人に言えない秋仏

 本日は正々堂々たる日曜日であり、つまり世間に後ろめたさを感じずに一日の時間を娯楽に休息や堕落に費やすことを満喫できる安息日である。だがそんな日曜に家主からの要請を受け、せっせとそれなりの量のおはぎを作ることになったのは仕方のないことだろう。巡り合わせというものだ。製菓の後片付けを終え、代り映えのしない前日の残り物を混ぜ込んだ焼きそばを昼食に取る。食後の梨を切り分けていると、玄関先からどかどかと遠慮のない足音がこちらに向かってくるのが聞こえた。何事かと梨を剥いた果物ナイフを手に取ろうとして躊躇ちゅうちょした途端、


「邪魔するぞ。久しぶり甥っ子君」


 そう言って居間の入り口に堂々と立つ厚宮あつみやさんを見て、この辺りの人たちは呼び鈴を鳴らすと死ぬ祟りでも受けているのだろうかと疑問を抱いた。

 叔父は厚宮さんの登場に驚く様子も無く、二又の華奢きゃしゃなフォークで梨を突いたまま、


「もう少しゆっくり来てくれて良かったんだ。畜生、梨食べるだろお前」

「嫌そうだなあ。食べるけどさ。甥っ子君の分もどうせ食べてるだろ」

「俺はそんなに梨好きじゃないんで……あの、ご用件とかある感じですか」

「私が呼んだんだよ。言ったろ、おはぎ作ったら墓参り行くって」

「呼ばれたんだよ俺。どう思う甥っ子君。これが人を足代わりに呼びつけた人間の言い分だろうか。見ろよあの梨を悔しそうに眺める目」


 言われて叔父の方を見れば確かに普段見ないくらいに感情が滲み出た顔をしていて、このひとは普段あれだけのうのうと生きている癖にどうしてよく分からないところで妙な執着を見せるのだろうと不思議に思った。

 とりあえずこのまま会話を続けるのも空気が危ういことになるだろうと判断して、俺は咄嗟に思いついたことを口に出す。


「お墓参りは分かりました。いつものお墓じゃないんですか。歩いて行けるでしょうあそこなら」

「あっちは夏中構ったからね、しばらくお休み。人付き合いには適度な冷却期間も必要だよ」


 この中で一番それを語る資格の無いであろう人間が口にした言葉に、俺と厚宮さんは互いに顔を見合わせる。余計なことは言うまいとでも言いたげに頷く厚宮さんを見てから、俺も倣うようにゆっくりと視線を逸らす。


 机の上には大皿が二枚。並べられたままの大量のおはぎは淡い紫色で、何かの生き物の群れのようだなと思ってから、余計なことを考えた自分にうんざりした。


「誰のお墓に行くんですか」

「さあ」

「さあって」

「父さんの、つまり君の爺ちゃんだね、その人の何かだってぐらいしか知らない」

「聞かなかったんですか」

「本人が縁者だって言ったからそれでいいかなって思って」


 婆ちゃんも何も言わなかったからねと叔父が笑うのを見て、このひとは一体何をよすがに家族や血縁というものを決めているのだろうかと疑問が浮かぶが、さすがに聞くのが恐ろしくて俺は黙り込む。

 厚宮さんは俺と叔父を交互に見てから、


「……とりあえず車出してやるから、早く準備をしなさいよ」


 拝む分にはバチも当たらないだろと楽観的なことを言って、果物ナイフを掴んだままうつむいている俺に、なだめるような視線を向けた。


※   ※   ※


 厚宮さんの青い車に乗って二十分、着いたのは夏に来たのとはまた違う墓地だった。見覚えの無い寺門を通って公民館のような佇まいの建物にすたすたと入って行く叔父を追って入れば、玄関先に鎮座するおどろおどろしい顔をした半裸の老女と真っ赤に塗られたいかめしい顔の男の像が並んで飾られた様に度肝を思い切り抜かれて反射的に後退あとずさる。すると背後にいた厚宮さんにぶち当たって、俺はまた跳ね返るように驚いた。


「何。蜘蛛でもいた?」

「びっくり……しませんか……こういうの」


 厚宮さんは怪訝そうに俺の視線の先を追って、


奪衣婆だつえば閻魔えんまさんじゃん。見たことない?」

「知ってますけどこういうものは見たことありません。何ですかこれ」

「仁王像みたいなもんじゃない? いらっしゃいませーみたいな。出迎え役のウェルカム立像」


 よく分からない単語に加えて表に地蔵もいるぞと余計な一言を添えて、厚宮さんは俺の肩を一度叩いてからそのまま靴を脱いで室内へ上がっていく。このいやに生々しい彩色のされた像の前に一人残されていることに気付いて、俺も慌てて脱いだ靴を隅に寄せて叔父たちの後を追う。


 うっかりすれば脛をぶつけそうなほどに一段が高い上に急な造りの赤絨毯張りの階段を登れば、一斉に視界がずらりと並べられた仏壇で埋まった。


 あまりのことに一瞬足が止まるが、ぎこちなく周囲を見回せば階段を登ってすぐの水場で花立てを洗っている叔父が目に入った。よろよろとしながら近寄れば、叔父はいつもより機嫌の明らかに良い顔でこちらを向いて、


「向こうの方に厚宮がいるから、そっち行ってお線香上げておきなさい」

「ここ何なんですか。玄関もびっくりしましたけど、仏壇まみれじゃないですか……」

「うちの仏壇と違って骨入りだから、ざっくり言って墓場だよ。納骨堂って知らない?」

「名前だけなら知ってます」

「じゃあこれで実物だ。墓石が無いのもこれはこれでおつなものだと思わない?ここも墓地だよ。墓場の定義が『死人を埋めたところ』とするならここも立派な墓場だよ。墓石が無いけど」

「こだわりますね墓石」

「そりゃ楽しいからね墓石。まあ仏壇形式も悪いことばっかりじゃないから、私も何年か掛けてその良さを理解できてきたと思っているよ。家紋はあるし戒名もあるから、情報の隠し具合と提示の兼ね合いから最低限が保証されていると思うんだよ」


 何だかよく分からないことを嬉々として喋りながら、叔父は水を注いだ花立てを持って歩き出す。その後を追えばすぐに仏壇の前でぽつんと花束と紙袋を片手に立ち尽くしている厚宮さんの背中が見えて、今回一番とばっちりを食ったのはこの人なんじゃないだろうかと少しだけ同情した。


「ああ甥っ子君追いついたの。高槻たかつき、花立て置いてくれていいぞ」

「ここだと線香と花に供え物だけでいいから楽なんだよね。車で来ないといけないのが難点だけど」

「難点を全部他人に背負わせてよくそんなことが言えるなお前」

「ちゃんと帰ったらお礼はするよ……とりあえずお線香上げよう、そうしたらおはぎも上げてから食べよう」


 言いながら叔父は妙にてきぱきとした手つきで紙袋から出した線香を俺や厚宮さんに取り分けて、ついでに取り出していたのだろうマッチを手早く擦る。悠々と備え付けられていた蝋燭に火を灯してから艶々と赤い供物皿に無造作におはぎを詰めたパックを載せたかと思うとこちらを向いて、


「ほら歳の順だ。君からやりなさい」


 普段からは想像もできない程ににこやかな顔と不思議なほどの手際の良さに若干の薄気味悪さを感じながら、俺は言われた通りに仏壇の正面に立つ。蝋燭の淡い火で線香を炙れば、少しかかってから濃紺の線香の頭が朱色に変った。線香立てにそれを捧げると、煙がするすると真っ直ぐに昇っていった。厚宮さんは横着をして、俺がのそのそと支度をしている間に自前のライターで炙っていたらしく、俺を仏壇前からどかしてから無造作に置く。叔父は厚宮さんと入れ替わるようにのそりと仏壇の正面に立ってからゆるりと線香に火を移して、そのまま思いの外丁寧に線香皿に供えた。


 そうしてからかんかんかんと無闇に力強くりんを叩いて、僅か礼でもするように頭を下げた。その様につられるようにして俺と厚宮さんも一礼して、鈴の余韻が消えるまではそうしていた。


※   ※   ※


 穏やかな秋の日が階段側の窓ガラスから差し込み、仏壇の装飾に鈍く反射する。小さな仏壇の前に男ばかりが三人も突っ立って、もそもそとおはぎを齧っている。管理者のいる納骨堂といえども花以外のお供え物は持ち帰るのが義務付けられているようで、お供物を置いていくことができない。また持って帰るのも難儀である上に、家にもまだ作った分が残っている。ならばここで食べ切るしかあるまいと腹を括って、線香の煙もまだ薄れぬ仏壇を眺めながら、供えたばかりのおはぎに手を付けている。


「お前生活ド下手なのにこういうのはきちんと作るよね、なんで?」

「レシピ見ればやり方が書いてあるだろう。私は文字くらいは読めるんだ」

「じゃあ片付けの手引きとか読んだらせめて散らかさないでくれますか。いや頑張ってくださってるのは知ってますけど」

「読んだだけで何でもできるんなら物理で赤点取るやつはこの世にいないだろうね」

「甥っ子君この話止めよう。俺に流れ弾が飛ぶ」

「自己申告しなければ気付きませんでしたよ俺。苦手なんですか物理」

「三点取って自宅に連絡いってたじゃないか。懐かしいね」


 晴れやかに叔父が笑う。眉を八の字に寄せて厚宮さんが黙る。どちらについたものかを測りかねて俺は困惑する。

 厚宮さんはそのまま無言で食べ切った指先を奇矯な柄のハンカチで拭いながら、少しだけ長く息を吐いて、別の話題を切り出した。


「本当なら明日だろ彼岸。今日とはせっかちだな」

「祝日だとお前相手でもさすがに頼んだら悪いだろうなって思ったんだよ。あとは……そうだな、月曜の昼間に墓場ふらふらしてると通報されるんだよ今の世の中。祝日ったって休みじゃないのもいるからさ、そういうのにね」

「されたんですか」

「去年ね。三村さんに説教されたよ。ああほら巡査さん」

「足の遅い人ですか」

「お前甥っ子になんてことを教えてるの。かわいそうだろ三村が」


 どうしてお前はそうやって人の弱みばっかり覚えてるんだと厚宮さんが言えば、叔父はいつの間にか手にしていた二つ目のおはぎに食いつきながら、


「覚えているだけ上等だろう。無茶を言うなよ」


 悪びれもせずにそう言って、自分の口の端についた小豆を親指で拭い取る。そのままいつもより少し弾んだ声で、何事かを語り出す。


「ここもまたオーソドックスな墓地とは違って興味深いんだけどね、厚宮のところの墓場も面白いぞ。享年書いてあるだろ、死んだ日」

「解説はありがたいんですけど、言い方もうちょっと何とかならないんですか」

「あれがねえ、一緒の人が沢山いるんだよ。一基に三人書いてあるとして、三人一緒の年月日が書いてある。三人なら桃園だよね。だけどそういうお墓が幾つもある」

「たぶんもうちょっと違う理由なんじゃねえかな……あれだろ、うん。心当たりはあるけど」

「そうなの? 八つ墓?」

「違えよ。それはお前の方だろ」

「そんな物騒なことがあったんですか叔父さん」

「ん……七人の方は違うよ、凝橋こりはしの近くだよ。うちの辺りは三人だよ」

「三人」

「鉈でね、深夜だったから。いけないよ三男だからって蔑ろにしたら。捨てるにも仁義ってものがあるだろうに」


 ひどく血生臭い話を天気の様子でも語るようにのろりと述べて、叔父はついに三つ目のおはぎに手を付ける。一つしか食べていないだろう厚宮さんの方を見れば、無言のまま首を左右に振られた。

 流石に中年男性に四つもおはぎを食べさせるのは健康上問題があるだろうと判断して、俺はパックに残った一つを手に取る。叔父は一瞬こちらにじろりと視線を向けてから、自分が幾つ食べたかを思い出したのだろう。納得したような顔をしてそれ以上何も言おうとはしなかった。

 俺が二つ目のおはぎを食べ終わるより早く自分の分を食べ終わった叔父が、先程の厚宮さんのように指先の汚れをひどくくたびれたハンカチで拭きながら、ぽつりと呟いた。


雁貝がんかいの墓にも顔出してないな、楽しいんだよあの辺。地獄絵も見られるし」

「墓場の感想に楽しいってのはどうなんだよ」

「地獄絵って何ですか」

「あれ君行ったことなかったっけ。雁貝ってあれだ、婆ちゃんの実家があるところだよ。作家の生家があるから、ゆかりの地で準聖地みたいな扱いになっている」

「準聖地」


 当然のように出てきた聞き慣れない単語に首を傾げる。叔父は指の背で自分の頬を撫でながら、訥々と続ける。


「本人が亡くなったのは違うところだから微妙なところなんだよ。死没地と生誕地ってどっちが優先されるんだろう」

「いや考えたことないですねそういうの……」

「ベツレヘムとゴルゴタみたいなもんじゃねえの。終焉の地みたいな看板たまにあるじゃん観光名所に。弁慶義経で見た気がするぞ俺」

「弁慶はともかく義経は蝦夷地えぞちとか中国とか色々あるだろ。私としては面白いから弟を身代わりにした説を推すよゴルゴダは」

「何の話をしているんですか」


 うわごとのような会話が延々と続くことに恐怖を覚えて、俺は叔父と厚宮さんの顔を交互に見る。厚宮さんはそんな俺に哀れむような視線を向けてから、何故か深々と頷いてみせた。

 叔父はいつものように能面のような顔のまま、


「けどそういうの羨ましいんじゃないのか。どうだい厚宮」

「やだよ。ミュージカルになるような死に様なんて、当事者は面白くも無いだろ」

「君はどうだ。生まれを追われて他所で死ぬんだ。悪くないんじゃないのか」

「追われるようなことをしたくありません。命令なら別ですけど」


 叔父さん追われたいんですかと聞くと、まさかと一笑に付される。いつにも増して読めない意図を探ろうとその平然とした顔を眺めていると、


「選ぶ余地があるだけ面白いだろ。昔の人は、普通は生まれた土地で死ぬしかなかったからさ」


 死に場所くらいは選びたいだろうと、そう言って叔父は晴れやかに笑う。俺と厚宮さんは顔を見合わせてから、揃って曖昧に頷くような聞き流すような反応をした。叔父は聴衆の反応など気にも留めずに、そのまま突然に荷物をまとめ始める。


「じゃあ帰ろう。花は管理人さんが始末してくれるから、そのままにしておいていいぞ」


 先に仏様拝んでくるとだけ言って、叔父は紙袋を提げたまますたすたと階段を降りていく。その背中があまりに潔かったので文句も言えずに呆然としていると、厚宮さんが呻くような欠伸のような妙な声を上げた。


「あいつ何で墓場にっと元気になるんだ。いつもよりひどいな」

「趣味ですかね。仏様って何拝む気ですかねあのひと」

「あ、それは下の大広間に居るの御本尊。甥っ子君気付かなかった?」


 言われてみれば確かに階段の横に畳敷きの広間があった気がする。この建物に入場したときに不意討ちで度肝を抜かれたせいで、すっかり認識からこぼれてしまっていたのだろう。とりあえず階下に居るのは確かなのだから早めに確保しておいた方がいいだろうと考えて、下に行こうと厚宮さんを促す。俺としてはこんな死人だらけの空間に長居したくない。厚宮さんも異存が特になかったようで、蝋燭の火の始末だけしっかりと確かめてから、俺たちはゆっくりと階段を下る。駆け下りたいのは山々だが、それを許さない程度には急な段差と傾斜なのが腹立たしい。

 足を滑らせないように気を付けて降りている最中、背後から厚宮さんの声がした。


「甥っ子君はどうだい。何かある?」

「何のことですか。恐怖心がありますよ今のところこんな墓場の真っ只中で」

「それは可哀そうだと思うけどさ……そうじゃなくて、さっきの話」

「どの話です。身代わりにならなりませんよ」

「微妙に的を外すよなあ。死に場所の話だよ」


 死に場所が自由になるってのは嬉しいもんかね、と呟くような問いが頭上から降った。階段を降り切って振り返れば、いつもと同じようにちんぴらじみた人相の悪い顔が、軽薄な笑みを浮かべているのが見えるはずだ。けれども俺は振り返れずに、渇いた喉を湿らせながら、無難な答えを探す。


「俺にはよく分かりません。どこで死のうが死ぬのは変わらないんでしょう、じゃあそれだけだと、思います」

「それもそうか。……そうだよなあ」


 それだけのことだよなと念を押すような言葉が聞こえて、そのまま俺の横をすり抜けるようにして厚宮さんが広間に入って行く。俺より少しだけ背の高いその人の表情は見えず、ただ派手な花柄のシャツの背中が見えるばかりだ。


 広間の方から高らかに鈴の鳴る音がして、俺は急いで厚宮さんの後を追った。

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