第68話 みんな同じ。「生きてさえいれば」

「キッちゃーーん!!1歳3ヶ月のお誕生日、おめでとうっ!!」


この家に来てから9ヶ月が経つ。

今のキッドは当時の面影はない。老人の様に…いや、それよりも酷い。歩けず、なんとか這いつくばって私の元へと頑張って来てくれる。


旋回行動がまた始まり、転びながらもその発作は止まらない。

薬の副作用で体重は平均よりだいぶ上の6キロ。

そして、このところ本当に疲れやすく、再び痙攣が出て来てしまった。


今はほぼ毎日の様に病院へ行っては点滴や座薬をいれて貰い、なんとか凌いでいた。

両目も駄目、両方の後ろ足も駄目、キッドが大好きだったお散歩も今では私に抱き抱えられてのみ。唯一、食欲だけが最後に残っている。それだけが取り柄になってしまっていた。


「今日だけは特別。沢山食べてね!」

今でしていた「待て」も、もうやめにした。酷なだけの様な気がして、可愛そうで…。ケーキも見えない。ちゃんと「お座り」がうまく出来ない、今はただ思いっきり楽しんで欲しい。


「お願いだから生きて欲しい」「生きていてさえくれればいい」と。それだけを祈って…、なんとか1日でも長く生きて欲しくて。


「美味しい?無理して全部食べなくていいからね。」

麻痺側の口からボロボロと溢れてしまうケーキを拭き取りながら、キッドは目に見えない目の前にあるケーキを喜んで食べてくれている。


「4時になったら、お外行こうね。明日はミルキーちゃんの所に会いに行こうか!」



昔の様に、嬉しさを表現してくれる「キャンキャン」と鳴く声も聞けなくなってしまっていた。。

口が思うように開かないようで、どう頑張っても一吠え位しか出来ていない。


それが分かるからこそ、私自身もとても辛い。


「ほぼ完食だね!凄い食欲!!」

最近はいつも以上に誉めるよう心掛けている。顔色が伺えないからこそ、声のトーンで喜怒哀楽をキッドに分かって貰えるようにしていた。だからキッドはとても上機嫌。



そして夕方。私はキッドを抱っして、いつものお散歩へ。

すると、久しぶりにちあきちゃんがこてつを連れて会いに来た。


「キッド!」「ちあきちゃん!こてつも!」

こてつは相変わらず元気(笑)。「ギャンギャン」と鳴いては自分の尻尾を掴もうとグルグル走り回っている。


…見ていて可愛い(笑)


「お姉ちゃん、キッド大丈夫?」「うん、心配してくれてありがとうね。」「キッド、頑張って絶対良くなってね!」「ちあきちゃんは、優しいね。どうもありがとう。」


みんなが言う。


「頑張れ」と…。


キッドは最大限に頑張っている。もう、充分過ぎる位に。

でも、皆からの「頑張れ」という励ましの言葉が嫌と言う訳じゃない。有難いとも思うし、素直に私ももっと頑張らねばとも思う。


でも、これ以上何をどう頑張ったらキッドの脳炎の進行を遅らせる事が出来るのか…。

どんなにもがいてみても答えは見つからない。


「キャン」「キッちゃん、どうしたの?寒いの?」「キャン」「何か…あっ!!」「かおりさん。来ちゃった!!」


運転席の窓ガラスが下がり、一目見て分かった。

明日行こうと思っていた矢先での素敵なサプライズ…。


「ミルキーちゃんのお母さん!!ミルキーちゃんも!!」「いつも来て貰ってばかりだから、ミルキー連れて遊びに来たの!!」「ちあきちゃん、ごめんね。お客様来たからまた今度!」「うん!キッド、バイバイ!」


ちあきちゃんとサヨナラをし、私はミルキーちゃん達を我が家に迎え入れた。


「ミルキーちゃん、その後どうですか?」「うん、リハビリをしていてメンタルは治って元気も戻ったんだけどね…。キッドちゃんは?」「キッドは進行が少しずつ早くなっているみたいなんです。」「そう…」


風間さんはいつもキッドを気遣ってくれる。

そして、私の事も。ミルキーちゃんだって大変なはずなのに、この家族はとても心が綺麗で温かい。


「私、脳炎について専門の動物病院をずっと探していたの。でも、どこも同じで…」「そんなっ!!わざわざすみません。」「長生きして欲しいの。あたしにとってもキッドちゃんは可愛い孫の様なものなんだから。」「風間さん…」


あまりの嬉しさに涙が溢れそうになった。

裏切りや差別が多いこの世の中で、こんなにも温かい言葉を掛けて貰えるだなんて…

あたしとキッドはとても幸せだ。


「かおりさん、再婚はしないの?」「再婚?」「まだお若いのに。恋愛の1つ位してみたら?」「私はキッドがいますから…。キッドが私の旦那さんみたいなものなんです(笑)」「まぁ(笑)可愛い旦那様ねっ!!」「はいっ(笑)」「かおりさん、何でも相談してね。」「え?」「キッドちゃんの事。1人で抱えて不安なんじゃない?」「いえ…」「大事な大事な家族ですもの。その家族が病気になって、それを1人でお世話するのは心も身体もボロボロになっちゃう。」


出逢えて良かった。仲良くなれて良かった。

こんなにも私やキッドの心をサポートしてくれる人なんて、中々いない。不安と葛藤で苛まれている中で、少しでも気持ちを共有できる仲間がいることは本当に心強い。


「…怖いんです。」「え?」「キッドがこれからどうなっていくのか、怖いんです。」「かおりさん…」「死んでほしくない。でも、辛い思いもして欲しくない。その葛藤がずっと頭の中にあるんです。」「キッドちゃんがかおりさんを置いて死ぬ訳ないじゃない!!」「…そう…ですよね。」「お互いに求めあってるのよ?キッドちゃんはかおりさんの為に必死に病と闘っている。それにあたしだって…、キッドちゃんと小さな頃からずっと見続けているからっ…」


どんなに神様にお願いしても。

どんなにどんなに神様を恨んでも。


キッドは「脳炎」という病気にかかってしまった。

これは私とキッドに与えられた試練。

乗り越えなければならない病。

試される2人の絆。そう簡単には壊れない。


…壊さない。


「あたしには、キッドしかいないんですっ…」「泣きなさい!あたしがいる時位は沢山沢山泣きなさいっ!!」「キッドだけが生き甲斐なんです…」


人間も犬も、あふれでる涙は変わらない。

犬も人間も、同じ生き物。感情があるのだから。


「キッドが死ぬのが怖い。考えたくないのに…」「かおりさん…」


思考が停止してしまえばいいのに。

そう思いながら、私の涙は止めどなく流れ出た。




















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