ふたつの約束

ミオヤ

第1話


 ─AD 1100年 ミグレイナ大陸・工業都市廃墟 エリアQ─



 長い夢をみていたような気だるさが、全身を包んでいた。


 全身を折り畳むようにしてうずくまっていた場所から、ゆっくりと立ち上がる。


 周囲に灯りはない。ひどく薄暗くて、閉鎖的で、そしてとても寒い気がする。

 冷たい床に腰を下ろしていたせいで、尻がとても冷えている。掌でゆるくさすりながら、あてもなく歩き出した。


 かつん、かつん、と硬質な足音が周囲の硬い壁に反響して、遠くまで通っていくのが聞こえる。

 もっと足音を潜めたいと思って、どれだけ注意深く踵を下ろしても、その硬質な音は消えなかった。


 とても困った。見つかったら、大変なのに。


 ──でも、だれに?


 ずきずきと、頭の奥が痛む。なにか、大切なことがあった気がするのに、思い出せない。


 ぼくは、いったい、だれだろう?



 □□□



 その日、工業都市廃墟入り口付近で特別哨戒中だったEPGDの隊員たちは、建物奥から響く足音を聞き、それまで交わしていた他愛ない談笑を切り上げ、すっと背筋を伸ばした。


 ここ数日、エルジオンの街は緊張している。

 工業都市廃墟群から浮遊してくる怪しいドローンが、何もせずに戻っていくという、不可解な動きを繰り返しているがゆえである。


 偵察、というほど長く滞在もせず、ものの数分で取って返していく様子は、まるで挑発行為のようでしかなく。


 そのドローンが、不吉に真っ黒く塗装されていることも、警戒の色を強くする要因であった。


 少し前に、エアポートを襲った合成人間の集団も、全身を黒くペイントしていたことと関連しているのは明らかで。

 その多くが捕獲されたとはいえ、残党の存在を匂わせる行為に、警戒しない理由はなかった。


 それゆえの特別哨戒にあたっていた隊員たちは、素早く携帯していた銃器を構え、張り詰める空気の中で、通路の奥から規則的に響いてくる足音の主を待ったが


 出てきたのがたった一体のアンドロイドで、全員が安堵の息を吐いたのだった。


「……なんだ、おまえ。こんな場所でなにをしてる。おつかいか? お買い物は市内じゃなきゃできないだろう」


 先頭に立っていた年配隊員が銃器を下ろし、とぼとぼと─まさにそうとしか形容できない落ち込んだ様子で─歩いてきたアンドロイドに話しかけた。


 そして歩みを止め、顔を上げた機体が、独特の風貌をしていることに気づき、さらに苦笑した。


「よく見たらおまえ、家庭用執事型アンドロイドじゃないか。いまのソーシャルヘルパー型の前身になったタイプの。まだ動いてるやつがいたのか」

「あ、自分も聞いたことあります。主に家事と、子どものお守り用に開発された、表情が出る型ですよね。唇と瞼がついてて、笑ったりできるって」


 先達に倣い、銃器を下ろした若い隊員が前に出る。

 直立したまま動かないアンドロイドを、物珍しそうにへえ、とゴーグル越しに眺めまわした。


 現在のベーシックモデルである汎用アンドロイドは、白いシャツを模した胸元に飾りはないが、この機体には小さな蝶ネクタイがあしらわれていて、燕尾服を思わせるデザインによく似合っていた。少し曲がっていたが。


 なんだ迷子かと隊員たちが警戒を解き、徐々に銃器を下ろしていくのを黙って見つめていた銀色の目が、忙しなく瞬く。

 本当に、瞼ひとつ動くだけで、人間に近づいたように見えるんだなと年配隊員は感心する。

 子守りにあたるならば、幼児に警戒されない機能は不可欠だったのだろう。


 年配隊員がアンドロイドの背後に回り、型番号とシリアルナンバーを読み上げる。背の高い隊員が懐から取り出した端末を操作し、登録情報を検索に掛けた。


 今日は空振りだな、とほかの隊員たちがぞろぞろと入り口から出て行くのに、解散まで隊列を乱すなよと年配隊員が声を上げたが、誰も聞いてはいなかった。


「まあまあ。この迷子くんを家まで送り届ければ、今日の任務は終了だろうし、気も緩みますよ。遅番の連中と交代して、僕らも昼飯にでも行きましょ」

「俺は、解散後も仮入隊員たちを指導する仕事があるんでな。飯ならパスだ」

「はああ、淋しいですね。先輩の代わりに、迷子くん連れて行っちゃおうかな」

「そいつは無理だろ、この型番、そうとう古株だ。メンテナンス繰り返して、大事に使ってたんだろうよ。家庭用アンドロイドの発売当初に入手したなら、かなりの資産家だろうしな。いまごろ、捜索願が出てるさ」

「ああ、たまに自分の居場所を把握できないポンコツくん、いますもんね。アンドロイドの方向音痴なんて、ギャグかと思ってたけど。位置情報探知機の感度が悪くなったりするのかな」

「あの、ちょっと」


 若手と他愛ない会話を交わしていた年配隊員に、登録情報を検索していた長身の隊員が、片手を上げて進言を申し出る。

 その声は、緊張に上擦っていた。


 なにごとかを察し、年配隊員が頷くだけで先を促す。二人の間に流れる張り詰めた空気に飲まれ、若手も、その傍らでごくりと唾を呑み込んだ。


「……あくまで、データ上ですが。この番号の機体は、先週、登録された持ち主の手によって、廃棄処分されたことになっています。すでにリサイクル工場に運ばれ、解体済み、と」


 一瞬だけ息を呑んでから、年配隊員は入力間違いじゃないのかと冷静に指摘したが。

 長身の隊員は、もう何度も確認して検索し直していますが、同じです


 もう、存在しないアンドロイドなんです、と震えながら続けた。


 それまで馴れ馴れしく滑らかな頭部を撫でて過剰なスキンシップを取っていた若手が、ひいい、と間抜けな声を上げて距離を取る。アンドロイドの幽霊だあ、と喚く声が周囲の壁に反響し、大声を聞きつけた隊員の何人かが、どうしたとばたばた駆け寄ってくる。


 有事を察した隊員たちは、一度は下ろした銃器を、しっかりと構えていた。


 それを見たアンドロイドは銀色の瞳を見開き、周囲の三人を突き飛ばすようにして、廃墟の入り口に向かって走り出した。


 逃げる。


 年配隊員は反射的に、逃がすな、と号令を発した。

 武器を構えた男たちが、次々とアンドロイドへ銃口を突きつける。それらを見ても、疾走する機体は立ち止まるどころか、さらに加速するだけだった。


 だが隊員たちは、一度構えた武器のトリガーを、どうしても引くことができなかった。


 自分たちの目の前を駆け抜けようとする、人間の形をした、その機体が


 泣きそうな顔をして、迫ってきたから


 その表情が、まるで追い詰められた子どものように悲痛で、引き金に掛けた指は、どうしても動かなかったのだ。


 そうして、隊員の全てが眼前を疾走する機体をやり過ごし、背中を見送ることとなった。

 まさか全員がやり過ごすなどと思いもせず、年配隊員は驚いて、なにをしていると声を荒げた。


「廃棄されたナンバーを悪用して、市内に潜り込ませる計画の、合成人間の兵器である可能性もある! やつは危険だ!」


 響き渡る怒号に、はっと我に返って。

 隊員たちは慌てて後を追った。

 市内への侵入を許すわけにはいかない、市民の安全を守るのが、自分たちの役割ゆえに。


 廃道内で必ず確保するぞ、という指示を受け、哨戒隊員たちは隊列を組み直し、暗い廃墟内から飛び出した。


 廃道ルート99は、その日もひどく乾燥し、金属粉を含んだ埃が舞い上がっていた。



 □□□



 最近、とくにリィカの方向音痴がひどいので。

 セバスちゃんにメンテナンスをお願いしたほうがいいわというエイミの提案で、アルドはリィカと二人で、エルジオンのシータ区画を訪ねていた。


 天才少女いわく、少し時間がかかりそうだから、見てても退屈だろうし暇つぶしてきなさいよとのことで。

 アルドは唐突に、自由時間を手に入れてしまったのだった。


 暇つぶし、とは言われても。

 ほかのプレートまで足を伸ばす時間はさすがにないし、多くの仲間たちが学生生活を送るIDAスクールを尋ねるには往復だけで時間がかかるし、エルジオン内で一人で入りたい店も、とくになかった。


 それよりも、今日は随分と、エルジオンの人たちがぎこちない。市内に人影は少なく、大通りも閑散としていた。

 不穏に思い話を聞けば、エアポートで合成人間の襲撃があったばかりで、その残党の追撃を警戒している最中だという。


 それは放っておけないなと、札付きのお人好しであるアルドは、なにか力になれないだろうかと考えた。

 残党は工業都市廃墟にいて、いまの時間であればEGPDが哨戒に向かっているころだ、という話も聞いた。


 じゃあそれを手伝おう、とアルドは手を叩いた。故郷バルオキーの警備隊に所属している彼は、集落を危険に晒す脅威に、人一倍敏感だった。


 ガンマ区の裏通りから廃道ルート99に出て、重く垂れ込む暗い空の下、崩れかけた埃っぽい通路を駆ける。

 廃墟群の大きな影が見えてきたころ、たくさんの足音が迫るのに気づき、


 黒い隊服に身を包んだ人物たちが大勢、銃器を構えてなにかを追っているのを、アルドは見た。


 とまれ、うつぞ、という叫び声とともに。


 追われているなにかは、人影のようで、すこし違う。

 なんだろう、と目を凝らした直後に、足元でぎゃんと鈍い声がして、アルドは驚いて足を止めた。


 茶色の毛並みしたオス猫が、忌々しげに自分を睨み上げている。不注意でぶつかるところだったのか、と反省し、膝をついてごめんなと頭を下げた。

 ちょうど、そのときだった。


 しゃがみ込んだ背中に、衝撃。


 激しくぶち当たってきた物体ともども、舗装の欠けた道路上に倒れ伏して。

 アルドは顔面を打たないように両手で上体を支えつつ、目を白黒させた。


 なにが起こったんだ、と身を起こし、周囲を見回すより先に。

 だいじょうぶ、と背後からかかった高い声に、振り返る。


 銀色の、鉄仮面。

 表情が伺いにくいはずのその顔の中で、心配そうにこちらを見つめてくる銀色の両目は、うっすらと細められて。


 同じように起き上がったばかりの体勢で、そのアンドロイドは、

 アルドを気遣って、己の手を差し伸べていた。


「ごめんね、怪我してない?」


 とても、流暢に喋るアンドロイドだというのが、相手へ最初に抱いた印象だった。


 ああ大丈夫だ、あんたは、と口を開こうとして、それは叶わなかった。


 大勢の足音が迫り、すぐ傍らで立ち止まる。じゃき、と硬質なものを構える音がして、アルドは弾かれたように顔を上げた。


 自分たちを取り囲むようにして、鈍色の空を背にした数人のEGPD隊員たちがぞろりと並び、銃器を突きつけてきたのだ。


「怪しい格好だな、おまえもこいつの仲間か。市内には入れない。ここで確保する」


 なにを言っているのか、アルド本人には、まったくわからないまま。


 冷たいゴーグルの向こうで、彼らがどんな顔をしているのかは、伺えない。

 それでも、まとう空気は研ぎ澄まされ、彼らが本気であることはいやでもわかった。


 脅しじゃない、本当に捕まる。

 でも、どうして。


 突き出された銃口から視線を反らすこともできず、アルドはごくりと唾を呑んだ。

 応援に来たつもりが、どうなっているんだ。そもそも彼らは、さっきまでなにを追っていたんだろう。

 あんなに、厳しい口調で、とまれと叫んで。


 もしかして、この、

 目の前の、アンドロイド、か?


 ゆっくりと視線を下ろし、腰を上げられないまま向かい合っていた、鉄仮面の相手を視界に入れて


 アルドは、目を見張った。


 向けられた銃口を見つめながら、そのアンドロイドは、がたがたと震えていた。


 悪事が知られ、捕まってしまうと観念して怯えている、とかじゃない。

 鉄仮面に表情はないはずなのに、その顔には明らかに恐怖の色が浮かび、まるで子どものように泣き出しそうな顔をしている。


 どういうことだ、と脳内が疑問でいっぱいになるアルドの目は、恐れの表情に釘付けになって。

 その口元が、かすかに動いていることに、遅れて気づいた。


 ちがう、ちがう

 ぼくは、そんなのじゃない


 消え去りそうな、か細い声は、ずっとそう繰り返していた。


 ただそれは、あんまりに小さ過ぎて。

 敵とみなしたものを前に気が立っている隊員たちには、届いてはいないのだ。


 この状況には、誤解がある。


 そうとわかれば、アルドの脳内処理は早い。

 困っているひとを前にして、彼は十全の力を振るうことを、躊躇わない。

 戸惑いを捨て、眦を吊り上げて銃口の前に両手をかざし、待ってくれと声を上げた。


「あんたたちは、どうやら誤解をしてるらしい。その物騒なものを下ろしてくれないか。こいつも、怯えて可哀想だ。六人で一人を追い回すなんて、ひどいことだと思わないのか」

「強力な力を持つ合成人間を前に、数で圧倒できなければ人間に勝ち目はない。そいつは危険なんだ、見てくれがどうでも、関係ない」

「合成人間にだって良いやつはいるし、こいつはアンドロイドのようだし、どう見ても危険なやつとは思えない。話を聞いてやってくれよ、なにか言いたいみたいだけど、怯えて声が出てないんだ」

「話を聞くまでもない。そのアンドロイドは、すでに廃棄処分されたシリアルナンバーを悪用した、正体不明の機体なんだ。警戒するのは当然だ。怯えて声が出ない? おまえこそ、アンドロイドがどんなものか、わかっていないじゃないか」

「わかるはずないだろう、こいつとは、いま、初めて会ったんだから」


 低い声でアルドと問答していた年配らしき隊員が、自ら構えていた銃器を肩に担ぎ、鼻を鳴らした。

 明らかな嘲笑だったが、その無礼な態度は取り合わずに、アルドはあくまで毅然と言い返したが、


 薄ら笑みを浮かべていた隊員はそれも一笑に伏し、再度アルドに銃口を突き出した。


「人間の命令を聞くだけのアンドロイドに、恐怖なんていう感情があるわけないだろう。人に近い情緒ユニットが搭載されているなら、それが合成人間の証拠でもあるんだよ! あえてアンドロイドを装った合成人間を、怪しむなと言うほうが無理だろうが!」


 隊員の言葉に、アルドがえっと驚きの声を上げる。


 たしかに自分は、生きていた時代とかけ離れた、この未来世界の常識には疎い。

 アンドロイドという存在が、どんな仕組みで動いているかなんて、聞いたってわからないだろう。


 シリアルナンバー、情緒ユニット。

 聞いたこともない言葉だらけだ。

 相手の言い分は筋が通っているのかもしれない、それゆえに冷静な判断をしているのだろうことも、アルドには伝わってくる。

 それでも


 人と魔獣が憎み合い戦争をしていた自分の時代でだって、怯えた魔獣の子どもを大人たちが追い回していたら、

 きっと同じことをしていたと、言い切れた。


 だからアルドは、もう一度アンドロイドを庇うために声を絞ろうと顔を上げた。


 そのときだった。


 銃器を構えていた隊員たちが、あっと呻いて仰け反った。

 なにごとだ、と彼らの視線を追った年配隊員もまた、呻いてアルドたちから銃口を逸らす。

 ずしんと、重厚な地響きがアルドの耳にも届き、引き寄せられるように轟音の方向を見た。


 巨人型の合成人間が、すぐそこまで迫っていた。

 巨大な得物を振り回し、迷いなく、ゆっくりと接近してくる。


 合成人間だ、応援を呼べ、特殊機動部隊へ連絡だと、EGPD隊員たちは口々になにかを叫び、銃器の狙いを補足し直す。


 いましかなかった。


 アルドは奮起して、アンドロイドの腕を引き、隊員たちが武器を構えたほうとは逆方向へと駆け出した。

 それに気づいた年配隊員が待て、と手を伸ばしたが、振り返らない。


 市内には侵攻させんぞ、と怒号を飛ばすのも聞こえていたが、間もなく銃撃音が辺りに響き渡り、それ以上こちらに干渉されることはなかった。

 それどころではなくなったのだろう。


 エルジオンに入れないと言われたが、構っていられない。

 廃道内にいれば、また彼らに見つかるのは明白だ。それなら市街地に身を潜めるしかない。


 だから、アルドはまっすぐに、市内を目指した。


 引いた手は温かい。なんとか守れた。

 安堵に息を吐きつつ。もう少しでエルジオンだと、振り返って笑うアルドを見つめるアンドロイドの銀色の瞳は、

 驚愕に、大きく開いていた。


 そうして、同じ銀色の唇が動く。

 戸惑いに、震えながら。


「ど、どうして、助けてくれたの?」


 問う声は高くて、子どものそれのようだ。


 表情やしぐさから見ても、今まで出逢ったどのアンドロイドとも異なる、不思議な雰囲気だと感じざるを得ない。


 もう廃棄されたはずの、正体不明の機体だと、隊員が言うのは聞いていた。

 シリアルナンバーを悪用した、怪しい、合成人間の手のものに違いないのだと、


 あれだけ、言われても


「俺には、あんたが悪いものには見えなかったから。本当に悪いものだって判明してから、どうするか判断しても、いいと思ったんだ」


 最初にぶつかったとき、怪我はないかと手を伸ばされたことを、覚えていた。

 過激派の合成人間が正体なら、人に対するそんな優しさは必要ないと思った。



 なにより、その優しさに、アルド自身が報いたいと思えたのだ。




 

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