を下から殴り上げる、アッパーカットにも似た一撃。拳ではなく、久遠の形の良い後頭部によって成されていた。形が崩れたらどうする気だ。揺らめく視界を画面に戻して、久遠の頭を撫でる。
久遠はスマホを手に取るなり再び人の膝の間に座り込み、食い入るように手元の画面をのぞき込んでいた。
「目、悪くなるからもっと離して見なさい」
「ん」
久遠はどこか不貞腐れたようにスマホを差し出した。別に見るなとはいっていないのだが。不承不承、差し出されたスマホを受け取る。画面に表示されているのはSNSの個人宛メッセージのフォームだった。最初の吹き出しは読み上げた通り、表題代わりの一文。その後、数回の通知も全てこの表題によるものらしい。
〈Admin『九頭龍分家(ナンバーズ)、次期頭領決定戦について』数秒前〉
〈Admin『【九頭龍】家代表2【九頭龍久遠】様』数秒前〉
〈Admin『以下のURLに24時間以内にアクセスがない場合、棄権とみなします』数秒前〉
四つ目の吹き出しにはURLが張り付けてあった。
久遠と目が合う。頷く。笑う。
「いや、今時の詐欺は進んでるね。とりあえず有識者に聞いてみよっか? 『Adminから詐欺DMとか草生える。どうすればいい? 教えてエロい人。安価で対処法決める』とか」
いった通りに文字を打ち込んでいるとスマホを奪われた。電源ボタンを連打されてロック画面の黒猫が明滅し、『緊急SOS』やら『スライドで電源オフ』やらがポップアップしている。
「いや、聞かないし。それ違うし。【らいきり】さん辺りに見られたら今夜寝れなくなりそうだし。そもそも詐欺じゃないでしょ?」
たしかに、ただの詐欺にしては出してくる情報の種類がおかしい。
久遠のアカウント名は【くーろん@あまあま党員】だが、二つ目の吹き出しには【九頭龍久遠】と、実名による名指しがされている。それに何より――いや、久遠の平穏を守るのであれば、久遠を不安がらせる要素は芳しくない。
「……どうだか。写真に写り込んだミリ以下の反射部分で誰といるかは特定されるし、『停電した』って一言で場所は特定される。気をつけてなくちゃ個人のプライバシーなんてあってないような時代だよ。鍵をかけろとまではいわないけど、現在位置くらいは切っておくべきだ。ましてや得体のしれないURLを踏むなんて愚の骨頂だね」
「……えい」
「ああっ」
制止も虚しく、久遠はURLに飛んだ。幾つかのサイトを自動で経由して、そのページは表示された。残念なことに、メッセージは詐欺ではなく、俺たちにとっては役目を成していない陰謀論の通りだったらしい。
「……やっぱり詐欺じゃないかね?」
「黙って。送信者【Admin】なんてありえない。これは現実よ」
――そう、そのアカウント名はありえない。本来であればSNSの運営側によって禁じられているはずの
何より、表示されたページがそれを物語っていた。
八つの頭を持つ龍がとぐろを巻いたマーク――〈※〉を円で囲ったようなそれは九頭龍家の家紋である――が表示された後、ルールの文面が現れた。つまり、敵は八つの分家であり運営である本家そのものということになる。
外見年齢十四歳の久遠の綺麗な指が画面をスクロールし終える。
黒い背景に青い文字列。目が滑り過ぎないように目を通した。
一番下には参加のスイッチが用意されていた。
棄権のスイッチは用意されていない。
凡その内容はこうだ。
開催日時は六月十日の零時から六月一七日の零時までの一週間。
場所は九頭龍本家があり、外れには俺と久遠が住む町――
参加者は九人、現頭領を担う九頭龍家からは二人、他の七つの家は各1名ずつ選出済み。十六夜は存在しない。
手段を問わない。
一番大きな意味を持っているのは『手段を問わない』という点。どれだけの人的被害があろうと、文化的損失があろうと、周りを黙らせる『権力』。そして国家の防衛システム足り得る戦力『血脈』。要はその全てを以て殺し合え、ということである。仮に話し合いを進めたとして、最終的な武力介入は避けられないだろう。
俺にとって重要なのは、久遠は参加者だが俺が参加者ではないという点。失われた血脈に参加権が与えられるはずもない。俺のスマホが震えないのはそういうことだ。そして『手段を問わない』ということは、俺が久遠の『手段』になることも可能だというわけだ。
が、そもそもの話、
「……これ、参加する意味、あると思う?」
「俺に参加権なんかないだろう? なら、決定権は久遠にある。好きにすればいい」
「なら、マツユキが一緒に戦ってくれるなら、参加する」
「おいおい、天下の九頭龍家のお嬢様がそんな弱気でどうするね?」
「だってわたし、いらないもの。頭領になる権利なんて」
そう、勝ち残った一人に与えられるのはメッセージの最初にあった通り『九頭龍分家次期頭領の座』である。久遠は金でも地位でも名誉でもなく、十六夜待雪を選んだのだ。優勝賞品に興味がないのなら、わざわざ死の危険を冒してまで参加する理由はない。
これで、この話は終わり。点けっぱなしだったテレビが最近流行りの〈Limonium〉というパステルカラーな飲食店の紹介を始めた。
「あ、これ美味しそう。買ってきて」
「オーケー。場所は? 北海道? ブラジル? なんだ、近所じゃないか。明日いってくるよ」
「やったーっ、楽しみー!」
数秒前のメッセージは過去のものになっていた。
そのとき、既に画面の暗転した久遠のスマホが鳴いた。何かしらの通知の際に鳴る可愛らしい『にゃおん』ではなく電話の着信音に設定している『にゃあああああん!』という威嚇じみた叫び。画面には『クソ姉』とあった。見合わせた顔は今にもゲロでも吐きそうな色だった。
渋々、久遠はあらためてスマホを手に取った、まではいいもののなかなか応答できずに猫は鳴き続ける。どうしよう? と問う大粒のルビーにも似た切れ長の瞳を見て、スマホを奪い取った。
「もしもし」
いつもより声のトーンを一つ下げ、代わりに電話に応じる。
機械越しに、清流のような透き通った声がした。
「今晩は、待雪君。月が綺麗ね。私、死んでもいいわ」
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