第4話 届かない声
「新しい仕事が見つかったぞ!」
そう言ってはしゃぐ彼を落ち着かせ、彼は笑顔で話してくれた。
「君の仲間と喋れるところなんだ! いいだろう!」
私が拗ねていると、彼は、勿論君も一緒にいくんだ、と言って、持ち上げてくれた。彼の部屋に入れるのは自分だけなのだと、孤独を埋めるのは私なのだと、とても誇らしくなった。
次の植物園でも、彼はすぐにやめさせられた。一人一人と距離が近すぎるのだという。それくらいの方がいいのでは? と思ったが、そういうものでも無いらしく、彼はうなだれていた。
「どうしよう……」
大切な者を失うだけでここまで落ち込めるのかと、私はむしろ羨ましくなった。
クリスマス、流石に彼は彼女に招かれた。
「お父さん!」
泣いて突進してくる、一回り大きくなった娘に、彼は泣き笑いを浮かべた。そして、奥さんに礼を言っていた。奥さんはその後も彼の事を気にしていてくれたらしく、彼女は就職口を紹介してくれた。個人の家の庭整備だという。彼の得意分野である。彼は嬉しそうに頷き、彼女にキスをするように近づき、やめた。
どうしても、彼は私を見なくなった。新しい仕事が忙しいのだという。私が火を使えれば、ちゃんとした料理を作れるというのに、と私は考えるが、彼はそんなこと考えていないようで、私をずっと閉じ込めたままだった。時折取り出して可愛がってくれるので、私の気持ちは少しずつ回復していった。
「ごめんな。仲間と別々にさせてしまって」
彼は感受性豊かな人だった。私の気持ちも察してくれる、だが不器用な彼を、私はまだ愛していた。奥さんがいないのだから、彼は私の者だと、そう思って、嬉しくなった。
「いたっ」
彼が私の棘に刺さり、私は慌てた。そんなつもりなんてなかったのだ。それを分かってくれるのか、彼は何も言わずに、私を撫でて、絆創膏を取りに椅子から立ち上がった。慌てて彼の椅子に座ると、彼のぬくもりが漂っていた。
彼が帰ってくると、よいしょ、と私の上に座ってしまう。私が悲鳴を上げると、彼は状況に気づき、急いで退いてくれた。
「ああ、好きだなぁ」
そう言っても、彼には届かなかった。
彼はまたどんどんと追い込まれていった。追い込むのが好きなんじゃないか、と思えるほど彼は食事もろくにとらずに働いていた。
そして、倒れた。
「だから言ったじゃない」
その言葉に答える声はない。彼はすぐに目を覚ます。それは分かっている。栄養失調ということだったから。それでも心配なものは心配だった。それに、彼に言いたいことは山ほどあった。ここでは逃げられないだろう。
「何で、私の事、家族って言ってくれないの? 彼女とは離婚したんじゃないの? 何でお見舞いにくるのかしら?」
寝ている彼に近付き、耳に吹き込む。
「ねえ、何で?」
彼はうなされるように、うーん、と言って寝返りをする。今は気絶しているのではなく寝ているだけのようだ。安心しつつ、だが恨めしさがつのる。
「ねえ、起きてよ」
彼に呼びかけると、少し瞼を開けた。
「リク!」
必死に呼びかける。すると、彼は口をゆっくり開いた。
「リエ……」
その言葉に、私は絶望した。そして、彼を殺したくなった。彼は私を愛していない。
それを察したとき、私の棘は現役に戻る。彼に食らいついてやろうと、全力で広げる。
「薔薇……」
彼の言葉に耳を疑った。
「薔薇の……庭……」
入り口を見ると、彼の奥さんが立っていた。彼女は表情を歪め、信じられないという顔になり、そして、冷たい顔になった。
スタスタと部屋に入り、花瓶に乱暴に花を挿し、彼女はすぐに返っていった。
私の気分はすこぶるよかった。これで彼女はもう来ないだろう。彼は、私を選んでくれたに等しいのだ。彼は私のものなのだ。
「ねえ、起きて」
彼に語り掛けると、彼はもう目を閉じていた。
彼が起きて、仕事ができるようになるまでに、彼は仕事を首になった。
「どうしてこうなってしまうんだ……」
頭を抱える彼を見て、皆が素通りする。彼は縋りつくように本を取り出した。どんどん読み出し、最後まで読み切り、私を放った。
「……えっ?」
私は嘘だと思った。これは夢なのだと。彼が私たちを、私を捨てるはずがない、と思っていた。それは本当のはずだった。彼は、私たちを手放すくらいなら、死ぬ、とそう言っていた。だが、彼は自分の死が近づいている時、生を手放したのであろうか? 彼には、私たちが必要なかったとは考えられなかった。彼はいつも私たちの傍にいた。戻ってくると、そう思った。一日が立つまでは。彼に連絡を取ろうとするが、そんなことが出来るはずもなく、私は地面に横たわっていた。赤い汁が雨に溶けた。
私は、どうなってしまうのか、彼に選ばれたのになぜこんな目にあっているのか、さっぱり分からなかった。
毎日毎日見ていてくれたのに、どうして? そう聞いても答えてくれる彼はもう彼の世界に行ってしまっていた。彼に捨てられた私は、彼に思い出させるために必死に物語を描いた。キャンパスは、この世界だ。
「ねえ、どうして私を捨てたの?」
「その女の方が良かった?」
「ねえ、なんで?」
そう繰り返し言いながら、私は準備を進める。彼に自分の事を、今まで自分がしてきたことを分からせるために、私はひたすらに時間を費やし、完成したそれに、うっとりとした。
「これで、彼も分かってくれるはず」
そういって、私は部屋を出た。
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