第2話


 ─AD 1100年

  ミグレイナ大陸・曙光都市エルジオン

  ガンマ区画─



 他区画と比較しても商業店舗の多いガンマ区内は、軽作業を任されたアンドロイドの姿を散見するぶん、やや趣の異なるアンドロイドが一体増えたところで、目くじらを立てるような市民はいなかった。


 中には、珍しい型がまだ動いているのね、と嬉しそうに手を振ってくる老人が数人いたが、年若いとほぼ見向きもしない。

 EGPDから身を隠すには絶好と言えた。


 いつもより人影の少ないメインストリートの、天然のそれと遜色のない街路樹の脇で向かい合って。

 アルドは件のアンドロイドから話を聞いていた。


 そして、自分のことはなにも覚えていないと告白され、それはそれは仰天した。


「お、覚えていないって、家も? 自分の名前も、記憶にないのか?」


 アルドの上擦った声に、アンドロイドは静かに頷いて肯定する。

 その表情は、ないはずの眉根を寄せ、銀色の瞳を伏せて、心底困惑しているのがありありと伝わってきた。


 リィカと違って、すごい表情豊かだよな、とアルドは感心すらしながら。

 旅の仲間には汎用ロボットたちもいるが、彼らもここまでではない。


「目を覚ましたら、とても暗いところにいて、怖くて出てきたんだ。どうしてそこにいたのかも、覚えてない。自分が誰で、どこでなにをしていた、どんなやつなのかも、わからない。でもそんな話をしても、あの人たちは余計に怪しむだけかと思って、説明もできなくて」

「ううん、そうだな。自分が怪しくないって証明できない記憶喪失なら、話しても疑いは晴れないもんな。困ったなあ」

「そう、だよね。ええと、アルドくん、だっけ。ぼく、やっぱり怪しいから、あの人たちを呼んできたほうが、いい、かも」


 所在なげに視線をさまよわせ、アンドロイドはそう、力なく呟いたが。

 なに言ってるんだよと、アルドは首を振った。


「困るって言ったのは、オレが困るって意味じゃないぞ。家も名前も覚えてないなら、おまえが困るだろうってことだ。だって、誰を頼っていいか、わからないってことだろ? でもEGPDはあの通りだ。これは自力で記憶を取り戻すしかなさそうで、大変だろう?」


 記憶喪失の仲間はたくさんいるけど、みんな大変そうだからな、簡単なことじゃないぞ、と続ける声は真剣で、アンドロイドはきょとんとした。


 そして、笑った。

 心なしか安心したように両目を細め、嬉しそうな表情を浮かべて。


「優しいんだね、アルドくん。困ってるのはぼくなのに、自分のことみたいに言うんだ」

「いや、困ってるときはお互いさまだからな。放ってはおけないだろ、普通のことだぞ」

「それ、普通なのかな」

「いろんなやつに言われるけど、あんまり普通じゃないらしいな。オレは普通だと思うんだけど。まあ普通なんて、十人いたら十通りの普通があるものだろ。別にオレの普通を押し付けるつもりはないよ、他人のも押し付けられたくないし」

「なにそれ、普通って言い過ぎて、よくわからなくなってるよ」

「オレが言いたいのは、なにか困ってるなら、できる範囲で手伝えたらいいなってだけだ。お節介だ、必要ないって言うなら、なにもしないし。でも力になってくれって言われたら、断る理由はない」


 単純だろ、と破顔するアルドに、アンドロイドはそれまでの不安げな顔つきを氷解させ、くすくすと声を上げて笑った。


 記憶がなくてもわかるよ、きみは変な人だよという声に、知ってるよ、自覚もあるんだよと笑って返す。


 通りを歩く人が何人か、笑い合う二人を見て首を傾げたが、誰も足を止めることはなかった。



 □□□



 はあ、と一つ大きく息を吐き、アルドが背伸びをする。


 じゃあ記憶探しを始めますかと周囲を見回し、この辺りに見覚えはないのか、と商業店舗などを指差してみせたが、アンドロイドは少し考えてから首を振った。


「空に浮いた、大きな街だな、としか」

「わかる。空に浮いた大きい街だよな。じゃあ、生活圏内はこの辺じゃないのかな。IDAスクール内にもたくさんアンドロイドがいたし、あっちのほうかな」


 少し移動するかと歩き出したアルドが、アンドロイドを促してエリア移動エレベーターへと向かう。


 空飛ぶカーゴとかエアチューブとか、記憶がなかったら驚くぞ、オレも最初はびっくりしたからなと気さくに話しかけるアルドに、アンドロイドは微笑を浮かべながら頷く。


 その顔に、自分は怪しいからEGPDを呼んで構わないと力なく呟いた、弱々しげな様子は欠片もない。


 だからやっぱり、悪いものじゃないのではないかと、アルドは自分の直感を確信しつつあったのだ。


「それにしても、本当になにもわからないのか? なにか、ひとつくらい覚えてることはないか? なんでもいい、どんな小さいことでもいいから」


 エレベーターの前まで進んで、アルドが背後のアンドロイドを振り返り、何気なく問いかける。


 アンドロイドは神妙な顔つきで顎に手を当て、ううんと唸った。


 そうして、悲しい、と小さく呟いた。


「……悲しい、とても悲しいことが、あったような気がする。息が止まるくらいの、悲しいことが」


 悲しいか、と反芻するように繰り返して、アルドは唇を噛んだ。


 思い出すのは、廃道でEGPD隊員が話していたこと。

 アンドロイドに感情はない、情緒ユニットが搭載されているなら合成人間だ、だからそいつはアンドロイドの振りをした合成人間なのだと。


 そうなのだ。

 このアンドロイドは、あんまりにも話しやすい。

 リィカと話しているというよりは、ヘレナやガリアードと接しているときの既視感に酷似している。


 本当に、反共生派の合成人間が、アンドロイドの振りをしているというのだろうか。


 記憶喪失だと偽って、市内に侵入するために?


 エレベーターパネルを操作するために伸ばした指が、止まる。


 オレは、間違ってるんだろうか。

 このアンドロイドを庇ったのは、正しいことだったのか?


 だけど、もし仮に、自分が騙されているとしても、IDAスクールには優れた頭脳を持つ独自の治安維持機関がある。

 IDEAの先鋭たちなら、このアンドロイドの正体を看破してくれるかもしれない。


 とにかく、スクールに移動してみようと、アルドは意を決してパネルに触れた。


 直後に、その声は響いた。


「──……アンジュ?」


 若い、男の声だった。


 振り返った先には、EGPDの隊服に身を包み、頑丈そうなヘルメットとゴーグルを外して精悍な顔立ちを強張らせ、アンドロイドを凝視する青年が一人、


 信じられないものを見るような目をして、立ち尽くしていた。


 アンジュと、聞き慣れない名前を口にしたのは、おそらく彼だろう。


 あんた、こいつと知り合いなのかと、アルドが相手に向き直る。

 アンドロイドもまた、驚愕に両目を見開き、唇を戦慄かせていた。


 だがアルドの声に我に返ったのか、短い金髪の青年はすぐに片手で顔を覆い、否と首を振った。

 違う、見間違いだった、と消え去りそうな声で呟いて。


 その顔は、真っ青だった。


 アンドロイドの反応からも、なにか手がかりになりそうなのは間違いなさそうだったというのに、青年は即座にその可能性を打ち消したのだ。


 なぜか、必死でアンドロイドから目を逸らそうとしながら。


「……とてもよく似ているけれど、違う。俺の世話係だったアンジュは、もっと冷静で毅然とした様子を崩さない、アンドロイドらしいアンドロイドだった。そんな表情豊かな別人は知らない」


 蝶ネクタイが曲がっているところなんて、見たことがない。ぜんぜん違う、と念押しをして、青年はその場を離れようとした。


 だが自身に言い聞かせようとしているような、明らかに態度のおかしいその様子を、アルドは放っておけなかった。

 少しでも記憶を取り戻すきっかけになるなら、無視はできないと判断したのもある。


 待ってくれと、呼び止めようと前に出るアルドに、青年は立ち止まりながらも肩越しに視線を寄越すだけで、離れようとする意思は頑ななようだった。


 だから、なんと言っていいのか躊躇い、声が出なかった。


 振り返ったその顔が


 泣き出しそうな子どものそれにしか、見えなかったから


「……こんなところに、いるわけがない。俺のアンジュは、先週壊れて、この手で廃棄した。もう、どこにもいるはずがないんだよ」


 絞り出すように紡がれた言葉に、


 アルドはそれ以上なにを言えばいいか、わからなくて、唇を噛んでうつむいた。


 呼び止めてごめんな、の一言も引き出せずに。

 今度こそ立ち去っていこうとする背中を、見送ろうして


「ぼ……、ぼっちゃん……?」


 その高い声に、青年が弾かれたように振り返る、までは。


 青年の背中を見つめていたアンドロイドが、うわごとのように呟くのを聞いて、アルドもまた、背後に佇む機体を振り仰いだ。

 なにか思い出したのかと口をついて出た言葉に、だけど鉄仮面は力なく首を振った。


「ご、ごめん、ぼくもよく、わからないんだけど。でも、あのひとは、坊ちゃんなんだ。それだけが、わかって」

「やめろ、黙れ!」


 怒鳴り声というより、それは叫び声だった。


 二人が同時に振り向いた先で、青年はアルドたちに向き直り、肩を震わせ怒りの形相でアンドロイドを睨みつけていた。


 まるで、親の仇を見るかのように。


「やめろ、俺を坊ちゃんと呼んでいいのは、執事型アンドロイドA10-09、俺が名付けたアンジュだけだ。おまえなんて知らない。なんのつもりか知らないが、アイツの名を騙るなら許さないぞ、偽物が!」

「に、偽物なんて呼ぶのはやめろよ。こいつは記憶喪失なんだ。なにか、思い出したみたいなんだよ、悪気があったんじゃなくて」

「悪気があろうとなかろうと、俺の前でアンジュを騙るやつは、誰であろうと許さない!」


 いまにも掴みかかってきそうな勢いの青年の前に出て、アンドロイドを庇うアルドに、相手はなおも声を荒げた。

 その声は上擦り、かすれている。まるで、一晩中泣き明かした翌日かのように。


 先週に別れたという世話係を悼んで、毎晩泣き伏しているかのように


 その声があんまりに痛々しくて、アルドは胸が締め付けられるかのようだった。

 刺激したくなんてない、たとえアンドロイドの記憶の手がかりがあろうと、彼とは離れたほうがいいとすぐにわかった。


 だが青年は、なおも己を坊ちゃんと呼ぶアンドロイドを見据えて眦を吊り上げ、腰に下げていた銃器に手を伸ばし、手馴れた様子でそれを構えた。


 一触即発の気配を否応なしに察し、よせとアルドが青年に向かって静止の手をかざす。


 EGPDから逃げてここまで来たというのに、これでは元の木阿弥だった。


「こう見えて、EGPDに正式入隊前の研修生でな。仮入隊員ではあるが、不審人物を取り締まる権限はある。廃棄処分済みの機体を装って、なにを企んでるか知らんが、言い訳なら本部で聞かせてもらうぞ。おとなしくしていろ、抵抗するなら、撃つ」

「落ち着いてくれ、あんたの気持ちもわかるが、本当にこいつはなにも企んでなんかないんだ。それを下ろしてくれ、頼むから」

「部外者は下がっていろ。おまえも一緒に連行されたいのか」

「話を聞いてくれよ、こいつはいま、記憶喪失なんだ。自分が何者かもわからない、悪事を考える余裕なんて、あるわけないだろ? そんなもの、向けないでやってくれ」


 青年に銃器を向けられた瞬間から、背後に庇ったアンドロイドががたがたと震え出し、なにも言えなくなっているのには、気づいていた。

 廃道でEGPDに囲まれたときと、同じように。


 明らかな敵意を向けられれば、普通はその重圧に耐え切れない、無理もない反応だろう。

 だからアルドは、怯えて動けなくなっているアンドロイドに逃げろ、と指示することもできなかった。


 激情に飲まれて我を失っている青年を、説得して銃器を下ろさせるしか、なかった。


 がしゃん、と相手が手の中で、構えた銃器を操作する無機質な音が届く。

 それが攻撃の合図であることを、アルドは短くはない旅の中で、理解していた。


 本気だ。本気で、撃つ気だ。


 背筋を冷や汗が滑り落ち、寒気がアルドの全身を包む。

 敵対の意思がないことを示したくて、アルドは己の武器に手を掛けてはいない。

 躊躇なく弾丸を放たれれば、防ぐ手段はなかった。

 避ければ、アンドロイドに当たる。


 そんなのは、絶対にだめだ。


「……よせ、あんたらEGPDは、無抵抗の民を攻撃するのか」

「俺たちEGPDは、市民の安全を脅かす不審人物を取り締まる。自分を記憶喪失なんて言う怪しいアンドロイドを、放逐できるはずがないだろう。そいつらの記憶はデータだ、データを失うことを記憶喪失とは言わない。怪しむなというほうが無理だ」

「なにがおかしいんだ、困っているのは、人間だろうとアンドロイドだろうと、同じだろ」

「同じじゃない、同じじゃないんだよ、人間とアンドロイドは違う、同じ時を生きられないんだ。……なんでわからないんだ、おまえ、おまえは」


 背後のアンドロイドに向けられていた銃口が、ゆっくりと自分に照準を合わせるのが、アルドには見えていた。


 撃たれると理解した瞬間に、足元へ向かって血の気が勢いよく引いていく。


 避けられない。直感だった。


 トリガーを引こうとする指の動きまで、見えていた。

 もうなにも、間に合わない。


 光か、音でなければ


「坊ちゃん、だめです!」


 甲高い、子どものような声が鼓膜を貫いた。叫び声だった。


 怯えて震えていた、背後から絞り出された声だと、いやでもわかった。


 冷静さを失った青年に、人を、撃たせないために


 一瞬だった。彼の躊躇は。

 呼ばれた声に指先が凍りつき、次の瞬間には、再び狙いをアンドロイドに定め直して、


 憤怒に駆られた、悲痛な怒号を迸らせていた。


「その姿で、俺を坊ちゃんと呼ぶな! アンジュはどこにもいないんだ! 俺が、俺がこの手で廃棄した!」


 その声は震えていて


 手元も震え出して、照準は、もう定まってなどいなかった。


 発射された銃弾はアンドロイドの足元の道路を撃ち抜き、誰かを傷つけることはなかったが。


 エルジオン全体に張り巡らされた、建造物への銃撃を察知した防犯センサーが起動し、通り中に警戒音声が鳴り響いた。


 市民に避難を呼びかける音声案内が、大音量で繰り返されるなか。

 二撃目に応じるため、大剣の柄を握り締めながらアンドロイドの無傷を確認したアルドは、正面に向き直って、


 引き金を引いた自身の手の中の銃器を見下ろし、青い顔で震える青年を見た。


 その顔色が、恐れゆえか、後悔ゆえか、アルドには判別などつかない。


 それでも、彼がこれ以上自分たちを追撃する様子がないのは明白で、警報を聞きつけたほかのEGPD隊員が駆けつけるのは時間の問題だった。


 一刻も早くこの場を離れるしかないことは、わかりきっていた。


 彼に確認したいことは山ほどあって、


 だけど、それが叶わないことも。


 わかりきっていたから、アルドは再度アンドロイドの手を引き、走り出すしかなかったのだ。



 

 


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