それが、最後にしたまともな会話だった。

 + + +



「荷物、取ってくる」

 ジャージを羽織って、チョーカーをしながら言えば、さっきまで椅子に座ってぐったりとしていた茜が慌てて立ち上がる。

「俺が行くよ」

「駄目。まだお昼だから、そんなに動けないでしょ」

「でも」

「舞白とすれ違ったらどうするの。絶対襲わないって目を見て約束できる?」

 茜がうつむいてしまう。

 こんなことは言いたくない。だけど、吸血鬼になってしまった以上、彼は舞白だけでなく、他の人間まで襲ってしまうかもしれないのだ。

 茜の理性がどの程度まで保つか、なんて今はまだわからない。

「行ってくるから、ここで待ってて」

 意識して強い声を出して、教室を出る。

 一瞬視界が揺れたけれど、なんとか堪える。

 もう、ここにはいられない。

 吸血鬼が太陽の光で灰になるのはフィクションの中だけだけれど、でも、かなりきついのは間違いない。

 義務教育は終わっているのだ。無理をしてまで高校に通う必要もない。

 この学校の養護教諭は、狩人だ。校長だって、狩人ではないけれど、そちらについての知識と理解がある。狩人の協力者だ。

 ざっくりと説明をすれば、すぐに必要な手続きをしてくれるだろう。

 本当は、舞白に一言だけでも挨拶をしていきたかったけれど。

 そこまで考えたとき、下駄箱に一人、ぽつんと立っている舞白を見つけた。

 保健室に行ってからそれなりに時間が経っているはずだ。

 それなのに、どうしてここにいるのだろう。

「舞白?」

 呼べば、うつむいていた彼女の顔がゆっくりと上がる。

 目が合うと、舞白は柔らかく微笑んでくれた。

 その笑顔に不穏なものを感じて、ざわりと胸が騒ぐ。

「茜は、大丈夫だったの?」

 落ち着いた声。

 普段聞いている声なのに、なにかを間違えると今まで積み上げてきたものが壊れてしまいそうな、そんな、不安定な声に聞こえる。

「早退、することになったの」

「茜は?」

 更衣室、行ってないよね。

 その言葉で、舞白がずっとここにいたことを察した。

「先に、荷物取ってこようと思って」

「そうなんだ、手伝おうか?」

「いいよ。あんたは授業に戻りな」

「それは、わたしが人間だから?」

 うなずきかけて、はっと目を開く。

 人間だから。

 その通りだけど、でも、このタイミングでその単語が出てくるのは変だ。

 まるで、人間以外も存在しているのを知っているような……私と茜が、人間ではないのを知っているような、そんな口振り。

「……」

 どう返していいものかわからなくて、黙る。

 そうすると、舞白の笑顔は、薄い、自嘲気味なものへと変わっていった。

 間違えたのだと、気づいた。

 こんな顔、させたくなかったのに。

「茜は、薫のもので、薫は、茜のもの」

「舞白……?」

 歌うような言葉に不安を感じて名前を呼ぶ。

 にっこりと、舞白は笑った。

 今まで見た中で、一番純粋で、可愛らしくて、そして、悲しい笑み。

「ねえ、薫」

「ごめん、急いでるから」

 気まずさやらうしろめたさやらで見ていられなくなり、顔ごと視線をそらして舞白の前を横切った。

 舞白が追ってくることは、なかった。

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