第3話


 ─AD 1100年

  ミグレイナ大陸・工業都市廃墟

  入り口─



 廃道ルート99に、あのEGPD隊員たちの姿はなかった。

 巨人型合成人間は無事に捕獲されたのか、逃亡したのか、アルドにはわからない。


 わかるのは、彼らが不審だと追うアンドロイドの手を引いて、工業都市廃墟に向かう自分たちを、咎めたり攻撃したりする人間はいなかったということだけだった。


 廃墟には、最近エアポートを襲撃した過激派の合成人間の残党が潜んでいる、と聞いたばかりだったが。


 それでも、二人には廃墟内を進む理由があったのだ。



 □□□



 ガンマ区画を離れ、廃道の通路上で一息をついたアルドは、いまだ曙光都市の群影を見つめるアンドロイドを振り返った。


 戻りたいのかと問えば、相手はしばらく沈黙した後で、否と首を振る。

 戻るのは怖い、と言って。


「坊ちゃん、って言ってたな。あいつがだれなのか、思い出したのか」

「ううん、わからない。名前も、どこに住んでいるかも覚えてないのに、あの人が坊ちゃんって呼ばれてたことだけが、わかったんだ。それ以外は、なにも」

「そうか……。アンジュって呼ばれてた、アンドロイドのことも、記憶にないか?」


 アルドの重ねた質問に、アンドロイドは片手で顔を覆い、瞑目した。

 なにかを思案していたのだろうが、すぐに首を振り、わからないと応えた。


「知っている、気もするけれど。思い出そうとすると、頭が痛くなるんだ。変だな、こんなこと、なかったのに」

「いいよ、辛いなら無理するな。ゆっくりやろう」


 顔を覆ったまま、辛そうに身を屈めるアンドロイドを気遣って、アルドはその背を撫でた。

 ごめんね、ごめんねと申し訳なさそう振り返る相手に、アルドは微笑んで首を振る。


 オレが好きでやってることなんだ、気にするなと笑って。


「オレには、みんなが言うアンドロイドっていうのを、ちゃんと理解できてないんだけどさ。オレがわかるのは、おまえに記憶がなくて、困ってるってことだけなんだ。オレはその、困ってることを助けたい。だからいままで通り、記憶を取り戻す手伝いをするってことで、いいよな?」


 覆っていた顔を上げ、アンドロイドが瞠目してアルドを見る。

 どうしてそこまでしてくれるのと問う声は震えて、その顔は辛そうに歪んでいた。


 あれだけ、むき出しの敵意をぶつけられた後なのだ。

 他人を信じられなくなるのも無理はない。銃口を向けられて、声が出なくなるほどに怯えていた。


 あの青年には、よほどの事情があったにせよ。

 無抵抗の相手に武器を向けるのは違うと、アルドは確信していた。


 だから、あの場で守られるべきは、目の前のアンドロイドで間違いなかった。


 どれだけ、不審であると突きつけられても。アルドは自分の判断を信じた。


 だから、これまで通りアンドロイドの力になるという思いが、揺らぐことはなかったのだ。


「言っただろ、困ってるときはお互いさまなんだよ。さっきの、仮入隊員と話して、おまえの困りごとは解決したか? オレは、いまも困ってるおまえを、このまま放っておくのは違うと思う。だから、記憶を取り戻すのを手伝う。なにか変か?」


 アンドロイドは首を振り、変じゃないよと言って、あははと笑った。


 そして、目元を指先でぬぐいながら、さっきは変だって言ってごめんねと続けた。

 少し、泣いていたのかもしれない。

 アンドロイドが泣くものなのか、アルドにはわからなかったけれど。


 人気のない廃道上で、風に舞い上げられた金属粉を含んだ埃が宙で踊り、重みで通路の端から遥か彼方へと落下していく。

 放棄されたこの廃道は、高度な技術で守られた都市内と異なり、吹きさらしだ。

 通路から足を踏み外せば、とうてい助からない。


 高いねと、通路の端から霞んで見える地上を見下ろしながら。

 アンドロイドは向かい合ったアルドに改めて、ありがとうと言った。


「記憶を取り戻して、もし、本当にぼくが悪いものだってわかったら、すぐにEGPDに通報してね。ぼく、アルドくんを危険な目に遭わせたくないよ」

「ばかだなあ。そんな心配するやつが、悪いものなわけないんだよ」

「そのポジティブ思考はどこから来るの? こっちが不安になっちゃうんだけど」

「うんうん、余裕が出てきたみたいだな。元気になったなら、記憶探しを再開するか。ここからスクールに行くのは、ちょっと難しいな。さて、どうするか」


 両腕を組み、アルドが難しい顔をして唸る。


 騒ぎが収まるまでここで待機してもいいが、またいつEGPDが哨戒に出てくるかはわからない。

 だとすればこの場に留まるのは危険に思えた。


 かといって先には工業都市廃墟しかなく、反共生派の合成人間の残党が居座っているともっぱらの噂だ。

 危険なのはどちらも同じだった。


 思案し唸っていたアルドは、ふと、ひとつの疑問を抱いた。


 最初にアンドロイドと出逢ったのも、ここだった。

 エルジオンから出てきた自分が、哨戒中だったEGPDに追われるアンドロイドと衝突したことから、すべては始まったのだ。


 哨戒中だった隊員たちは、いったい、どこで、アンドロイドを見つけたのか?


「……もしかして、おまえ、工業都市廃墟にいたのか? なんで」


 問いかけてから、アルドはしまったと額を押さえた。


 なぜそこにいたのか覚えているなら、記憶喪失などと困り果てはしない。

 わかりきったことを聞いてしまった己を恥じながらも、戸惑いながらわからないと眉根を寄せるアンドロイドに、ごめんそうだよなとフォローするしかなかった。


「なんか、ずっと、眠っていたんだと思う。廃墟の、すごく暗いところで、一人で目を覚ましたんだ。どうしてそこにいたのかは、ぜんぜん覚えてないけど」

「うん、そうだよな。わかるなら困ってないよな。……でも、待てよ。最初に目を覚ましたところなら、なにか手がかりがあるかもしれないな。行ってみるだけの価値はあるかも」


 自分の考えなさを反省しつつフォローを続けていたアルドは、言いながら妙案に行き着き、顎に手をあてた。


 手がかりか、と反芻して頭上を見上げたアンドロイドも、そういえば周りを見回す余裕もなかったかも、と記憶を辿っているようだった。


「もしかしたら、なんにもないかもしれないけど、行ってみる?」

「ああ、行こう。記憶を取り戻すのに、なにが手がかりになるかなんて、わからないからな。なにもなくたって、おまえが負い目を感じなくていいんだ。できることはぜんぶやってみよう」


 行っているうちに、エルジオンの騒ぎも収まるかもしれないしな、無駄足にはならないよと重ねて。


 アルドは申し訳なさそうにうつむくアンドロイドを促して、工業都市廃墟内を散策することにしたのだ。



 □□□



 奥へ、奥へと潜っていって。


 炉心上部エリアから、昇降機で普段は向かわないエリアQを選択し、そのフロアの物陰で、アンドロイドは硬質な足音を止めた。


 ここにいたんだと指差す場所を見て、アルドはなんとも言えない気持ちになった。


 入ってきたドアからは、ブラックアウトした大きな機械の影になり、見え辛い場所だ。ここで膝を抱えてうずくまっていた、と続ける声は、淡々としていた。


「まるで、なにかから隠れていたみたいだな。こんな奥までなんて、なかなか入ってこないのに」

「……なにかに、追われていたのかも。それで、隠れて」

「あ、なにか、思い出したか?」


 自分が座っていたという場所を見つめる銀色の瞳が、忙しなく瞬いていた。

 抑揚のない口調は、なくした記憶を辿っているかのようにぼんやりとしている。


 だがアルドの明るい声には、アンドロイドは弱々しく首を振った。


「悲しい、悲しいことしか、覚えてない。とっても悲しいことがあって、ぼくはきっと、ここに隠れていたんだ」


 金属の掌が、蝶ネクタイの揺れる自身の胸元でぎゅうと握り締められる。

 その表情は悲痛に歪んでいた。


 それを痛々しく見つめながら、アルドは言葉を選ぶ。少し前に、同じようなことがあった気がして。


 激情に飲まれて、泣きそうな顔で叫んでいた青年も、ずっと似たような表情をしていた。


 まるで、ふたりは


「……隠れてたって、なにからだ?」

「なんだろう、ぼくは、なにかが怖くて、ここまで必死で走った。走ってきて、疲れて、ここに座ったんだ。もう走れなくて、でも見つかりたくなくて、隠れるしかなかった。なにが、怖かったんだろう。なにから逃げていたのか、思い出そうとすると、……頭が、痛くなる。まるで、思い出しちゃいけない、そんな気がして」

「思い出しちゃ、いけない?」

「うん、でも、早く思い出さなきゃっていう、焦りもあるんだ。急がなきゃって、ずっと、頭の中で、急かす声がする」


 両手で頭を押さえて、アンドロイドが瞑目する。

 アルドはそれを、黙って見つめるしかなかった。


「じかんが、ない。時間がないんだ、急がないと、間に合わない。ずっと、そう言って」

「時間が、ない? それは、どういう」

「……わからない、思い出せない。アンジュ、坊ちゃん、ぼくは彼らを、知っている気がするのに。思い出させてくれないんだ。悲しい、悲しいことがあった。うずくまって、動けなくなるようなことが。……それが辛くて、ぼく、忘れちゃったのかな」


 両手を力なく下ろして肩を落とす様子は、落ち込んだ人間そのものだ。

 元気付けようと背を撫でようとして、首の裏に刻まれた数字のようなものが目に入り、アルドははっとした。


 A10-09。

 エルジオンで逢った、あの青年が叫んだ世話係のアンドロイドの番号も、そんな数字だった。


 彼が自分の手で廃棄したと言った、きっと大切な相手だったアンドロイドと、目の前の機体は、本当に同じ番号を有しているのだ。


 これは、いったい、なんの偶然なのだろうか。


 アンジュと呼ばれたアンドロイドは、もういない。

 だけど、ここにこうして存在する記憶喪失のアンドロイドは、同じ番号を背負っている。


 かつてのアンジュと、別人のような豊かな表情で佇みながら。


 アンジュと同じように、青年を、坊ちゃんと呼びながら。


「……あれ?」


 唐突に、その声は上がって、アルドは思考の海から引き上げられた。


 どうしたと顔を上げると、振り返ったアンドロイドが、いま懐かしい声がしたんだ、と驚愕の表情を浮かべて呟いた。


「カッコいいところを、見て」

「……は? え?」

「カッコいいところを見てって。その声は、そう言ってた」


 優しい声だ、と独り言のようにこぼして。


 アルドには見えないものに、視線を注ぎ続けていた。


「優しい声だった。信じられないくらい、穏やかで優しい声だよ。いつもは、怖いくらい、厳しかったのに。このとき、だけは」

「……その声が、だれのものか、思い出せたのか?」

「いや……、だめだ。これが大切な記憶だったのは、わかるのに。これのために、ぼくはここにいる、そうとまで思うのに。どうしてぼくは、こんな大切なことを、忘れちゃったんだろう」


 どうしてと苦しげに、辛そうに続けて顔を歪めるアンドロイドの崩れ落ちそうな身体を、アルドは咄嗟に支えた。

 抱きとめた身体は、とても軽かった。


 まるで、妹を抱き支えたときのように。


 だから、腕の中のアンドロイドが子どものような不安げな表情で見上げてくるのに、安心させるように笑いかけて。


 アルドは自分を責めるなよと、優しい声をかけたのだ。


「あんまり、思い詰めるなって。忘れることは、誰だってあるだろ。すごく悲しいことがあって辛かったって、自分で言ったじゃないか。きっと受け止めきれない、大変なことが起こったんだよ。それを、自分で責めなくていいと思う」

「アルドくん……」


 強張っていた表情が、ほんのわずかに和らぐのはわかったけれど。

 重く沈んだ感情が浮上しきっていないのは、伝わっていた。


 これだけ薄暗い場所に長時間佇んでいれば、無理もないだろうとアルドは唇を噛む。


 なんとか励ましたくて明るい話題を模索した結果、脳裏に浮かんだのはパッションピンクがまぶしい、ムード-メーカーのアンドロイド少女だった。


「あのさ、オレの仲間のアンドロイドには、自信に満ちあふれてるっていうか、すごい前向きなやつがいてさ。ぜんぜん、失敗しても落ち込んだりしないし、とにかくポジティブで、いつもすごい元気をもらうんだ。一度逢ってみてくれないか? いまごろなら、たぶんメンテナンスも終わってるだろうし」

「アルドくんの、仲間? でも、もしエルジオンにいるなら、また騒ぎに」

「いや、オレはそろそろ、EGPDも引き上げてるころだと思う。ちょうどいいや、そいつはいま、すごい機械に詳しい子と一緒にいるんだ。記憶喪失についても、相談に乗ってくれるかもしれない。行ってみないか? いやなら、無理強いはしないから」


 アルドの気遣いが、相手にも伝わったのだろう。

 アンドロイドは不安そうな表情を打ち消して、健気に両目を細め、微笑んで頷いた。


 そのひとに逢ってみたいなと笑うので、アルドは相手の腕を引いて一緒に立ち上がり、じゃあエルジオンに向かおう、と笑い返した。



 □□□



 駆けつけた先輩隊員たちに事情を説明すると、彼らの追っていた不審なアンドロイドとも特徴が合致したということで、市内での発砲は不問とされた。


 だが次からは正隊員が同伴の場でのみ発砲するようにと注意を受け、青年は哨戒の任務に戻る先輩たちを見送ることになった。


 市内警戒の任務を帯びてエルジオン内に残った彼は見回りを済ませたあとで、喫茶店のテラス席でコーヒーカップをあおり、深い嘆息を吐いた。


 一人になると考えるのは、いまでも、

 常に傍らにいたアンドロイドのことだった。




 アンジュは、父親が不在がちの家のことを任せるために入手した、当時は最先端の執事型アンドロイドだった。


 一人息子として生まれた自分の世話を、父は家事に慣れた彼に一任した。


 物心つくころからすでに、広い家の中にいたのはアンジュだけだった。


 銀色の顔の中で、本来であれば豊かな表情を浮かべるとマニュアルには書いてあるのに、アンジュはほとんど無表情で、いつも厳しい口調で自分を叱りつけた。


 いつも、いたずらばかりをして、

 彼を困らせていたから。



 家中の家具に消えない塗料で落書きをして、床に正座をさせられて叱られた。


 用意される食事に手をつけずにいたら、テーブルの上の料理を食べ終わるまで立たせてもらえなかった。


 合成人間の反乱が鎮圧された当初、立ち入り禁止区域だった工業都市廃墟に一人で忍び込み、野良猫を連れて帰って飼うと駄々をこねて、冷たい声で数時間はお説教をされた。


 スクールの授業をサボっていたせいでテストの点数が壊滅的なことを知られると、スクールに乗り込んできて常時監視をされる羽目になった。


 いつも呆れたような顔をしていたアンジュ。


 冷たい声でお説教ばかりだったアンジュ。


 いつからか、似合わないシルクハットを被るようになったアンジュ。


 蝶ネクタイが曲がっているところを見たことがないアンジュ。


 坊ちゃんと呼ぶ声が、いまも、鼓膜に残っている。


 家の中で、彼の声が聞こえると

 いつだって、安堵しかなかった。



 アンジュの名前は、勝手につけた。


 通信機越しの父親が彼を、ナンバーで呼んでいるのを聞いて、反発の意思で名付けた。


 アンジュは表情が変わらないから、喜んでくれたのかはよくわからないけれど。


 アンジュだけが、俺の唯一の、家族だった。



「マタ、こんなに散らかシテ。困った坊ちゃんデス。いくつになってモ目が離せナイ、どんな大人にナルか、心配極まりないデス」


 広いリビングで、テーブルに散らかした花束の残骸を機械的な反復動作でかき集め、ダストボックスに運んでいくアンジュが呆れたように呟く。


 脱ぎ散らかしたスクールの制服を踏みしめ、舌を出した。それを見たアンジュは珍しく銀色の瞳を見開いて、


 それが、なぜか嬉しかったのを覚えている。


「そうだよ、俺はいつまでも問題児なんだ。これからもずっとおまえに叱られてないと、道を踏み外すからな! また廃墟にだって行ってやる、そして猫を拾ってくる!」

「坊ちゃん、危険な場所への侵入はいけまセン。お守りするワタシにも、限界はありマス」

「じゃあ、毎日俺から目を離せないな。おまえは、ずっとこの家にいて、俺を見張ってないといけないからな!」

「……ご両親は、ワタシの後継機の選定ヲ始めていらっしゃいマス。10年以上、このお屋敷ニおいていただきマシタ。このボディの稼動可能年数は、スデに」

「いいんだよ、おまえは、まだ動くだろ。まだ、俺の世話を焼かないとだめなんだ。いいのか、道を踏み外すぞ、悪い連中ともつるんでやるぞ!」


 足元の制服をぐりぐりと踵で踏んで、片腕を振り上げて威嚇をしてやる。


 いつもは呆れたように突き放すだけだったアンジュが、その日は、シルクハットを被ったまま冷静に首を振った。


 行き過ぎた悪態だけは真面目に諭すのは、昔から変わっていなかった。


「坊ちゃん、犯罪に手を染めるのダケはいけまセン。どんないたずらもワタシが叱っておしまいですが、犯罪だけハ」

「じゃあ、ここにいろよ。後継機なんていらない、俺は、おまえが、アンジュだけしかそばに置かないんだ」


 アンジュの冷たい手の中から、人工花弁を集めた包み紙をひったくって、部屋中に撒き散らす。


 卒業祝いに後輩たちから渡された花束は上等なものだった。

 天井まで舞い上がった細かい花びらが、照明の光を受けてきらきらと、雨のように降ってくるのにも構わないで


 まっすぐに見つめた鉄仮面は、それでも、いつもの無表情だった。


「なあアンジュ、頼む。スクールの入学式も、進級式も発表会も、卒業式も、ぜんぶ見守ってくれてたのは、おまえだろ。父も、母も、俺に興味なんてないんだ。おまえだけが、俺を、ずっと」

「坊ちゃん」

「頼む、俺、立派な大人になるから。カッコいい、おまえが胸を張って見守れる、カッコいい大人になるから。EGPDに、正式に入隊するそのときまで、そのときまででいいから、俺を、見守っててくれよ。そうしたら、俺、ちゃんとおまえに、ご苦労さんって、暇をやるから。自由に、してやるからさ」


 降ってくる花弁の向こうで、アンジュは俺を見つめ返していた。


 いつもの、二人きりのリビングで。


「坊ちゃん、困った人ダ。どこまでも、ワタシを困らせる天才デス」


 そのときも、アンジュは呆れたように肩をすくめて。

 いつもの俺のわがままを受け入れてくれた、だけだったとしても。


 俺はそれが、嬉しくて


「アンジュ、なあ、頼む」

「ええ、ええ。わかりマシタ。了解いたしましたヨ。」


 花弁の向こうで、アンジュが、

 苦笑を浮かべたように見えたから





 EGPDに入隊する そのときまで

 必ず ワタシが


 ワタシが


 わた し が




 雨が、降っていた。そこでは。珍しく。


 廃道ルート99は管理が放棄されたエリアだ。吹きさらしで時たま強い風が吹いて、鉄粉を含んだ埃を舞い上げる。


 天候や気温を管理する機構の外にあるから、ここでは自然由来の雨も、降るのを、知っていた。


 立ち尽くす、隊服をまとった全身に冷たいしずくを受けながら、俺は、


 崩れかけた通路上に横たわる、アンジュの身体を見下ろしていた。


 廃墟群内で追い詰めていた合成人間が大型の迎撃機体を起動させ、反撃に遭って一人敗走中に、心配してついて来たというアンジュが、廃墟群入り口での足止めを申し出てくれた。


 救援を呼ぶためのトランシーバーも端末も、敗走途中に紛失してしまったから、人力で、市内に呼びに戻るしかなかった。


 すぐに戻ると、言ったのに


 人手を呼んで廃道に戻れば、こじ開けられた入り口の手前で、アンジュはもう、破壊されて動かなくなっていた。


 両脚が、外れて近くに転がっていた。

 両腕は捻じ曲げられていた。

 胴体はまともだった、真ん中に、大きな穴が開いているだけで。


 顔だけは、本当にきれいで、呼びかければ返事をしてくれる気がした。


 何度、呼んでも、その両目が開くことは、もうなかったけれど。


 入り口の物陰で、アンジュの脚に手を伸ばそうとしていた怪しいやつは威嚇射撃で追い払って、

 救援部隊が内部に突入していくのを見送って、

 アンジュの身体をかき集めた。


 お気に入りのシルクハットだけは、どこにも見つからなかったけれど。

 全身をきれいな形に直してから、たった一人でお別れをした。


 市内に連れて帰って、いろんな工場を回ったけれど、古い型だから換えのパーツもないし、もうAIが破損して手遅れだと修理を断られて、

 諦めて、リサイクル工場に連れて行った。


 アンジュのパーツが一つでも、別の機体に使ってもらえれば、

 生まれ変わったみたいで気休めになると思えたから。






 手の中で、冷え切ったコーヒーカップをさする。

 冷たくて硬い感触は、あの日に抱えて運んだアンジュの身体を思い出させる。


 いつまでも子ども扱いされていたから、家ではミルクとシロップで甘くなったコーヒーを飲んでいたけれど。

 もうとっくに苦いブラックも飲めるんだと、彼に伝えることはついにできなかった。


 もう、アンジュはいない。

 どこにもいない。

 この手で廃棄した。

 リサイクル工場の前で、最後の別れも済ませたんだ。


 だから、昼間に逢ったアイツは、アンジュの偽物に違いない。


 カップの取っ手を握り締め、ぎりぎりと噛み締めた奥歯が鳴る音を聞く。


 アイツはアンジュの姿だけを似せた、紛い物。

 もしかしたら、アンジュを破壊した合成人間が、彼の姿を利用して写し身を作ったのかもしれない。


 アンジュの脚に触れようとしていた怪しい影は、そのための連中の仲間だった可能性が高い。

 破壊した後も、まだアンジュの姿を利用しようとする非道極まる行為を、とうてい許すことはできない。


 許さない、許さない。

 次に見つけたら、今度こそ迷わず撃ってやる。


 凶暴で、危険な、合成人間どもを排除して、市民の平和を脅かさせないように。



 アンジュと約束した、立派な、大人に、なるために。




 


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