第45話 巨鬼族と不思議な樹の実⑧

「今日で、彼らが森に入って三日目か。

 行程が順調なら、そろそろ実を手にして戻ってきてもおかしくないですよね」


 退屈な巨鬼族の監視に少しうんざりしてきたというのもあって、ホアンは雇い主に願望混じりの問いを発した。


「そ~ね。行って帰ってくるだけならそろそろでしょ。

 逆に、このタイミングで帰ってこれないなら、何かトラブルがあったってことになっちゃうわけだけど」


 そう言いながら、全く不安そうな様子を見せないロシュに、ホアンは首を傾げた。


(ふむ……果たしてこの英雄は、どこまで見通しているのかな?)


 ホアンの思考を遮る様に、森を監視していた巨鬼族の青年が、二人に声をかけた。


「おい、双子が戻ってきたようだぞ!」


 ホアンは表情を緩め、ロシュと顔を見合わせた。


「このタイミングで戻ってきたということは、上手くいったようですね」


 実が見つからなかったならギリギリまで探しているだろうから、とホアン。

 しかしロシュは曖昧な表情を浮かべ、一言だけ。


「どうかしらね」




「それでは、カティシュ、エンジュ。神樹の実をここに」


 老齢の巨鬼族の監視役が、帰ってきた双子に持ち帰ってきた実を提示するよう促す。

 同行していたロンドは、その横で射殺すような目で彼らを見つめていた。


 双子はどこか不安そうに、後ろに控えた僕ら従者役とロシュさんたちを順に見る。

 そして、何か躊躇うようにそれぞれ腰に下げた革袋から持ち帰った実を取り出した。


「これは……」


 実を見た監視役の老人が戸惑いの声を上げる。

 カティシュとエンジュが続く言葉を予想して顔を伏せた。


「ははは、何だそれは?

 神聖な神樹の実が――砕けているじゃないか!?」


 嘲笑を浮かべ、その場の空気を決定づける様にロンドが叫んだ。

 彼の言葉通り、双子が提示した実は見るも無残に砕けてしまっていた。


 俯いたまま顔を上げようとしない双子に、監視役の老人が問いかける。


「これは……どうしたことじゃ?」

『…………』


 俯いたまま答えようとしない双子に代わって、僕が慌てて声を出した。


「あの! 二人はちゃんと実を手に入れたんです……だけど襲撃にあって」

「はっ! 獣にでも襲われたか? 何の言い訳にもならんな!

 その様ではとても儀式を成し遂げたとは言えん! そうでしょう?」


 ロンドは芝居がかった仕草で監視役に同意を求めた。

 監視役の老人は重々しく頷く。

 双子は俯いたまま顔を上げようとしない。

 まるで姉の視線を恐れるかのように。


 僕は監視役の老人に訴えかける様に言った。


「僕らを襲撃してきたのは……ダークエルフでした」

「っ!?」


 僕の言葉にロンドの表情が歪む。

 やはり彼はあのダークエルフの行動を把握しているわけではないらしい。

 彼女がけしかけた獣に僕らが実を潰されたとでも思っていたようだ。


「何を言っている!? この神聖な森に、ダークエルフなどいるはずがないだろう!?

 つまらん嘘を言って、自分たちの失敗を言い訳するつもりか!?」

「嘘じゃありません!」


 僕は怯むことなくロンドを睨みつけた。


「この森にはダークエルフがいて、そいつが僕らを妨害した! それは事実です!」

「信じられるものか! 貴様らの言葉など、何の信憑性もない!」


 睨み合う僕らに、監視役の老人はどうしたものか考え込む仕草を見せた。

 それを見計った様に、ファルファラがおずおずと手を上げて発言する。


「あの……儀式の成否は置いておくとして、まずは調査をしてはいかがでしょうか?」

「何ぃ!?」

「ひっ」


 ロンドにぎろり睨みつけられ息をのみながらも、ファルファラは何とか言葉を続けた。


「わ、私たちの言葉に信憑性がないとしても、皆さんの聖域に侵入者がいた疑いがある以上、放っておくわけにはいかないのでは?」

「ふむ……」


 監視役の老人が一考するように頷く。


「そんな必要はない! 人間の言葉に考慮する価値などあるものか!」


 そのロンドの様子を一瞥し、監視役の老人は双子に再び視線を移す。


「……カティシュ、エンジュ。

 お主たちも見たのか? そのダークエルフを」

「……はい」

「……私も見ました」


 監視役の老人は頷き、ちらりロンドに視線をやって宣言する。


「よかろう。主らの言を入れ、明日にも調査隊を派遣することにしよう」

「なっ……!?」

「……同胞の言葉であれば、調べもせず切り捨てるわけにもいくまい?」


 ロンドが歯ぎしりしながら黙り込む。


(うん。第一段階クリア)


 僕はこっそり胸を撫でおろしながら、次なる関門に冷や汗を流していた。


(……見られてる。見られてるよ)


 不敵な笑みで僕らを見つめるロシュさんに、この状況をどう説明したものか。




(あの間抜けが!)


 ロンドは胸中で罵声を上げながら、夜の森の中を駆けた。

 本来であれば、このような愚行は避けるべき。万が一にもロシュに見つかれば一巻の終わりなのだから。

 今回は、先行して手の者をわざと聖域に立ち入らせ、ロシュをそちらに引きつけてから聖域へ侵入したが、こんなもの何度も使える手ではない。


(むざむざ姿を晒した挙句、取り逃がすとは……!)


 ロンドは何のために見逃してやったのだと、あのダークエルフとの邂逅を思い出す。


 会ったのは一度切り。自身の成人の儀の際だった。

 神樹の実が見つからず消沈していた時、ロンドはあのダークエルフと出くわした。

 腹立ちに任せて叩き伏せ、侵入者として処分しようとし――ふと思い直した。

 このダークエルフを使えば、他の挑戦者を失敗に追い込むことができるのではないかと。

 そしてダークエルフの交渉を持ち掛けた。

 この森に関する情報を提供し見逃してやる代わりに、儀式の挑戦者を妨害しろ、と。

 住む場所を追われ、行き場のない奴にとっても渡りに船の提案だったろう。

 それ以来一度も会っていないにも関わらず、ダークエルフはロンドとの約束を忠実に守り続けた。

 それは勿論、約束を破れば森を追われることが分かっていたからだろうが。


「出て来いマフメド! 見ているのだろう!?」


 夜闇の中、ロンドは小さな声で鋭く叫んだ。


「貴様、今回の儀式で姿を見られただろう! 明日には里から調査隊が派遣されるぞ!

 このままでは貴様は確実に捕まる。すぐに俺の言う通りのルートで森を脱出しろ!」


 ロンドの呼びかけに、闇の中からスッと音もなくマフメドと呼ばれたダークエルフが姿を現す。

 自らの失敗を恥じているのか、その表情は緊張しているように見える。

 ロンドは敢えて穏やかな表情を作り、両手を広げて彼女に近づいた。


「おお、マフメド無事だったか……」

「……何の用だ」


 硬い声だ。ロンドは呆れた表情で更に近づく。

 あと一歩。


「聞こえていたのだろう?

 貴様を狙って明日には里から調査隊が――シャァ!」


 必殺の間合いで振るわれた刃がマフメドの首を薙ぐ。

 が、その一撃をマフメドは予期していたように後ろに跳んで回避した。


「……ほう、良く躱した」

「何のつもりだ……などと聞くのは無粋なのだろうな」


 落ち着いた、どこか諦めたような顔でマフメドは呟く。

 それを見たロンドは大剣を振り切った姿勢で笑った。


「ははは。よく分かっているじゃないか。

 だが、そこまで分かっていたなら、俺の前に現れるべきではなかったな」


 ロンドの言葉は正しい。

 十年前もマフメドは、愚鈍な巨鬼族になど捕まるはずがないと姿を現し、失敗した。

 彼ら巨鬼族の体躯は、ただパワーだけでなく、スピードにも優れている。

 一度姿を見せれば、いくら身軽なエルフ族と言えど逃げ切れるものではない。

 十年前のまだ未成熟なロンドであっても、彼女は手も足も出ず叩き伏せられたのだから。


 姿を見せる必要はなかった。

 それでも姿を見せたのは、あるいは自分に住む場所を与えてくれたロンドを信じたかったのかもしれない。


「……奴らの言った通りか」


 マフメドは苦笑し、短く指笛を吹く。

 その音に応じて、周囲に控えさせていた獣たちが姿を現す。


「何のつもりだマフメド?

 まさか、そんな獣ごときで……この俺を倒せるとでも?」


 ロンドの三メートル近い巨躯が更にバンプアップされ、威圧感が増す。


「それこそ、まさかだ」


 マフメドは右手を振って獣たちに合図を送る。

 ビーストテイマーの力を持つ彼女の呼びかけに応じて、無数の獣が一斉に動き出す。


「はっ。結局ただ獣をけしかけるだけ――!?」


 嘲笑しようとして、ロンドは表情を歪めた。

 獣たちは一斉に動き出したものの、決してロンドの間合いに近づこうとせず、周囲を動き回っているだけだ。


(何だ? この隙に逃げ出すようでもなし、何を企んでいる!?)


「何を企んでいる、マフメドォ!?」

「さあな。少しは自分で考えてみたらどうだ?」


 詰まらなそうに、マフメドが吐き捨てる。


(ふん。何を企んでいようと、叩き切ってやればそれで終わりよ!)


 ロンドは巨鬼族らしい簡潔さで、迷いを無駄と振り切った。


「そうか……ならば、もう聞かん!」


 間合いを一歩でつめ、今度こそ回避不能なタイミングで大剣を振り下ろす。

 細いダークエルフの身体など、紙のように引き裂かれる――


「――こらこら」


 闇の中から気配もなく現れた何者かに、横から殴り飛ばされなければ。


「ぶほぉっ!?」


 凄まじい衝撃でロンドの肉体は弾き飛ばされ、地面を転がりまわる。

 頭の上を星が飛ぶ感覚というのを、ロンドは生まれて初めて味わった。


「な……なに……!?」

「いい歳した男が、女の人に手を上げるものじゃないわよ?」


 ロンドが最も恐れる存在。

 この国における最強力の一人。

 地母神メニアに仕える狂神官、ロシュがそこにいた。

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