昔話・属

紫煙の戒者

 まだ焼き上がってないだろ。呼びに来たって感じじゃなさそうだし、どうせお前も一服しに来た口だろ。じゃあお仲間だ。


 控室、席はあるだろうけどな、親族と職場関係のやつが多すぎてさ。俺はほら、どっちも微妙に被っちゃってるから面倒過ぎてな。どっち用に対応してもどっかしらに角が立つし道理が曲がる。そんなんだったらここでフケて煙草吸ってた方がマシだろってことで、十五分顔出したら一本吸いに来てる。覚えたての子供でもあるまいしったらそうだけど、まあ、みっともない話だ。

 血縁は端々がややこしいし、仕事は直に過失がある。針のむしろでご歓談できるほど肝据わってねえの、俺。孝二さんみたいな真似はできねえよ、年季が違うもん。顔も腹も真っ黒のクソジジイとは思ってたけど、あそこまで悪びれずにいられるんなら大したもんだよ。ちゃんと沈痛な顔してさ。……まあね、俗だけど悪人ってほどの人じゃないもの。田舎の古狸だ、ちゃんと世渡り決めてるんだから今日の俺より立派だよ。


 まあな、あいつが死ななかったのは良かったよ。

 どっちって、弟の方だよ。当たり前だろ。報告上がってきたとき、よく生きてたな以上の感想がなかったし。もう一人は……そっちが死んだから助かったんだろうなってのは、皆気づいてるよ。だからってあいつを責めるやつもいない。助かったっても入院するくらいには重傷だったし、それでいて葬儀にちゃんと顔出してんだから執念だよな。念のため言っとくけど、誰もそこまでやらせてはないからな。そもそもあいつ、言外の意図とか読めないし読む気もないし。

 あんまり無茶やってると労災下りねえぞって言ったんだけどね、聞かないからきがねもん。多分あれ諸々が終わったらぶっ倒れる気なんだろうな、それでも出るって決めたんだから、そりゃ他人の俺が何言ったってどうにもならない。その辺頑固だからな、あいつ。主張がないようでいて一回決めると意固地っていうか絶対譲らないっていうか……孝二さんもだけど、あそこの一族みんなそんな感じだったらその通りだけどね。言われたらあいつめちゃくちゃ怒るだろうな、ひひ。身内のことってのは他人に言われないと気づかないもんだから。


 あれだよ、予見できなかったかって言われたらさ、微妙なところだったからねえ。


 勾配が冗談みたいに急な階段みたいなもんでさ、危ないって分かってるけどそいつを使わないと生活ができなくって、なおかつ定期的な検査とか清掃とかそういう手間が必要で、みたいな代物。その担当業務をしくじったってだけでさ、落ち度は……まあ、あいつにはあんまりない。間と運が悪かった、で大体済ませてもらえる。

 しょうがないんだよな、ここで生きてくしかなくなっちゃったらさ。郷に入っては郷に従えってもんで、公務員なら尚更だろ。公務だよ。貧乏くじじゃないかって言われたら、まあそうですねって返すしかない。けど誰かが引かないとどうにもならないんだから仕方ないだろ。

 一応な、そうやって面倒を積極的に分だけ融通は利くようにはなってんだよ。特権って程でもないけど、ささやかにな。給料に関したらほら、田舎で公務員って時点で結構えらいから。医者様と先生様には負けるけど。

 俺は……頑張れば逃げられたかもしんないけど、俺の次がいるってやられたらな。死ぬ土地があらかじめ決まってるってのは、羨むやつもいるかもしれないがね。そこで全員蹴り倒すほど腹括れなかったんだから、そんなもん俺が悪いってだけの話だ。


 ──仕事内容はさ、ほら。守秘義務みたいなもんがあるだろ。職務上で知り得たことはなんとか、みたいなさ。つうか知ってるだろうに、あんたもこの辺の人なら……まあ、そんなに面白いもんでもないよ。鳥獣対策課みたいなもんだし。あいつらも毎年熊だの鹿だので大騒ぎしてるし、たまに人員借りるしな。


 そういうことやらされざるを得なかったから、その分だけ好きにしてはいるけどね。いい年して馬鹿みてえな色の頭にもするし、定時になったら絶対帰るし、有休も躊躇なく取る。休みの日の私服が浮かれてんのはただの趣味だよ。……誤解すんなよ、仕事の手を抜いてるわけじゃない。そこはちゃんとやった方がより誰かしらの癪に障る判定が広く取れるだろ。仕事できて言うこと聞かないのと仕事できないで言うこと聞かない、厄介なのはどっちだって話だ。そうだろ?

 まあね、小さいことやってんなって言われたら本当にその通りだ。子供ガキが駄々捏ねてんのと変わんないし、アホのヤンキーが意地張ってるって言われたらそれこそ何にも返せない。


 死んだやつ今日の主役はさ、その辺の道理は俺よか分かってたはずなんだよな。

 んや、関係としては一応従姉? みたいな感じではあるからね。伯母さんの子ってことになるんだけど、伯母さんがあっちに嫁いでから死んだから、その時点でもう他人扱いなんだよね。しかも俺がアホの盛りの頃だったから、全然覚えてないし付き合いもない。早めに後妻さんも入ったから、尚更関わりようもなかったし。

 俺だって偶然みたいなもんだからね。職場で先輩だって紹介されてから、新人歓迎会で飲まされまくってしんどくなって、煙草休憩ってことで高槻んこと生贄にして喫煙所に逃げてたときに鉢合って、煙草吸いながらそこ説明されてビビったもんな。

 だからまあ、関係としては微妙なとこなんだよ。喪主の家の次くらいには、あー……血が近いわけだからな。だから余計にやり辛い。


 どんな人でしたかったら、まあ、怖い人だったよ。


 何つうかな、例えば一つ『解決すべき問題』ってものがあったとするだろ。その問題に対して想定できる選択肢の中から、最善手を躊躇なく選べる人。

 どうしてそれが怖いかって顔してんな。

 すごい極端な例えを出すと、これから目的地に書類を届けないといけませんが、その目的地に到達する最短経路を塞ぐ形で針の山があります、迂回路を通れば時間はかかるが五体満足で到着できて、針の山に直進すればすぐに到着できるけど穴だらけの血だらけになります、そして目的地に早期に到着するほど周りの被害は軽減されますみたいな状況で、後者を選べる。

 なんつうかね、自分の犠牲をコストとして認識してないっていうか……確かにそれが一番だろうけど、それ選べないだろ普通みたいなところに突っ込んでいけるんだよ。

 どっちかっていうとさ、みんなそれなりに我が身って可愛いだろ。言い方がすげえ悪かったけど、できれば痛い目とか見たくないし、自分か他人かったらちょっと迷ってから他人に痛がってもらいたがる。

 別にさ、それ自体は当たり前だとは思うんだよ。押しつけられた他人の立場としては冗談じゃないってのも分かるし、あからさまにやると白い眼で見られるってのも分かる。でも生き物としてはさ、できる限り死にたくないわけだからさ。痛いのって死の危険についての警告だろ? それを避けたがるのはさ、仕方ないことだとは思うんだよ。

 そういうのがね、いまいち分かってない感じはあったな。痛いことが怖い、っていう皆の感覚が微妙に理解できてないっていうかね。その辺の基準がズレてんなってのは、一緒に仕事してたときに思ったね。

 死にたがりってわけじゃなかったろうし、痛いのが好きってのじゃないだろうけど……まあね、それでこうやって葬式やってんだから何がどうだって話だ。痛い痛くない通り越してもう灰だよ。


 まあ俺は向いてなかったし、早々に通常業務の方に回されたけど。……薄々古狸孝二さんのおかげだろうなってのは分かってるよ。あの人ほら、めちゃくちゃ身内主義だから。俺のこと預かりもの兼人質ぐらいに思ってんだろうな。そのくらいしか使い道がないってのもそうだけど。

 それでも親父が言うこと聞くかったら微妙なところだよ。頑固なんだよな親父もさ、腰痛めてんのに趣味の畑全然辞めねえし。誰も人の言うこと聞かねえんだよな、俺んち。俺が比較的素直な人間枠に入るくらい。嘘じゃないさ。素直で気弱だから、田舎の町役場で人質やってる……ってことにするとちょっとは見栄が張れるだろ。浅ましいんだよな、根っこが。こればっかりはどうにもならない。


 そういや俺もさ、今回のあれこれで一応とばっちりみたいなのは貰ってんだよ。ほら。

 影、ないだろ。それだけではあるんだけどな、気づいた時にはビビったよな。今んとこバレてない、っていうか表立って言われたことはあんまりない。見舞いに行ったときぐらいだな。あいつが不思議そうな顔してるから、何だったらお前影できなくなってないか、って言われて気づいた。病人に指摘されんのもおかしい話だけどな、ただその程度だ。

 地べたに影が映んないだけ、それだけだからな。精々影踏みできないくらいだ。肺やられたやつよかよっぽどマシ……殴られるな。最低にも程がある。


 煙ってさ、仏さんの食いもんだか車だかになるんだろ。

 どっちだったかな、夏になるとお経唸りにくる坊主がなんか喋ってた気もするけど、どうもちゃんと覚えてない。そもそもあの人が素直に仏さんになるタマかよったらそれもそうなんだけど。賭けてもいいぜ、どっちかっていうとバケモンになってこっちに顔出しに来る。だって俺だったらそうするね。一割ちょっとの血縁が言うんだ、分としては最悪だろうけど、こんな賭け勝つ方がろくでもないもの。


 ……焼き上がったらさ、葬式するだろ。嫌だなあ。遺影見ちゃうとさ、マジで死んだんだなってのを実感しちゃうからさ。

 出たくないんだけど、そういうわけにもいかないんだろうな。最初に言ったろ、血縁と職場で微妙な感じで紐づいちゃってるって。同僚にしちゃ根っこが近いし、親族にしては何もかもが遠い。悪口だけどさ、俺あそこまでアナーキーやれないからね。どっちかっていうと妹の方が近いんだよな、あの人。性別どうこうっていうより純然たる中身の問題だよ。俺はさ、ただの田舎もんだから。ここで生まれて死ぬのが当たり前、みたいなもんだ。好き嫌いを言うほどの器量がない──そのくらいの身の丈は分かってるよ。面白くもない話だけど。


 この煙草一本、そんで線香代わりって訳にはいかないか。

 遠いんだろう、極楽浄土。紫煙じゃ香華の足しにはならないもんかね。そもそも十万億土を徒歩で行けとか、怒るだろうなあ、絶対。何かしら上手いやり口を見つけるはずだよ。そういう女だったもの。

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