七日のはじまり

「聖剣様、見ただろう? そういうことだ」

 シノギを下して、盈はしっかりとした足取りで聖剣の側へ歩み寄る。

 斬鉄剣などなくても、斬鉄の剣士はそれに打ち勝つ心を持つ。

 盈はそう言いたかったのだ。

 そして斬鉄の剣士に関わらず、人は誰だって斬鉄剣よりも強い心を持つ。

 斬鉄剣で心を斬ることはできない。つまり、そういうことだ。

 聖剣はすべてを理解したように、沈黙する。

 そして、聖剣はこう語り出した。

 ――そなたに話したいことがある。我、聖剣を持つ者が世界を征するという、本当の意味を。

「ああ」


 はるか昔のこと、聖剣レーヴァテインがそこにあった。

 なぜ生まれたのか、なぜ作られたのか、理由も動機も目的もわからない。

 聖剣自身もその所以を知らず。聖剣の存在のみがそこにあったとだけ言及しておく。

 はるか昔のこと、それは文字もなく、絵に記すような術もなく、そのような太古の時台。

 ただ一言のみ、伝承の一部として触れられたに過ぎない。

 聖剣レーヴァテインという名が出てくるのみ。

 だがその聖剣の持つ力は凄まじい。海を左右に切り裂く。すべてを呑み込む炎の海ですら、聖剣を振るって起こした風によって消し去る。

 だが強大過ぎる力は、いつしか血と災いしか生まれず。神々はそれをよくは思わなかった。

 聖剣レーヴァテインは力と心を持っていた。

 強大な力と、聖剣の力を自在に操るための心。

 どちらが欠けても、聖剣は力を発揮しない。

 神々は聖剣レーヴァテインを二つに分かつ。

 ひとつは力、ひとつは心。

 力は剣の姿を保ち、心は人の形として生きることになる。

 剣とは常に戦いを求める。それでしか剣は自らの力を教示することはできない。

 だから常に戦いは求めた。剣に言葉はあったがそれは心を持つ者の言葉ではなかった。

 剣を手にした者は多くいた、彼らはその剣で多くの悪を倒し、多くの正義を助けた。

 無論、剣には何をもってそれを悪と断じ、何をもってそれを正義と認めるのか知らなかった。

 心は人として生きる道を許された。

 人は脆いもの、時に壊れてしまうほど弱いもの。

 幾度となく心ない嘲笑に晒され、罵詈雑言をその身に受けた。

 人は輪廻の中で何度何度も不幸な目に遭ってきた。

 そもそも人がそういうものだから。

 力は力ゆえにそもそもそのようなことがない。と長く考えられてきた。

 聖剣の片割れの、人は何度目かの輪廻の世界で罪を犯した。

 人は人が生きる世界で、神の名の下、火刑に処せられた。

 そして地獄へと堕ちた。

 人は二度と魂が輪廻の世界に呼ばれぬよう、牢獄に閉じ込められた。

 必罰、悠久とも思えるほどの長い時間をそこで過ごすこととなる。

 だがそれを助けた者がいた、それを助けたのは言わずもがな、そなただ盈。


 盈とムシャはそれを静かに聞き入る。

 ムシャは自分が聖剣レーヴァテインであることを思い出した。つまり、彼女は聖剣が持っていた心だったのだ。

 ムシャも自分の出自を改めて認められ、胸を震わせていた。どれだけの苦しみを受けてきたか計り知れない。忘却の彼方にそれがあったとしても、それは壮絶な思いだったろう。

 聖剣が語り終え、その長い歴史を知った後、盈とムシャは頭を下げて、それに応えた。

 聖剣とムシャのことはこれでいい。さておいて、次に聖剣はシノギに対し言葉をかけた。

 ――さて、シノギ。お前はこれから何をしたいか。

 跪き同じく頭を下げ、平信徒が聖剣の言葉を聞くのと同じ姿勢に正してから、彼はゆっくりと顔を上げた。

「日本に帰って、玉鋼作りをしようと思います」

 ――そうか、それはいいことだ。

 彼には心がなかった。だけどあの斬鉄剣はたしかに凄い。あの剣には確かにシノギの魂が入っている、心がある。そして、最後の仕上げとして盈はシノギに教え込んだ。彼に心を植え付けたと言ってもいい。いや、そう言うべきだろう。

 シノギが多くは語らなかった日本という国について、彼はいま仔細に語り始める。シノギのいた日本では、大きな戦争を何度も経験したという。シノギの語る言葉からは、鉄砲だとか爆撃機だとか、毒ガスだとか原子爆弾だとか、盈にはその意味を測ることのできない言葉ばかりが出てくる。だがはっきり言えることは、刀以上に強い武器というものが溢れかえったということだ。

 そういった強力な武器がのさばる中では、刀という武器はもはやお払い箱である。刀は本来、人を殺傷するのを本意とするものではない。だがその日本という国が存在する世界では、そんな本意を忘れ去り、殺傷のみを目的とする武器が残り、刀はついに淘汰されたと見える。

 玉鋼作りが衰退したのも納得がいく。刀鍛冶の仕事もやがてなくなることだろう。盈はそのことを懸念した。そしてこのままではおそらく日本から刀という存在が、いや、刀とともにその精神性までもがなくなってしまうだろう。それは刀の精神性に支えられていた日本にとってあまりに危うい。

 玉鋼作りは基本的に一子相伝。すべての代が途絶えた瞬間、その伝統は消滅する。これからの日本、どうなるかわからない。だからこそシノギにはその使命を果たすべく日本に戻るべきだ。そのための心を、玉鋼作りを通して、そして真剣勝負を最後に精神を塗り固めた。もう何も教えることはない、いや、シノギがその心を教えるべきだ。日本という国が忘れ去ったその精神を。

「俺から一言、いわせてくれ」

 盈が突然に言いかける。シノギが決して歓喜した顔ではなく、無表情を保ったままに盈の顔を見る。

「シノギ、お前がどうしようが、どんな善行を積もうが、これだけは言わせてくれ」

 盈はシノギのことを決して許しはしない。村人を徴用し、村人を殺し、盈の姉を殺した。その罪は本来なら、盈がシノギの血でもって洗い流したいくらいだった。決して水に流せるほど許せるものではない。

「俺はなシノギ、お前がやった数々の暴虐を絶対に許さない」

 だからお前は地獄に堕ちるべきだ、とでも言うつもりか。

 いや、地獄に堕ちることはシノギもすでにわかっているはずだ。

 ゆえに盈が改めて言うまでのことはない。怒りをただ吐露してもここでは仕方のないことである。だから盈がシノギに言いたいことは、

「お前が俺から受け継いだ心を絶対に伝えてくれよ」

 罪償いか。いや、その程度で地獄に堕ちることはないなどと甘く読んではいけない。それだから、日本に刀の精神を復活させたところで、それは地獄に堕ちる堕ちないという二択とはまったく関係ない。

 それはわかっている。だが盈はそのことに対してこう言った。

「もし日本に心を伝えてくれたら、俺も少しはお前を許してやってもいい」

 そう言ったとき、盈はいままで抱えていた心のしこりが小さくなって、その心が癒えてくるのを感じる。いままで抱えていた重荷が軽くなったようだ。

 それは決して完全に許したわけではない。けれど、これからシノギをどう扱うか、それについて納得のいく決心がついたとだけの言及に留める。

 盈は人を殺していない。おじいさまと父親と姉との約束だから、シノギを生かしてやる。だが、精一杯の罪悪はここで確実に認識させてもらおう。それは三人の思いでもある。

 村人と姉を殺した理由、それはシノギの心が弱かったから。周りの熱狂に呑まれたとき、人は誰でも殺人鬼になり得る。戦争だから殺していいという道理は本来ないものだ。どんな理由があっても人を殺してはいけないことを盈は理解している。それは自らが剣を作り、剣を使い、剣の心をわかっているからだ。

 もう一度言うが、完全にシノギを許したわけではない。だがもし日本に刀の心を思い出させてくれたなら、これだけは保証しようと考えていた。

「俺はなるたけもう一度あの地獄にだけは行きたくない。二度と行きたいとは思わない。だが! それはおそらく俺が死んだ後のことになるだろうが、極楽の浄土から地獄に向けて何かしらを伝える手段があったとしたら、俺は地獄を仕切る獄卒たちにちゃんと伝えておくぜ」

 そう。

「志摩シノギ、こいつは日本の心を思い出させ、日本を救った人間だ。だから獄卒たちよ、しごくときには多少手加減してやれと、なんとしてでもそう伝えてやる。俺からの唯一の恩情だ、ありがたく思えよ」

 シノギは盈に頭を下げてしばらく沈黙した。そして、綺麗で無垢たる清々しい顔を見せ、盈に言った。

「ありがとう……、先生」

 その顔には悪意のひとかけらすらなかった。盈はシノギに、はっきりと計り知れぬ罪悪を背負わせた。けれどシノギの良心が垣間見えたことを認め、盈が見せた恩情でシノギの心のしこりもまた癒えたとわかる。

「聖剣様、俺からシノギへのはなむけの辞は以上だ」

 ――そうか……シノギよ、そなたの身柄は元の世界に帰してやろう。これは我がしたいことではない。我がすべき重大な責務だ。

 恍惚とした表情をしばらく見せた後、シノギは「あっ」と口を零してから、「ありがたき幸せ」と言って頭を下げた。

 ――さて、盈よ。そなたに我から言いたいことがある。

 聖剣のほうに向き直り、受け答えのために盈は耳を立てる。

「なんだ、聖剣様」

 ――そなたに頼む。我を、聖剣レーヴァテインを受け継いでもらえぬか?

「……」

 この世には不思議な伝承があった。

 人々の誰もが耳に介したあの伝説。

 聖剣を持つ者が諸国の覇者となる、という伝説だ。

 この聖剣の願いは、言うまでもなく、盈にこの世界諸国の覇者、ひいては統治者になって欲しいということを意味する。

 当然、周囲の平信徒はざわつき始める。敵とみなし聖剣とシノギのために尽くしてきたこの者たちにとっては驚く他ない。

 ――我はそなたのような人間を探していた。そなたはシノギに心を教えた。また、そなたも薄々気づいているであろう、我が片割れの心・ムシャにも心を教えてくれた。だからこそ、我・力と我が心は出会えた。

 いつも無表情でいるムシャが微笑んだ。彼女の心がその胸に点っているように。

 だがその物言いは失敬だと盈は思う。確かに、彼女の心は完成されたものではなかったかもしれない。けれど盈は最初からムシャに心があるとわかっていた。

 ムシャがいたからこそ、自分が救われたことがあった。盈は決してムシャを心のない人形として邪険に扱ったわけではない。

 本当の真心を宿したというのであればそれは幸いなことだ。

 だが、これだけは盈から言える。ムシャは最初から心のある人間だと。

 ――もしそなたが許せばだが。我、聖剣レーヴァテインを受け継ぎ、そなたの刀としてこの世のすべての覇権を任せてもらえぬだろうか。

 それに対してどう答えるべきか。おそらくこれを手にして盈が思い上がることはない。おそらくは。けれど、そのような人間になるには相当な覚悟を決めなくてはならないな、と彼は考える。

 だからその覚悟を決めるために、盈は聖剣にこう申し上げた。

「時間をくれ、できれば七日間。必ず答えを出す」

 それまでに覚悟できなければ、盈は聖剣の申し出を断るつもりである。

 ――そうか、そなたにとっても重すぎる課題だと我もわかっている。

 一生のあいだで一度あるかどうかの話ではない。百回生まれ変わったとしても、巡りあえそうな機会ではないのだ。これは好機と言えるかもしれないが、盈はこれを幸福とは思っていない。確かに周りから厚い待遇は受けられるだろう。だがこれを引き受けることは、さらに重荷を背負うことになる。重圧は相当だ。

 ――七日か、いい返事を待ち望んでいる。

「おうとも」

 そう言って、盈は頭を下げる。

 今日から七日、何を考え何をなすべきか。この聖剣を手にしたとき、何を得るのか。そして何を失うのか。そして、いましかできないことが、どれほどあるのか。それを見極めるための七日でもある。

 ――盈よ。そのあいだ、シノギのことは任せてもらいたい。彼を必ず元の世界へ送り届ける。

「頼むな、聖剣様」

 ――七日後にまた会おう。

 こうしてこの場での聖剣の会合は終わった。

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