山吹 弐

 煤と垢とほこりに塗れた身体で、シノギは一心に炭を入れていた。

 そこにあったのは間違いなく、炉だった。高く盛ったあの土の形状からして、盈はすぐにわかった。

 手製で作ったのだろう、炉の両脇には蹈鞴が設えてある。荒削りな作り方をしていたが、工夫を込めた作りだ。あのときまでなかった彼の精魂がこもっていた。

 間違いはない。シノギはいままさに玉鋼を作っている。足元が覚束なくて、目が回ったようにふらふらになりながら。

 いやきっと、彼は生まれてはじめて心血を注ぎ続けたのだろう。ふらふらになるぐらいにまで。

 苦しそうな熱気の中、息も絶え絶えにして、懸命な姿を見せる。わざわざ見せようとしなくとも、盈はシノギの一挙手一投足をひとつ残らず感心して拝見した。

 当初の彼はよこしまな考えを持っていた。盈からすれば、シノギの様子として見えるものすべてを否定したいほど。それくらい毛嫌いしていた。

 だが少しはマシになった。よこしまな雰囲気は彼が見受けられない。

 昔であれば、結論と方法をすぐに知ることを急いでいた。村下の行動を真似て業を盗むことすら考えず。ひたすら教えの言葉を待った。

 そんなただからっぽの言葉をもらうことだけに注視したシノギ。そんな彼を決して許さない気持ちでいっぱいだったのは、いまのいままでだった。

 しかし目の前にいるシノギは死んで新しく生まれ変わっていた。

 安直な考え方からすでに卒業した。言葉に頼ることなどせず、自分の魂を盈が教えた言葉に魂を込めていた。炉の中の玉鋼にもまた入念に自分の魂を込めていた。

 様子から察するに、鉧がいま生まれる寸前である。

 朦朧としたまなこで、がむしゃらになった刹那、炭を取り落として地面に落とす。

 両隣のわずかに暗かった死角から、金棒が振り下ろされ、鈍い音を立てた。

 炉の前で膝を擦らせる音を立て、前のめりに倒れる。

 倒れ込んだシノギにも関わらず、炉はいまだ山吹色の炎を立ち上らせる。

 シノギを殴りつけたのは二人の獄卒である。元締めが言っていた二人の獄卒とはおそらくは彼らのことだ。

「手を休めるな。玉鋼を作り続けろ」

「それで男か。男であることを一人前に主張しているつもりか」

 罵詈雑言を浴びせ、盈は二人のしばきを止めようと間に割って入ろうとする。

 だが接近する手前で、シノギは誰の手も借りず、獄卒の執拗なしごきに耐えながら、ゆっくりと立ち上がった。

 なぜだか俄に応援したくなる気持ちになる。何より盈がそんな気持ちだった。不思議である。あんなにも憎かったシノギに、どうして肩を持つような感覚になるのか。

 痛めつける獄卒の手が止まって、こちらを振り向く。

 刀の柄に手をかけて、盈は獄卒の二人同時に目を向ける。

「や……やめろ、必死で頑張っているだろ」

 本当に盈らしくもない。よくそんな言葉が出てきたものだ。おかげで語気が弱くて、非常に格好悪い。その言葉が間の抜けていること、盈としては恥ずべきで、気づけば顔が火照ってきたのは空気が熱いからではない。

「こやつは自ら玉鋼を作りたいのだ、と言いおった」

「苦難から逃げようとしたくせに、いまごろ何を口達者にな、ハッハッハ」

 二人の獄卒はそう言ってはいるが、シノギは立派にいい仕事をしている。炎を前にして、炭の入れ方にしても砂鉄の入れ方にしても、申し分ない力量まで腕を上げた。

 このときの感覚は生涯忘れることはないだろう。背筋がぞくっとする。はじめて気づけたものにしては、強烈なものだった。

「弟子」と自分が呼ぶ者に、私情を絡ませる必要などない。この瞬間は教えることと教えられることのふたつしかない。それまでの経緯を踏まえ言い換えるなれば、言葉と魂の二つしかない。

 シノギの与える魂、確かに盈の言葉が受け取った。それがこの山吹色の炎だ。

「やめろ、何度も言うが、こいつは必死で頑張っているだろ」

 悔しくて盈は同じことを手厳しい声で言い換える。

「よくもそんなことが言えるな、志摩盈」

 獄卒が盈の名前を口に出す。なぜ自分を盈と知っているのだろうか理解不能だ。シノギが盈に教えたのだろうか。我が師匠、我が先生、とでも呼んでいた……?

「奴はお前の姉を殺した奴ぞ」

 それを聞いて、臓物が煮えくりかえらないわけではない。けど、いまそのような私情に囚われるわけにはいかなかった。

 いかなる気の迷いもここで生じさせるわけにはいかなかった。

 確かにシノギは姉の殺害に関与した。どうして姉の気持ちを踏みにじるようなことを考えられる。

「そうだ志摩盈、お前がなぜ情けをかける必要がある」

「お前が情けをかけるほど、そいつがかわいいか」

 二人の獄卒に言われると何も答えられない。けれど、なぜかなぜだか、シノギのことが放っておけない気持ちになっていた。盈自身、そんなに慈悲深くあるわけでもないのに。

 かわいいと言うと誤解がある。だが、盈にとってシノギは愛弟子と呼んでやりたい。ひたむきに炎に向かう、その姿勢を見て、こいつこそ我が弟子、と胸を張って言いたかった。

 それはきっと、自分の言葉に生まれてはじめて魂を注いだ人間だから。

 玉鋼を作る村下は一子相伝。

 親しい村人であっても、村下になるために志願させるつもりはなかった。これはかつてのおじいさまとて父親とて、同じ考えである。村人はただ手伝いという形で玉鋼作りに従事させるのみ。

 盈もいずれは所帯を持ち、子を授かることになろう。その子が玉鋼作りの技術を継ぐ。それが当然であると、そう盈は思っていた時期があった。

 だが、その瞬間は早くにも訪れたのかもしれない。いままさに必死に炎に炭と砂鉄を入れている、そんなシノギを目の当たりにして。

 血筋は違えど、このシノギは愛弟子であり、そして愛(いと)し子とすら感じられた。

「炎の色が乱れているぞ!」

 盈がシノギに何度も与えた叱責、その暴力的感情を獄卒が暴力そのものでもって訴える。また金棒が振り下ろされた。皮膚を潰す鈍い音がする。

 だが四の五の言わず、うめきのひとつすらあげず、シノギは丁寧に炭と砂鉄をかける。

 何か懐かしい気分だ。この光景をどこかで見たような気がする。盈はその昔、おじいさまと父親からそのように言われて、玉鋼作りをした。「炎の色が乱れている」と何度も指摘され、これに成功するのに血の滲む苦労を重ねた。

 同じように盈はシノギに言った。かつての二人の言葉を蘇らせて、口から出ていたんだな。盈は妙に納得感を得る。

 盈だって真っ正面から炎と向き合って戦ったのだ。まるで過去の自分を見ている心地である。気づけば心の底からシノギを応援していた。

 眼底が熱くて、盈の瞳がちかちかする。山吹色の炎のように盈の瞳は変わっているのかもしれない。

 シノギの瞳もまた山吹色をしていた。いままさに山吹色の炎と対面しているのだから、それも当然だった。

 巧みに砂鉄と炭をかけ、そしてもう一度山吹色の炎が直立する。勢いが増したように、炎は自立していた。

 シノギの影が洞穴内に大きく伸びる。シノギの身体と顔がくっきりと浮かび上がった。

 何度も殴打されたのだろう、粗末な服は破れ、紫色になった背中が露わになっていた。顔にも殴打の痕は残っていた。左の目蓋が黒ずんで、うまく目が開けられず、片方細目にしてなんとか炎の姿を捉えているようだ。

 これは酷くしごかれたものだなと、それでも耐えてるこいつに感動の念すら感じる。

 シノギがごきちない首の動きでこちらを向き、ゆっくり口を開く。

「どうだ、今度こそ自信があるぞ。……先生」

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