閑話・語るに落ちる

「屋代寅太、恋人が弄ばれて廃人にされたことへの復讐……意外とさあ、記憶で混ざってたりしない江戸川乱歩と横溝正史。殺し方思い出すと区別がつくけど――悪霊島」

「巴御寮人。あの人こそ動機が純愛煮詰めたようなものでしょう。そもそもあの島全体、大膳さん以外の人間が大体愛を動機に殴り合ってる話でしょうに。黒猫亭事件」

「これ本名でいいの?お繁。愛されるために瓜子姫になりたかった天邪鬼だよねえ、愛着こじらせると厄介だなあ。ねむれる花嫁」

「横溝の、というかあの頃の推理小説の犯人役って大体偽名を名乗りますよね。しげるの方しか思い出せないんで勘弁してください。この人は動機が江戸川乱歩系じゃありませんか」


 女の死体が欲しかっただけでしょうと答えると、ソファに座った叔父は少しだけ考えるような顔をして、


「んん……そうだね、やりたかっただけで女の死体なら何でもいいからね。愛好であって愛情じゃないもんな。辞書的な分類になるけど」


 そんなことを言って、叔父は二度ほど深く頷く。一人暮らしには明らかに不釣り合いな大きさのソファに掛けて、叔父は座椅子に座った俺を見下ろしている。その様子はどことはなしに普段よりは機嫌が良いように見えて、こんな話題で盛り上がれるというのもどうなのだろうかと俺は自身もまとめて卑下しながら周囲に目をやる。

 夏真昼に開け放った窓から爽やかな風の吹き抜ける洋間。壁際に置かれた年代物のアップライト・ピアノは優雅なレースに覆われ、その傍らの小棚の上には小洒落た置時計が黙々と時を刻んでいる。それなりに整然として何となく上品ですらあるこの部屋で、何故こんな陰惨な話題に花を咲かせているのだろうかと考えると、我ながら妙な心持になる。


 簡単に言えば暇なのだ。俺がここに居候するにあたって要求されている仕事は、基本的には叔父が人間らしい生活を送れるように手を貸すというハウスキーパーじみた内容だ。生業が何なのかよく分からない上に最近片肺が無いことまで分かった叔父は、当然のように本を読むか映画を見るか仏間に転がって寝ているかの自堕落な三択を以て日々を過ごしている。積極的に散らかす訳でもないが、片付けは殆どしない。だから俺は叔父が部屋を盛大に散らかさないように見張り、隙を突くようにして散らかる本をこまめに片付ける。そんな地道な努力を恐怖と理不尽と家事の合間に行っていたので、来た当初よりは明らかにこの家はまともな人間の住む家らしく変貌したと言っていいだろう。なにせ床が本に覆われているような惨状が無くなったのだ。これだけでも去年と比べたら大金星だろう。そのようにこつこつと義務を果たした結果として、大学も未だ夏季休業中である優雅な学生の身の上としては、全く以て平穏に暇を持て余す事態になったのだ。

 とりあえず今日は洋間でロードショーでも眺めていようかと思い立ち、座椅子に凭れてぼんやりしていたのだ。すると風通しのために開け放していたドアの向こう、板張りの廊下を通りがかった叔父と何とはなしに目が合った。するとそのまま叔父はのそのそと本を片手に入って来て、俺の目の前をするりと通り過ぎてソファに沈み込むように座った。そうして二人揃って何となく無言で映画を眺めていたのだけども、それを延々と続けるのも気が引けて、どうしたものかと狼狽えていたのだ。

 すると叔父がすっとこちらを向いて、


「女王蜂の犯人と動機。答えてみなよ。君が答えられたら次は私の番だ」


 つまるところ横溝正史カルトクイズだと唐突に振られたのだ。大層面喰らいはしたものの、叔父からこういった悪ふざけの類を勧められるのは初めてだったのと、気まぐれか気づかいかの判断が難しいが、投げ掛けられた会話を打ち切るのも失礼だろうと俺は考えた。結果、過去に両親や教員から図書館に放り込まれる度に予習や勉強のふりをして読んできた小説たちの記憶を総動員して、この傍から見れば中々に趣味の悪い会話を延々と続けていたのだ。


「江戸川乱歩は個人が好きっていうよりか、個人に対して何かするのが好きっていうか……条件さえ満たすなら誰でもいいタイプだろうあの世界の犯罪者。基本が体目当てで心が審査対象外な気がする」

「一応心目当てのもあるじゃないですか、白昼夢なんかそうでしょう」

「あれを心目当てと解釈するのはまあ……分かるけどどうだろう、あれだって動機は嫉妬だろう。死蝋は偶然の産物だし」

「嫉妬ってつまり愛の副産物でしょう。なら心を欲しがらないと人でなしじゃありませんか」

「愛の真心恋の下心、なんて地口もあるけどね。まあ心有る行いだよどちらも」


 みんな愛のために殺したがるねとメロドラマの悪役のような台詞を言って、叔父はべたりと自身の頬に触れる。そのまま顎先まで撫で下ろしてから、感情の薄い声で、


「愛って動機が万能過ぎると思わないか。何やっても愛ぶち込むとそれなりに恰好が付くような風潮がある。カレー粉みたいな」

「カレー粉」

「すぐ痴情がもつれるだろ。もしくは一目惚れが熱烈なの。初恋を一生もので引き摺るんだよ。そんで愛したから殺すの」


 そんな動機でばかり動かれたら食傷するんだと読者としては随分傲慢なことを言って、叔父はのそりとソファに寝そべる。肘掛けを枕代わりに頭を載せているので、俺の方からは頭部しか見えない。どうやら横溝正史カルトクイズは立ち消えになったようだが、ここで会話を打ち切るのも気まずいだろうと判断して、俺はまず投げ掛けられた愚痴と問いの混合物に手を付ける。


「愛だからこそ一途で純情なんじゃないですか。恋とか愛とか思い詰めるから燃え上がるんですよ。酸素だって濃度上げれば火花で大惨事だって聞きましたよ」

「恋愛沙汰に限らず何だって煮詰めれば毒だよ。憧れをこじらせると嫉妬になるし、憎悪が募ると害意になる」


 殺す動機はどれだってなりえるだろと言う叔父の若白髪の多い頭を見て、なんとなくこの人が引っかかっているところが分かった気がした。

 非情激情愁情慕情恋情、すべて感情というものは等しく感覚でしかない。それなのに恋愛という情緒だけが諸々の心理的なそれらの根源として上位にいるかのような扱い――愛ゆえの過ちとか恋ゆえの悪意とかそう言った表現に代表されるものだ――を受けることについて理解ができないのだろう。

 つまり叔父は『恋愛沙汰だけが全てを包括する動機として扱われること』に対して不満があるのだ。


「ええとあれですかね、感情の根源を全部恋愛にするなと、そんな感じのやつですか」

「そうそれ。やだなあ言語化すると思春期じゃんか」

「言いたいことは分かりますよ。けどほら、いけないじゃないですか。人の好みに口を出すのは」


 確かに私の行儀が悪いねと言って、珍しく長々とため息を吐く。そのままざりざりと左手でやたらと量のある髪を掻き回してから、


「分かりやすいだけ恐ろしくないのかね、世間の人たちは……好意であれ悪意であれ、何がしかを意識されるのっておっかないじゃないか」


 君はそう思わないかと言って、叔父は勢いよく寝返りを打つ。顎をのそりと肘掛に乗せてこちらを見るものだから、俺から見ると生首が喋っているようで何だか気味が悪い。だが生首はそんな俺の感想などお構いなしに言葉を続ける。


「そもそも愛とか恋とか怖いだろ。大体それを振りかざすととんでもないことをしでかす……君の実家にもあったじゃん、ほら恋で餅を握りだす女の話」

「そんな面白い話は知らないです」

「ええと、あるだろう湖。大きいやつ。その対岸に住んでる恋人同士で、逢瀬の目印に男は岸で火を焚いて、女はそれを目指して湖を泳いで渡る。そして餅をくれる」

「ああ昔話ですね。知ってますけどその話で餅を主眼に置かないでくださいよ。全体的におめでたくなっちゃうじゃないですか」


 勿論めでたい話ではない。俺の実家の県に伝わる、どうしようもない悲恋の話だ。

 俺の県には馬鹿みたいに大きな湖が有って、それを挟んで向かい同士の村に暮らしていた男女がいた。二人の恋人は夜ごと逢瀬を重ねていたが、安全な湖の周囲を回って落ち合うのではいかんせん時間がかかる。そこで娘は僅かな逢瀬の時間をより長くするために、男に岸で火を焚いてほしいと願う。自身はそれを目印にして、身も凍るような冷たさの湖を泳ぎ渡ろうと考えたのだ。その一途な恋情は女の身を火のように熱くし、見事夜闇に凍てつく湖を泳いで男の元へと辿り着くのだ。結果、その執念の凄まじさに怯えた男の裏切りによって、女は水底に沈むのだからやるせない話だ。叔父の言う餅とは、娘が酒の肴にと餅米を手にしてくるのだけども、それが火照る体と湖水のせいで餅になっているという記述があるからだろう。そこだけ切り出すから何だか愉快なことになってしまうのだ。語り方にも作法というものがあるだろうと考えて、そもそもこの人はもっとひどい説明しかしないなとこれまでのことを振り返って暗澹とした気分になった。

 そんな俺の鬱屈など気付く様子もなく、叔父は朗らかな声で続ける。


「うちにも入水して龍になった長者のおかみさんの話があるよ。恋も愛も何もないの。威張ってたら家が滅んで恨んで身投げしたら龍になって、生贄の真心に触れて天女になるの。すごいね」

「是非はともかく強いですね。少しもブレない」

「こっちの話はそんなのばっかりだよ。何かこう、純愛とか大恋愛とかそういうのがあんまりない。おおよそがそれどころじゃない」


 私は竹やりの話が好きだなあと言って、叔父はうっすら笑ってみせる。取り出された単語が明らかに物騒で、きっと救われない話なのだろうなと俺は予想する。


「嫌な予感しかしませんけど聞きますよ。何ですかそれ」

飢渇けがずの話だよ。飢えて困った女がね、留守の家を訪ねるの。すると台所に炊けた米が有る。で、それを夢中になって食べてたら見つかって、薪で殴られる。泣いて謝って伏せてるうちに家主が裏庭の竹やぶから伐り出してきた竹やりでぶっすりして池に沈める。後にみんな滅びる」

「ひどい話じゃないですか。どこ省いたんです」

「省いてない。本当にこういう話だもの」


 結局誰も助からないねと言う叔父のうきうきとした様子に、この人はどうして『好きな話』という前置きでこんな話を持ち出してくるのか分からなくて首を傾げる。こういう趣味の悪さは父と――兄と同じなのだなとふと思ったが、口に出すのは止めておいた。

 そんな俺の気づかいをよそに、叔父はいつものように淀んだ目をしばたたかせて、


「色恋沙汰ならね、茶屋の看板娘の話があるよ。常連の武士が惚れ込んで付きまとうようになって、嫌になって毒を盛るの。けど見破られて逆上されて斬り殺されて、化けて出る。総合して私は彼女がかわいそうだと思う」

「かわいそうなのは確かですね。けどその話も何なんですか。武士にひとかけらの理も無いじゃないですか。どうして惚れ込んで殺すんですか」

「あれじゃないか、可愛さ余って憎さ百倍。けどいくら好きな女でも毒盛られたら可愛さ払底するだろう。それで許したらかえって怖いんじゃないのか」

「深い愛っていうか……それはもう狂信とかそういう類ですね」

「少なくとも人が持つ類の愛じゃないだろ。神様とか化け物とかそういうものの領分だ」


 そういうのは私は苦手だなあと言って、叔父はほんの少し眉根を寄せる。そのまま顔が肘掛けからずるずると下がっていって、乗り切らなくなった両足がとんと床についた。

 ソファに取り縋るような妙な恰好で黙ってしまった叔父を見ながら、俺は少し考える。愛するのも愛されるのも俺にはどちらの実感も経験も無い。だが、義務教育と趣味的な読書に教育的な鑑賞の知識からすれば、きっと人が人を愛するのは便利なことなのだろうと思う。何せ汎用性も評価も高い。先の餅娘だってそうだ。彼女はどうして人には困難な冷え切った夜の湖を身一つで泳ぎ切ることができたのかと言えば、青年への愛で体が火照っていた――それこそ餅も蒸かせるほどに――からだろう。こんな具合に人間の生理まで変えてしまうのが愛の力だというのなら、上手く使えば色んな成果が生み出せるのだろう。

 ただそれは容易に反転する。マグロのさくを易々と切り分ける包丁も、人に向ければ手軽に肝臓を抉れるのと同じことだ。愛によって生み出されるその熱量は、善悪どちらにでも成れるのだ。

 叔父に訊こうとして、何を訊きたいのかを把握しきれずに、そのまま俺は口を閉じる。どう訊いてもこのひとはきちんと答えてはくれるだろうが、およそその答えがロクなものではないことも想像がつく。そもそもこのひとのことだから、きっと何かについてわざわざ言及してくれるのだろう。そんな自分の足元に地雷を仕掛けるような真似は避けたい。


「愛の言葉の数だけ犬死にってさ、意外と的を外しちゃないのかもしれないね」

「何ですかそれ」

 

 地雷が勝手に口を聞いた。俺は観念して、言葉の続きを待つ。


「歌詞だけどさ。少なくともそれだけ万能ならさあ、死ぬ理由にくらいは易々となるだろ」


 犬死ににさえ建前が付く。それならある意味救いになるのかもしれないねと言いながら、叔父はもう一度ソファに座り直す。そのままくるりと俺の方を見て、信じがたいほどに朗らかに笑ってみせた。

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