勝負は結審する

 互いに相構える。士としてさまになった顔だが、それだけに過ぎない。

 斬鉄剣の刀身は、新月に成り代わる寸前の月の端のようだ。

 シノギがその剣を持っているということ。おじいさまの作った剣を折り砕いたくだんを見れば、両者の力量差ははっきりしているのか。

 だが力量とか力量差などを言えば、それは盈にとって噴飯物である。

 まともに斬り合って勝てる代物ではないことを彼は理解していた。

 だからこそ盈はまともに相手にする気などなかった。正攻法ではまず勝てないのは承知の助である。

 そんなことは説明する前から知っているのだ。

 それならば、ここで見せるのは、正面から剣戟を交わすことにはない。

 言うなれば、盈が天狗の了見で相手と戦うだけだ。

 斬り殺して勝負に勝とうなど思ってもいない。盈はただこの力量だけの男に教え込まなくてはならない。それが固い決心だった。


 ――始めよっ!


 聖剣様の声の合図で、勝負は開始された。

「悪いな! 先生!」

 斜に構え、シノギは真っ先に肉薄する。

 抜き身の刀で盈を横薙ぎに斬りつけようとした。

 猪突猛進と言ったところか、こいつに鳥の気持ちがわかるはずがなかろう。

 だから盈は天狗かカラスにでもなって、こいつを俯瞰してやろう、と。

 次の瞬間、盈は目前で跳躍し、シノギの兇刃を軽くかわす。

 そして、斬鉄剣の横っ面、鎬筋に下駄履きの足で乗った。

「なっ!」

 シノギや騎馬兵一座はこの光景は前にも見たはず。

 まるで学習していない。これだけ戦ってもわからない。まだわからないのか。

「本当に分が悪い、分が悪い!」

 憐情に言って盈は、あと何回飛び乗ることかと、呆れて吐息をする。

「やはり天狗と言ったところか、先生」

「天狗と呼ぶならそれもいいだろう。だがシノギ、お前のような手腕だと、天狗の長い鼻の一本や二本、へし折ることはやぶさかじゃないぞ」

 下駄底に力を入れ、天井の端、すれすれまで跳び上がった。

「――ッ!」

 落下して左肩に蹴りを入れる。というより踏むというほうが正解かもしれない。

 シノギの左肩を踏み台にして、再び後方の立ち位置に戻り、盈はシノギと距離を取る。

 二人の間は斬鉄剣の刃渡りにして三本分の距離。

 シノギは顔を歪めていた。痛そうだなと言うよりかは、驚きが顔に表れていると言ったほうが正しい。

「お前の玉鋼はその程度か、シノギ」

 あれだけ苦労して作り上げた玉鋼。その玉鋼で作られた斬鉄剣。それを馬鹿にされることは、シノギの矜持を踏みにじられたのも同じだった。

 さぁいか、怒れ、と盈は心で念ずる。

「い、一発でも当たれば、俺の勝ちなんだよ!」

 シノギが言うその一発や二発を無駄にすることが、どれだけ刀を粗雑にしているかよくわかる。

 盈は声を張り上げた。

「その気持ちの分だけ、大きな隙を見せているようなものだ!」

 右脚を掲げ、盈は下駄底を突きつける。

 左足に力を入れて前方に跳び、今度は顔を蹴り潰す構えを見せた。

「今度こそもらった!」

 シノギは接近する。このまま袈裟に斬って刀を振り下ろせば、盈の身体に当たる。

 そう踏んで不気味な笑みを浮かべた。

 笑うのは果たしてどっちか。

 斬鉄剣の切っ先が描く軌道は、盈の左脇腹の横をすり抜ける。

 そして、盈はシノギの後方に着地する。

 何が起こったのか理解するのに、シノギは精一杯なことだろう。

 あと一寸違ったら盈が脇腹を斬られていた。

 いや、盈はその一寸の誤差さえも読んでいたのだ。

 完全に斬鉄剣の間合いを、すでに把握している。

 そんな簡単に自分の動きを読ませはしない。

 シノギは完全に盈の手の上にいると言っても過言ではない。

 下駄底で顔を狙って、どう動きに来るかを、数通りに絞って計算したのだ。

 どういう斬り方で来られても、シノギがどう動くかわからしめる。

 隙があるといったどころの話ではない。シノギは盈の舞台の上で踊らされているに過ぎない。

 屈辱を起こしてか、シノギは息切れを起こし、ゆっくりと立ち上がる。

「おの……れ!」

 斬鉄剣の兇刃を食らわせようと後ろを向く。

 だが、振り向く時間さえ与えず、盈は刀が届く間隔まで迫っていた。

 残念なことに盈の刀はすでに振り下ろされていた。

 盈の刀剣がシノギの右肩を捉える。

 鈍い音を立てて、殴打の音が聞こえた。

「峰打ちだ」

 骨は折れてない、盈は手加減をしてやった。

 多少の内出血は覚悟しておけと、盈は小さな声で言った。

 シノギの被虐な心を蝕まれるのをひしひしと感じる。そんなシノギの怒り顔は誰にも見せられるものではない。

 背後に立ち回って、仕掛けてきた攻撃が峰打ちだという。

 恩情でやられたとしたら、矜持は保てない。遊び戯れにやられたほうが、まだマシなほうだった。

 だから盈は口角をあげて、道化師のように振る舞った。

 これがそもそも真面目に斬りかかられてたら、そこで勝負は完全に終わったはずなのに。

「おのれ、先生」

「これがお前の力というやつだ」

 どうとも言い返せなかった。この時点でシノギは自分が敗北している。勝利するのに必要な力を持ち合わせてなどいない。盈はシノギにそのことを悟らせた。だが、

「どういうことだよ。斬鉄剣だ、俺が負けるわけが」

 シノギはまだ頑なに否定する。

 シノギと距離を再度取ってから、盈は淡々と語り始めた。

「斬鉄剣、鉄を斬る剣、笑わせるな、できることとすることは違うんだよ」

「俺は斬鉄剣の士だぞ、先生」

 実に先生に向かって無礼な言葉を平気で吐く弟子だ。

「いっぱしに士を語ってくれるな」

 盈はシノギを中心に捕捉しながら、ぐるぐると周囲を回って動く。

 双方、刀を持ちながら、距離を詰めたり開いたりの繰り返しをするのみで、いまだ次の攻撃方法を選ばない。

 それを知っているのだろう、盈はなかなか斬鉄剣の間合いに入ろうとはせず、ひたすら巧妙に足を動かす。

 肩の痛みに耐えているのか、シノギの口は食いしばった形をしていた。とても格好のつかない無様な姿である。

「力を持つこと、斬鉄剣を持つこと、そんなもの力があるということじゃねえんだよ!」

「何を言って……やがる。斬鉄剣は最強の剣だ!」

「ああ、だがそれをお粗末に使っているお前に力があるわけねえ!」

 もっともな道理を言われ、シノギが怒り心頭にならないはずがなかった。

 大股になって双方の距離を一気に縮める。

 感情にまかせて詰め寄り、今度こそはという勢いで斬りかかってきた。

 だが身のこなしは盈のほうが上だ。

 盈は肉薄する寸前で軽く助走し、腰を落として床上で滑り込んだ。

 シノギの大股を盈の身体が通り抜ける。

 把握するにはすでに遅かった。

「あっ!」

 斬鉄剣を振り下ろすのは完全に遅く、盈はシノギの御業で転倒し、醜態を晒してしまった。

 何が起こったか、シノギにはまったくわからなかったであろう。

 滑り込む際に盈はシノギの足を引っ掛けた。

 さぞかし視界はぐるりと回ったことか。

 さらに格好のつかないことに、シノギは斬鉄剣を手から落としてしまった。

「無様、それでよく斬鉄剣の士を名乗れるものだ、まして士ですらねえ!」

「この、野郎」

 打ち震える激情を見せながら、シノギは落とした斬鉄剣を素早く拾い、立ち上がって不器用に抗戦の構えを取る。

「やめておけ」

 まるで偉そうに盈はシノギに言ってやる。

「なんだと!」

 シノギが怒りを露わにしないほうがおかしい状況だった。だからこの反応を取ることを盈は当然理解の内にある。

「ひとつめ、いま斬鉄剣を拾い上げるまでの長い時間、本来の俺なら、すでにお前を斬っている」

「……」

 両肩を震わせながら、シノギはわなわなと感情が昂ぶる息づかいをする。

「ふたつめ、さっきのが峰打ちでなかったら、そのときもまたお前は死んでいた」

「ふざけた真似を……ほざくな!」

「それがお前の弱さだ、まだまだ足りないんだよ! そんなお前が斬鉄剣を持つ? ふざけるな、お前にはそんな資格すらねえんだ!」

「……」

 沈黙する他なかった。だがシノギは怒りの表情を改めない。

「そして、みっつめ。これを食らったとき、それがお前の最後だと思え、それこそ本当に斬られたと思うぐらいに」

「この畜生め」

 互いに睨みを利かせ、これ以上勝負の行方などないくらい。緊張の糸を極限まで張り詰める。

 息も吐く隙すら与えなかった。

 次もまたシノギのほうから斬りかかった。感情的にそろそろ限界が来ている。そろそろ終わらせなければならない。

 シノギが振りかぶった斬鉄剣、正面から入る。

 ここまで彼に近づかれたら、あとは刀剣で受け止めるしかない。

 だが、その選択肢はないと思われる。

 鉄を切り裂く斬鉄剣、その刃を刀剣で受け止めることはできない。それは何度も理解してきたことだ。

 斬鉄剣の刃を刀剣が受け止めれば、断面を残して輪切りにされるか、折り砕かれる。そうなることは盈だって理解している。シノギと盈の二人がはじめて会ったときに、もはやすでにわかっていたことだ。

 斬鉄剣はあらゆる武器を壊す。おじいさまの刀ですら壊してしまった斬鉄剣は実に罪深い。

 シノギはだからこの斬鉄剣を欲しがっていた。兵士が武器を手に入れる感覚ならまだ安泰だ。だが、こいつは子供が玩具を欲しがるように手にしたから、たちが悪かった。

 子供心に斬鉄剣があらゆる武器を壊すと考えている。

 その過信が命取りになるのか。

 いや違う。その過誤が命取りになるのだ。

 シノギは決定的な見落としをしている。

 盈はそれをわからせるために、横薙ぎに刀を振るった。

 耳が痛くなるほどの金属音が城内に響き渡る。

 刹那、盈の刀が斬鉄剣を受け止めている状況を、平信徒、聖剣様、ムシャが認めた。そして誰よりもシノギがそのことを認めてしまう。

 盈の刃は壊れなかった。盈の刃が受け止めたのは、斬鉄剣の平たい横っ面、鎬筋しのぎすじの部分だった。先ほど盈が天狗のように下駄底を乗せた部分だった。

「なんだと……」

「斬鉄剣はなんでも斬れる、その鋭い刃だけでな」

 たとえ斬鉄剣が片刃だろうが諸刃だろうが、まったく関係がない。刃物の側部で物体は斬れない。包丁の平たい部分で豆腐が切れないのと同じくらいわかりやすいことだ。

 盈はぐぐっと力を込めてやる。もうそろそろ終わらせてやろう。

 盈の刃を受け止めただけに過ぎない斬鉄剣が、横に曲げられるように押される。盈の手腕にどれほどの力があるのか計り知れない。こんな不器用な受け止め方で、斬鉄剣が振り払えるのか、と。

 だが事実だ、盈は右に大きく払って斬鉄剣の間合いを飛び出し、盈は素早く後方へと跳ぶ。

「こ、こしゃくな!」

 シノギは素早く斬鉄剣を薙ぎ上げ、その切っ先が盈の下顎を捉えようとした。

 こしゃく。

 その言葉を放ったことで血眼ちまなこになったのはシノギではなかった。

 血眼になったのは盈のほうである。

「こしゃくなのはてめぇだぁああ――ッ!」

 諭すように言ってから、盈が後方に身体を回転し、下駄の先が三日月を描いた。

 その軌跡がシノギの肘に見事に当たった。

 腕が痺れたように力が抜けたのを、盈が見抜かないはずがなかった。

 斬鉄剣を取り落とし、盈は素早く下駄で斬鉄剣を踏みつけた。

「しまった!」

「なぁにが、しまった、だよ? 所詮それがお前の力だ、シノギ」

「……」

「力を持ってても、力はない。力を持ってなくても、力はある。これが歴然の差だ」

 盈の厳しい言葉に、シノギはぐうの音も出せなかった。

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