第92話 神の使徒とはかくありき?⑤

 旅に出て三日目の昼下がり。

 僕らはハイネスという中規模の城塞都市を訪れていた。

 目的地であるアーカイル山への途上であるという以外に、ルースとソフィアさんはこの都市に用事があるらしい。

 そのため、まだ日は高いが今日はここで一泊することになっていた。


「それじゃ、僕らは宿を確保してきますが……本当にお二人だけで大丈夫ですか?」


 僕の心配をソフィアさんは涼やかに笑って否定した。


「ここは知った町でもありますから、我々だけで問題ありませんよ」


 ただ街中とはいえ護衛対象から目を離すのはどうなのかな、と考えていると、僕の服の裾がくいくいと引っ張られる。


「……ボス、早く宿へ、です」

「……お前、ほとんどクーロンに背負ってもらっときながら、何でそんなにバテてるんだよ?」


 エリスはクーロンの背に腹ばいで、ぐでっと手足を投げ出すような体勢のままシニカルに笑った。


「……はぁ。ボス、素人ですね」

「何がだよ?」

「……乗馬は、意外とバランスとるのが大変で疲れる、です」

「なら降りな~!」


 馬扱いが嫌だったのか、クーロンがペイっとエリスと背から落とす。

 ゲフッと地面に落ちたエリスに嘆息して、そう言えばもう一人のバテキャラが静かだな、とルースに視線をやる。


「…………」


 ルースはハイネスに到着してから一言も発さず、今もブスッとした顔でそっぽを向いていた。

 今日は静かだったから、単に旅に身体が慣れたのかな程度にしか思っていなかったが、どうやらそれだけではないらしい。

 いかにも憂鬱そうに溜息をつくと、投げやりな態度でソフィアさんに話しかける。


「……ソフィア。子爵への挨拶はお前一人で行って来てくれ。

 私はミレウスたちと先に宿に行っている」

「ダメに決まっているでしょう」


 ソフィアさんは即答し、冷たい視線をルースに向けた。


「ここまで来ておいて、子爵へ挨拶に出向かないなど失礼にもほどがあります」

「なら! こんな町寄らずに先を急げば良かったじゃないか!?」

「!?」


 手を広げて訴えるルースに、ソフィアさんより足元のエリスがびくりと反応した。そんなに歩きたくないか。

 ソフィアさんは額に手を当てて、聞き分けのない子供に言い聞かせるように言う。


「修行地がバール子爵の領地にある以上、挨拶しないわけにもいかないでしょう」

「……別に子爵の世話になるわけじゃない」

「世話になる、ならないではありません。ルース様が挨拶に伺うことが重要なのです」

「…………」


 ソフィアさんは口調を宥めるようなものに変え、続ける。


「分かっておいでなのでしょう?

 それに、今日はただの挨拶です。これで何かを決めようというものではありません」

「……挨拶をしたらすぐに帰るからな?」

「はい。それで結構です」


(……ん? 何だ今のやり取り?)


 二人のやり取りにどこか違和感を覚える。

 単に修行地を治める領主に事前に挨拶をしておかなければならない、という以上の意味合いが今の言葉には込められているように思えた。

 その、バール子爵とやらとルースには、何か個人的な繋がりでもあるのだろうか。


「それでは皆さん、我々は用事をすませてまいります。

 宿を確保したら、あちらの店に入って待っていていただけますか?」


 ソフィアさんが、比較的上品な外観のカフェを待ち合わせ場所に指定する。


「了解です。用事はどの程度かかる予定ですか?」

「そうで――」

「直ぐだ! 直ぐに終わらせてくる!」


 ソフィアさんは口を挟むルースに苦笑しながら答えた。


「相手方の準備もあるでしょうから、二時間程度はかかるかと」

「分かりました。その前には一通り手続きを終わらせておきます」

「よろしくお願いします」


 そう言って、ソフィアさんは不満そうに唇を尖らせるルースの背を押して、領主の館がある方角へ向かった。


「……ミレウス君」


 二人の背が遠ざかっていくのを見送りながら、ホアンさんが僕に確認するよう囁く。

 チラリと彼の顔を見ると、明らかに行きたがっている。


(ふむ。どうしたもんかね。

 僕らが期待されている役割が何なのかハッキリしない中で、あまり深入りしたくはないんだけど……)


 ホアンさんは、恐らくルースの態度が気になっているのだろう。

 基本、子供に甘い人だから、困っているなら何か助けてやりたいとでも思っているのかな。


(……この依頼の背景が分からない中、無条件にルースに味方してやることはできない。

 だけどこのままじゃ、誰の思惑で何を踊らされるのかも分からない、か)


「行くならポンも連れてってください」

「バウ?」


 突然自分の名前が出て、ポンが首を傾げる。


「意味はわかりますよね?」

「……了解」


 ポンを連れて行けば、ホアンさんも無茶な行動は慎んでくれるだろう。


「ポン君。僕とちょっと散歩に付き合ってくれるかな?」

「ワフ。ワカッタ!」


 ホアンさんはポンを連れて、ルースたちと同じ方向に向かって行った。


『…………』


 クーロンたちが、そのやり取りの説明を求める様に僕をじっと見つめている、が。


「取り敢えず、エリスは立て。話は宿を取ってからだ」


 僕は笑顔でそれを無視した。




「わざわざお越しいただき恐縮ですが、残念ながら当主のエルネス様は所用で領を離れております」


 バール家の家宰の男から告げられた言葉に、ルースはホッとした様子で息を吐いた。


「そうか。それでは我々は失礼するが、エルネス様によろしく伝えておいていただきたい」

「いえ。エルネス様より、代わってトラン様がおもてなしするよう言われておりますので、どうぞこちらへ」


 家宰の口からでた名前に、ルースの表情があからさまに曇る。

 その様子にソフィアは内心溜息を吐きながら、何食わぬ顔で疑問を口にする。


「トラン様、ですか? 失礼ながら、ご長男のエネル様は?」

「エネル様はエルネス様と共に、王都へ向かっておられます。

 それにこの場合であればトラン様がお相手するのが筋かと」


 微笑む家宰の表情に、何故か嫌なものを感じつつ、ソフィアはなるほどと胸中で頷いた。


(ご当主とバール子爵の間で事前に全て打ち合わせ済みということですか。

 随分とあからさまなことをなされるものだ)


 憂鬱そうな主人の表情を見て、ソフィアは思わず同情しそうになる。


(……余計なお節介は逆効果だとは思いますが)


 ソフィアは内心を押し殺して、穏やかに微笑みながらルースの背にそっと手を当てた。


「さ、ルース様。まいりましょう」

「……わかった」




「やあ、久しぶりだねルース! 会えて嬉しいよ!」

「……ああ。元気そうだな、トラン」


 金髪の体格の良い少年が両手を広げ満面の笑みでルースを出迎える。

 対照的にルースの態度は素っ気ないが、トランと呼ばれた少年は気にした様子もない。


「はは、相変わらずだね、その口調」

「……別にいいだろう」


 トランは如才なく、爽やかな態度でルースとソフィアの二人をソファーに座らせた。

 そしてメイドが飲み物を運んでくるまでの間ここまでの旅路を労う。

 一連の所作が実に洗練されており、ソフィアの目から見ても、少なくとも表面的には文句のつけようのない好男子だった。


(……ふむ。あの二人、どういう関係なんだろうね?)

(ワフ)


 そして、その天井に潜んで様子をうかがう二つの影。ホアンとポンだ。

 ミレウスは、ポンをついて行かせればホアンもこうして領主の屋敷に潜入するような無茶はすまいと考えたのだが、ホアンはその思惑を理解した上で無視していた。


 ミレウスの誤算は二つ。

 一つはポンの技量をもってすれば、警戒の甘い地方貴族の屋敷に忍び込むぐらい造作もないということ。万が一見つかっても、ホアンの補助があれば誤魔化して脱出するぐらいは容易い。


 もう一つは、ホアンの思惑にポンが同調してしまったということだ。

 それは決してルースのことが心配だとか、そんな理由ではない。それだけなら、ポンはミレウスに迷惑がかかるかもしれない行為に同調することはなかっただろう。


(トランって言った彼、年齢的にはルースとミレウス君の間ぐらいかな?

 年齢の割に体格もいいし、振る舞いもしっかりしてるね……)

(ワフ。デモ、ルース……)

(そうだね。少なくともこちらは、あまり良くは思ってなさそうだ)


 ホアンとポンは眼下のやり取りに耳をそばだてる。

 この二人の思惑を、今はまだミレウスさえも理解していなかった。

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