第66話 人間からの目線、動物からの目線。片手スマホの恐怖。

「キッちゃん、4時のお散歩行く!?」「キャン!」

あれから数週間。

キッドの右足は完全に力が入らなくなってしまっていた。

使えるのは3本の手足だけ。

散歩も私が抱っこをしながらで、おしっことうんちはその場に下ろして用を済ませるだけ。散歩という散歩は困難になってしまい、「気分転換」という程度になってしまっていた。


家の中でも、ツルツルの床では滑って転んでしまう。

歩き方も更にぎこちなくなってしまい、病院の先生からは「1番強い薬です。」と言われ、それを朝ごはんと夜ご飯の後に飲ませている。副作用として激しい食欲の増加が見られるが、それは私が管理しなければならない問題。


甘やかしてはいけない…。


そして、新しく出てきた症状がある。


「右側の口、痙攣してるね…」


ピクピクと右半身が痙攣する時があり、その時は目も勝手に右へと動いてしまう。左に戻しても、すぐに右へと目が移動してしまっている。


「キッド…、大丈夫?辛いよね…、何もしてあげれなくてごめんね。」


見ているだけしか出来ない自分が悔しい。歯痒い。

キッドはこんなにも頑張っているのに、薬に頼り、それをただ見守る事しか出来ない自分が情けない。


「痙攣止めの座薬、入れるね…」


「痙攣の発作が1分以上続いたら使ってください。」


病院の先生がそう言っていた痙攣止めの座薬。6時間間隔で使用可能と言われ、これから酷くなるようであればそうして下さいとの事だった。


「キッちゃん、ちょっとだけ我慢してね。」「キャイン…」「これでもう少しすれば良くなるからね。」


病魔は確実にキッドを蝕んで来ていた。

進行は遅いと先生は言う。それでも、毎日暮らしている私からしたら日々の変化に敏感になってしまう。


怖い。悪化していく病が憎い。キッドをこんな目に合わせる脳炎がとても腹立たしい…。


どうにかして助けてあげたいのに、私は何も出来ないのが本当に本当に悲しい。


「…あ、治まって来たかな?」「クゥン…」「眠いでしょ?少し休みな。」


スースーと寝息をたてながら眠りにつくキッドを見ていると、自然と涙が溢れてくる。

キッドはまだ若い。他のワンちゃん達みたいに外を駆け回ってキャンキャン昔の様に騒いで。


楽しい毎日を送る為に生まれて来たはず。

それなのに、どうしてキッドがこんな目に遭わなければならない?幸せに送らせてあげたい。ただそれでけなのに…。


「ごめんね、キッド…」


毛並みを整える様に優しく撫でたキッドの背中を触る私の手に、ポロポロと悲しみの雨が降り注いだ。



そして数日後。


「キャンキャン!」「良かったぁ!!今日は元気だね!!久々に昔の公園に行こうか!?」「キャンキャン!!」


薬が効いてるのか、ここ数日体調が良さそう。痙攣も起きていない。

元気にはしゃぐキッドに、私も思わず元気を貰う。


「車に乗るよー!」


ケージバッグに入れられ、私は懐かしい公園へと向かう。

あと何回キッドをこの場所に連れて来れるのだろう…?

そんな嫌な考えが私の脳裏にちらつき、首を左右に大きく振った。


「着いたよ!」


やっぱり、いつ来ても懐かしくてキッドのお散歩コースには最高の場所。そして、今回もこうしてキッドと来れた事…。


素直に、ただただ嬉しい…。


「かおりさんっ!!」「ミルキーちゃんのお母さんっ!」「久しぶりね!窓から見かけて思わず飛んで来ちゃった!!」「あれ?ミルキーちゃんは!?」「それが…あの旅行から帰って来てすぐに事故に遭って…」「事故にっ!?」「えぇ…。普通に散歩をしていたの。そうしたら…」


スマホを見ながら自転車を漕いでいた学生に、ミルキーちゃんは思い切りぶつかったらしい。

急いで病院に連れて行ったが「脊髄損傷」と診断され、歩く事も、1人で立つことすらも出来なくなってしまったという。


人間の不注意で起こってしまった事故…。

突然の出来事に、風間さんは泣き崩れながら私に話してくれた。


「そんなっ…!!」「ミルキーがキッドちゃんの気配に気付いてソワソワしてるの。会ってくれないかしら?」「勿論です!キッド、行こう!!」


あんなに元気だったミルキーちゃんが…。

いつ、何が起こるか分からない病。そして事故。

それは勿論動物だけではなく、人間にも言える事…。

私はミルキーちゃんの精神状態が心配で、キッドを抱き抱え急いで風間さんのお宅へとお邪魔した。


「ミルキー、キッドちゃんが会いに来てくれたわよ。」「…ミルキーちゃん、なんて事…」


衝撃を受けた。

あんなに元気で綺麗でフサフサで…笑顔が素敵だったミルキーちゃんがベッドの上で立とうとしても立てず、お尻にはオムツを履いていた。


「紅茶で良かった?」「ありがとうございます。あの、ミルキーちゃんは完全介護…なんですか?」「そうね…、歩けないだけで他は元気なんだけど。」「可哀想に…」「何かして欲しい時、ミルキーは吠えるから助かるんだけどね。でも、代わってあげたいわ…」


どこの家でも同じなんだと知った。

大切な家族の為、自分の命を投げ売ってでも守ってあげたい。代わってあげたいと思う気持ちは変わらない。

勿論、私だってそうだ。今すぐにでも代われるものなら代わってあげたいと強く思う。


こんなにも小さな身体で頑張っている姿をみてしまうと、余計にその想いが強く募る…。


「ミルキー、楽しそうだわ…」「少しそっとしておいてあげましょう。」「かおりさん、来てくれてありがとう。」「そんなっ!!こちらこそいつも風間さんとミルキーちゃんには助けられてばかりでっ…」「心細かったの、ずっと。でも、かおりさんに話せて少し気持ちが軽くなったわ。」「何のお役にも立てませんが、お話を聞くことならいつでも。」


キッドとミルキーちゃんに目をやると、2匹は楽しそうにお互いの身体の匂いを嗅ぎ合いながら寄り添っていた。


悲しい現実は変わらない。変えようとしても変えられない。

でも、こうして寄り添う事でお互い「前向き」になれるならいくらでも、またこうしてここに来る。

キッド達も、そして私達も…。


「キッちゃん、そろそろ帰ろうか?」「……」「出た(笑)また無視(笑)」「またいつでも来てね。かおりさんは本当に私の娘の様な存在なんだから。」「ありがとうございます。はい、是非また…」


こうして、私は狸寝入りしていたキッドを抱き抱え、ミルキーちゃんと風間さんに別れを告げた。


「キッちゃん、ミルキーちゃんと会う度に仲良くなるね!」「キャオオオーーーウオーーン!!」「…届くよ、その声。ミルキーちゃんにきっと。」


2匹にしか分からない言葉。きっと、強い絆が生まれているに違いない。


「さ、帰って少しだけお散歩して夜ご飯食べようね!!」「キヤゥン!」


帰路に向かう私達。

この景色を、また次も必ず見せてあげよう。

今日はそう前向き考えられる日だった。

きっとそれはミルキーちゃんのおかげ。

それぞれ違う心の痛み。でも、頑張って生きている…それをお世話している家族が沢山いると思うと、弱気になんてなっていられない。


それを忘れず、1日を過ごして行こう。


…そう、改めて実感した日だった。


それから1週間が経過。

突然、今度は私の声に反応しても、キッドが私のもとへと来なくなった。ううん、来れなくなっていた。

一生懸命、キッドなりに私を探しているのが分かる。でも、壁やソファーにぶつかりながら歩き、匂いをたどりようやく私のもとへと来てくれる感じだ。


私はキッドをすぐに病院へと連れて行った。


「…両目のほとんどが見えていません。」「やっぱり。頭をぶつけて歩くんです。」「今後は身体全体にも支障が出てくるでしょう。」「えっ!?」「その時期は分かりません。」「どうすればいいですか?」


・角には柔らかいクッション素材の物を貼ること。

・新薬が出たのでそれを使います。それを飲んだら最低2時間はお水のみにして下さい。

・暫くすると、排泄が困難になってきます。オムツを着用させてあげて下さい。


どんどん悪化していくキッドの脳炎。

片目が見えなくなり、片足に力が入らなくなり。

両目が見えなくなり…。

それでもキッドはこうして頑張って生きている。

負けていられない、弱音なんて吐いていられないのに。

どうしても「キッドがいない日々」が頭をよぎってしまう。


「先生、キッドはまだまだ大丈夫ですよね?」「…キッドちゃんの生命力、そして脳炎の進行次第です。」


「頑張りましょう。」



帰り道…。

私は「大丈夫です。」という、先生からの言葉が聞きたかった。嘘でもいいから聞きたかった。

そして、私は車の中で声を張り上げ、泣いてしまっていた。




















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