第67話 人間のエゴ。

翌朝。


私がキッドに朝ごはんを介助していると、突然インターホンが鳴った。

まだ朝の8時半。勧誘なんてこんな時間に来ないし、何かネットで頼んでいる品物もない。

(誰だろう…?)


「はい…。」「お久しぶりね」「お義母さん…!?」


そこには、もう2度と会うこともないと思っていた元夫、ゆうたさんの母親の姿があった。


「なんでしょうか?」「元気そうね。」「そんな事より、どうして家を知ってるんですか?」「少しお邪魔してもいいかしら?」「え?あ、ちょっ…」「失礼します。」


相変わらず遠慮がなく、ズカズカと部屋に上がり込みリビングへと歩いていく義母。私は不愉快な気持ちを押さえながら義母の後ろを歩き、リビングへと入った。


「何の用ですか?」「ゆうたがかおりさんと離婚してから落ち込んでしまってね。やり直して貰えないかしら?」「…は?」「充分反省もしてるし、2度としないと言ってる。だから、今度は私達と同居で暮らさない!?」


この人の言っている事が分からない。あんな目に長年合い、苦しみながらも生活を続けていた私。その状況は勿論義母もしっていたはず。

それでも、一度たりとも私に手を差しのべてくれなかった。

むしろ、知らない振りをして来た癖に何を今さら?


「お断りします。」「かおりさん!!」「私は今の生活に満足しています。もう二度とゆうたさんの顔は見たくありません。」「…随分冷たいのね。2年も一緒にいたのに。」「2年も我慢したんです!!帰って下さい!!」


…そう。我慢の限界だったんだ。キッドが助けてくれたおかげで今の平穏な生活がある。

それをまた戻るだなんて…


絶対にしたくない。


「この通りです!かおりさん、お願いします!」「お義母さん、辞めて下さい!!」「このまま帰ったら、主人に殴られるっ…」「…え?」「私なんか、何十年も我慢してきてるのよ!?私だって…」


「主人からずっとDVを受けて来ているの。」


泣きながら訴える義母は、何度も何度も私に「お願いします」と頼み込んで来た。


「お義母さん…離婚はされないんですか?」「逃げても逃げても追い掛けては捕まえられる。今日来たのも、主人から罵声を浴びせられて仕方なく来たの。」「何て…ですか?」「かおりさんを今日中に家に引き戻して来ないと殴るぞって…。」「そんな…」「子供は親の背中を見て育つ。かおりさん、ごめんなさい。ゆうたがああなってしまったのは、私達の責任なんですっ…!!」


可哀想だとは思う。憐れだとも思う。

けれど、同情はしない。出来ない。

ゆうたさんをどう育てたかなんて、今となってはどうでもいい話。今の私にはキッドが大事でキッドとの生活が大切。


キッドとのこれからの生活を守る為にも、ここはどうしても…


「ギャンギャン!」「え?キッちゃん?」「ギャンギャン!!」「ワンちゃん…飼ってるの?」「え?えぇ…。」「我が家にも犬がいるの。かおりさん、お願い。ゆうたと寄りを戻さなくてもいいの。ただ数時間だけ我が家に来て主人と話をして貰えないかしら…」「…分かりました。その代わり、キッドも連れて行っていいですか?1人にしておけないので。」「ありがとう!かおりさんっ!!」


行かない方がいいのは充分理解していた。

でも、首を縦に振らないと、いつまでたってもこの件は収まらない事も知っていた。

ここで頑なに断り、終いにはゆうたさん本人…もしくは義父まで上がり込まれたら私の精神状態は壊滅してしまう。

だからこその判断だった。

…今なら強い意思で断れる勇気があったから…。


私はキッドに申し訳なく感じながらもケージバッグに入れ、ゆうたさんがいる家へと向かった。



「キッちゃん、ママから離れないでね。」

手が震える。ゆうたさんと顔を合わせると思うと、数々のトラウマを思い出してしまう。

「今日だけ…、今回だけ。」


そう思いながら、私はキッドが入っているケージバックをぎゅっと抱き締めた。


「かおりさん、着いたわ。」「は、はい。」「1時間でいい。時間になったら私が絶対帰してあげるから。」「宜しくお願いします。」


狭いケージバックからキッドを出した私は、キッドを抱き抱え家の中へと入る。


「ワンワン!」「デリー、静かにしててね。」「ワン!ワンワン!」「デリーちゃん、ごめんね。お邪魔します。」「かおりさん、リビングへ…」


「かおりっ!!」


身体が強ばる。少し痩せた?髪も無造作に伸びきったままのゆうたさんが私の視界に入って来た。


「…ゆうたさん。」「かおりさん、座りなさい。」「お義父さん、ご無沙汰しております。」「挨拶はいい。座りなさい。」


不穏な空気がリビングの中を張り巡らせている中、私はキッドを膝の上に乗せ、ソファーに腰をおろした。


「ワンワン!」「おいっ!デリーをケージに入れろ!」「は、はい!」「いえ、出してあげてて下さい。デリーちゃんに罪はありません。」


すると、デリーは私達が座っていたソファーにピョンと跳び跳ね、キッドの顔をクンクンとしてきた。

犬同士の会話。きっと積もる話もあるのだろう。


「かおりさん。妻から話は聞いたんだね?」「はい。」「ゆうたは反省した。カウンセリングにも通ってる。戻って来なさい。」「いえ、それは出来ません。」「…何だと?おい、どういう事だっ!!納得して連れて来たんじゃないのか!?」「あなた、かおりさんには新しい人生があるんです。もうそっとしといてあげて…」「この甲斐性なしがっ!!」


ガシャンッ!!


ティーカップを義父が義母に投げつけた。


「あなたっ!!かおりさんとゆうたの前で暴れるのは辞めて下さい!!」「うるさい!かおりさん、ここに戻りなさい!」「それはっ…」「かおり、頼むよ。もう2度としない。誓うよ。」「…無理です。」「この女もなんてわからず屋なんだっ!!ゆうた、他にもいい女はいっぱいいるだろう!?」


荒れ狂う会話。

初めて見る義父の横柄過ぎる態度。こんな生活をずっとゆうたさんと義母は耐え続けて来た!?

こんな毎日に、今まで怯えて暮らして来ていた!?

こんなのまるで…


昔の私とゆうたさんを見ている様…。



「ウオォォン!!ギャンギャン!!」「デリー!!黙れ!!」「グルルルゥッ!!」「デリー!ダメよ!こっちに来なさい!!」


デリーはご主人様を守りに行った。

きっと、小さい身体なのだろう。それでもこの嫌な現実から…ご主人様をあの男にそっくりな男から助ける為に、勇気を振り絞って吠え続ける。


「痛いっ!」「デリー!!」「グウゥゥゥ!ギャンギャン!!」「この犬がっ…!!」


(デリーちゃんが蹴られるっ!!)

そう思った瞬間、身体が勝手に動いた。デリーちゃんを庇うかの様に私はデリーちゃんを抱き締め、強い勢いで踏み潰されそうになっていたデリーちゃんの代わりとして私が思い切り蹴飛ばされた。


「かおりさん!!」「かおりっ!大丈夫か!!」「な、なんで君が出て来るんだ!!」「デリーちゃんに罪はありません。蹴るのは辞めて下さい!!」「い、犬の癖に生意気だからだろっ!」「犬だって生きてるんです。動物だって家族なんです!」「言い訳するなっ!!どけないとお前も根こそぎ蹴飛ばすぞっ…!」「あなた辞めて!」「親父!!」


(また蹴られるっ…)



弱者の世の中なんてなくなればいい。

不公平な世の中なんて消え去ってしまえばいい。


みんなが幸せで、「人間だから」「動物だから」。

そんなの関係なく、平和で穏やかに暮らせたらどんなに幸せな事だろう?

「ルール」とは誰が決めたもの?

誰の為に守るものなのだろう…?


「ギャインッ…!!」「キッちゃん!?」「な、なんだお前はっ!?」「キッちゃん!!キッちゃん!!どうしてっ…!?」


歯を食い縛り、デリーちゃんを強く抱き締めた時だった。

キッドがソファーから雪崩落ち、私の背中にゴロンと転がって来た。

そして、キッドはあたしの代わりに義父からの強い足蹴りを直に食らってしまった。


「キッちゃんを病院にっ…!」「わ、私が乗せて行きます!」「犬の腹を蹴った位で大袈裟なっ!まだ話は終わっ…」「顔も見たくない!!声すら聞きたくもない!!」「な、なんだとっ!?」「あなたもゆうたさんも最低な人間です。これ以上、あたしの大事な日常に近寄らないで!!入って来ないで下さい!!」


「私はあなた達がだいっ嫌いです!!」


私は、キッドとデリーと共に車に乗せられ、病院へ。

すぐにキッドとデリーの検査が入った。


幸い、デリーもキッドも大きな怪我はなく事なき終えた。

ただ…


「キッドちゃんの病気は進行しています。残りの余命は半年から長くて1年でしょう。」


先生のその言葉だけが耳に残った。

私は泣き崩れ、キッドはグッタリとしたまま私の腕の中で薄目を明けながら私と先生の話を聞いていた。


そして、帰り道…。


「かおりさん、ごめんなさい。こんな事になるなんて…」「キッドに何も無かったので大丈夫です。でも、金輪際私と…」「私、決めたわ。」「え?」「主人と離婚するって。」「…大丈夫なんですか?」「今回の事でハッキリと分かったの。私はあの人を愛してなんかいないって。」


「なんとなく、情で一緒にいただけなんだって。」


「そう…ですか。」「もう、あなたにも迷惑掛けないわ。ごめんなさいね。」「いえ…。」「もっと早く気付けば良かったのね…。」


他の家庭には、到底理解し合えない事が沢山ある。

人間は強いようで弱く儚い。

でも、話を聞いてあげる事、寄り添ってあげる事、涙を拭き取ってあげる事なら出来る。


キッドとのこれからの生活、沢山思い出を作って行かなきゃいけない。幸せにしてあげなければいけない。


これから私達にあとどのくらいの時間が残っているのだろう…?


考えても仕方がない。悩んでも仕方がない。

だって、私は



ただの人間なのだから…。

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