シノギは、
◆
再び目を開けると、赤黒い空が視界に入った。やはり地獄で見た泡沫の夢だったかと盈は残念がる。だがぬくもりに触れていた。それが誰かの膝の上であることに気づく。
いままで感じたことのないぬくもりだった。姉のぬくもりとは少し違う。けれど、その感覚に少しだけ親近感を抱く。なんだろう、この不安定な感じは。
視線を動かすと、そこにムシャの顔が目に入る。だが。
「ムシャ……」
「気がついた? 盈」
だがそんなことが些末に感じるほど、凄く気になることがあった。
「お前、どうしてそんなあられもない格好を」
「……?」
ムシャの身体は一糸まとわず、生まれたままの格好をしていた。
あまりの大胆さに、いやだがその格好になぜなっているのかという疑問がよぎり、冷静さを取り戻す。
「お前、甲冑はどうしたんだ?」
「わからない、砕けた」
「砕けた?」
「うん、木っ端微塵に砕けた」
それはそれでよかったかもしれない。だが、目のやり場に困っていまの盈が分が悪い状況にある。何かしらの間違いをおかすつもりは毛頭ないが。
盈は上着をとりあえず羽織らせようとするが、このとき自分が上着を身につけていないことに気づく。
「俺の上着はどうした?」
「燃えた、ぼろぼろになった」
「その上着をどこにやった?」
「捨てた」
この状況下でムシャは機械からくりの調子で受け答えする。せめて恥じらいというものを持って欲しいところだが。悲鳴さえあげてくれたら、それこそまだマシなほうである。目のやり場に困って、盈は背筋を凍らせる。
「だけど、どうして甲冑が砕けたんだ?」
ムシャが指差す。ここは土塊の丘の高みだった。ここから彼女の指先に目を向けると、黒く焦げた煙を吐き出していた。
あれは、シノギが玉鋼を作っていた洞窟ではなかろうか。
「何が起きた」
「炎をあげて洞窟が爆発した」
盈は上体を起こす。そのとき、何か硬いものが、ごとっと倒れる。
「これは……」
それは刀剣だった。改めて問うまでもない。シノギが命懸けで作った玉鋼で作られた。おじいさまと父親と盈に相槌を打たれて作られた。
斬鉄剣だった。
「なんで、これが」
「……?」
不思議そうな顔でムシャは斬鉄剣を見つめる。なんでこんなものがここにあるのか、と言いたげな不思議さであったが。いま感じる盈の心臓が跳ね上がるほどの驚きを鑑みれば、その感情の相違はかなりの落差だ。
あれはただの夢ではなかったのか。
だが、それはあとで考えるとしよう。
「シノギは、どうした?」
「まだ、あの中……」
冷静に冷たすぎることを言う。だが盈を助けるだけで手一杯だったのかもしれない。
甲冑を壊してこんな格好で盈を助け出させたのも、心苦しい。
「助けに行く」
「駄目」
ムシャは首を横に振った。
「もう助からない、とでも言いたいのか? ムシャ」
「……?」
「お前って奴は、心がないんだな」
「こころ……」
まるではじめて聞いた単語のように捉える。たとえ盈が自分自身に心がない人間だと思えと言い張ったとはいえ……。
だが俺にはシノギを助ける責任がある。
「俺を止めるな」
「盈……」
「そんな顔するな、無事に戻ってくるから」
「私、盈がいなくなるのが怖い」
むんず、と左手を引っ張られる。
感情のない無表情のムシャがいまさら何を言っているのか。そう言おうとばかりの思いで盈は振り向く。
「シノギを放っておけない、ムシャ、俺の手を離してくれ」
「でも因果応報だよ。盈のお姉さんはあの人のせいで、死んだんだよ」
そんなことは絶対に死でもって償わせない。そう叫んで、ムシャは首を傾げる。そのように考えるに至るまで、
「盈……」
一筋の涙がムシャの瞳から流れる。そんな表情を見るのは、彼女の出会ってはじめてのことだった。だが。
「俺は行かなくてはいけない、行かせてくれ」
手を振り払った。乱暴なのはわかってる。が、ムシャの手から伝わるぬくもりは手のひらに残る。
丘からどんどんと下って、洞窟の前へ対峙する。
まだ炎がくすぶっていた。爆発したと言ったから、当たり前に焦げた臭気が鼻につく。
灼熱の蒸気で熱傷を負いそうだが、そんな危険に配慮する暇はない。
一刻も早くシノギを助け出す。それだけだ。
再び洞窟に入る。中は蒸気と炎の色で視界が遮られる。
どうやって道を辿ったかは記憶していた。迷う危険性は考えなくていい。
問題は彼が生きているかどうかだ。
死んで冥界に行ったのであれば、生き死にを考える必要はない。だが、シノギは生身でこの地獄へと足を運んだ。日本に帰るために冥界を通り損ねたのだ。
「死んでたら承知しねえぞ」
恨みとは違う怒りに震えながら、盈は突き進む。
ここで失敗したらいけない。
やがて、焦げた臭気をあげる最奥にまで到着した。
シノギが玉鋼を作っていた場所である。
色彩を描き殴ったような炎が渦巻いて、黒煙と熱蒸気をこれでもかと放っていた。
「シノギ!」
この中に彼はいるだろうか。それを信じて炎の中へ突入する。
玉鋼作りや刀鍛冶の現場ですら、炎の中に身を投じることはしなかった。
こんな無茶は盈にとっても生まれて初めてのことだ。
シノギはどこに?
身体が皮膚が焼けただれるのを痩せ我慢しながら突き進む。
そして、奥のほうで山吹色の炎が見えた。
そこに人らしきもの、きっとシノギだ。
炎の揺らめきで空気が歪み、炎が放射する強烈な光で影になって、彼かどうかは確認がつかない。
だが、八になってもいい一か八かで、盈はその彼を抱え込んで外に出ようとした。
その次の瞬間だった。二度目の爆発が起きて、爆風が盈の身体を吹っ飛ばす。
阿鼻叫喚の寸前の叫びをあげて、盈は灼熱と爆風と衝撃を一度に全部食らった。
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