獄卒
話し合いをしてわかってもらえる相手ではない。それをすぐさま承知したからこそ、盈は刀を抜いた。ここは獄卒を倒すか、獄卒に力を見せつけ、彼らの力の及ばない者であることを教えなければならない。
いずれにしてもここは無理矢理押し通すだけ。
盈の心を、勇気という聞こえのいい言葉で表すことができるならそれもまたよし。その一心は決して絶望に染まらない。そのことを示すように目を尖らせた。
「わっぱ、その反抗する気力だけは褒めてやろう、だがその気力をすぐにでも根こそぎにしてくれるわ」
見下す獄卒に盈はわずかに腹立つ。盈は眉間にしわを寄せて顔を歪ませた。そして目を見開いて、獄卒を見た。
打撃としては最強の武具ともいえる拷問具の金棒は、何よりも硬い鋼鉄で作られていることを、盈は瞬時に理解した。
獄卒が盈の三歩手前まで肉薄を試みる。背後は先ほど折りきった丘の高みでこれ以上後ずさりすることはできない。
獄卒の高すぎる背丈から、金棒が振り下ろされた。
よくも軽々とあの重そうな金棒を扱えるものだ。
風が唸るのにあわせて、盈の身体が反射的に動いて打撃をかわす。
振り下ろされた金棒だが、背丈の低い盈に言わせるならば、遥か上方から落ちてきた、と。そう表現するのが的確だった。
金棒が再び獄卒の肩のほうまで上がる。
待ちきれずに次の獄卒の真横からの接近に、盈は気づけなかった。
「盈!」
ムシャの注意の叫びに息を呑んでから目線を横に動かす。
遅い。横薙ぎに振られた金棒が描く軌跡を即座に判断する隙を与えずして、金棒は盈の背中をとらえる。
「ぐ、ああぁっ!」
背中に渾身の一撃がめり込む。
唸り声を上げるも、激痛で気を失う寸前で耐えきる。
気力を根こそぎされてたまるものか。
背中に血が滲んでくるのを、生温かい感覚でわかる。
「盈! 大丈夫?」
「心配するな、背中の皮が破けただけだ。骨は一本も折れてない」
無茶苦茶な痛みが背中を走っているものの、盈は平気でいられた。死に直面すると、こうも冷静になれるんだなと盈は自分自身に感心する。
おそらくこれは、罪人が地獄のしごきに耐えられる範囲内での感情だ。
悲痛に満ちた表情でムシャは見てくる。どうかそんな目で見ないで欲しいと盈は願うばかり。
そんな悲しみの顔を前に、こいつらに事情を酌んでもらい、話し合いで決着をつけることなどそれこそ絶望的だろうが。
「ほほう、なかなか骨のある奴だな。わしらにとって、しごきがいがある。面白そうだ」
シノギもこれくらいの地獄を前もって味わっていれば、盈の猛特訓にも耐えられたことだろうに。
「もっと遊んでやれ」
その一言に促され、近くの獄卒二人が詰め寄る。
「苦しめぇ!」
「やめて!」
ムシャが盈を抱きとめ、彼は背中後ろに倒れる。二つの金棒が庇った彼女を強打し、こま切れの悲鳴が響く。
「ムシャ!」
「大丈夫、私は平気だから」
いくら斬鉄剣でしか壊せない甲冑を身に纏っているとしても、衝撃は吸収できていない。庇われているとはいえ、揺さぶる強打の衝撃が盈の背中を軋ませる。
「声が絶えないのは、まだまだ足りない証拠だ!」
二つ目、三つ目の打撃を食らわせ、ムシャは目を閉じて悲鳴をあげなくなる。
細い呼吸のまま、気絶してしまう。
「ムシャ!」
絶命はしていないものの、
「なんだ、その目は」
盈にはわかっていた、いま自分の眼光はおそらく炎の色をしているのだろう。
「調子に乗りやがって」
背中の痛みも無視し、すっと立ち上がる。
「大したものだな」
「うるせえ」
生命までは取らなかった。とはいえ、いま薄く瞳から一筋流れている女の子の涙に、盈は報いなければならない。それは男の取るべき責任だ。
いくら獄卒の唯一の役割が罪人を痛めつけることとはいえ、盈は決して許さなかった。
閉じられた、ムシャの瞳。
燃え上がるように熱く開かれた、盈の瞳。
「そういえば、お前どこかで見たことがあるな。思い出した、一月か前に地獄に自ら入ってきたな。俺らが痛めつけた後に炎の牢に幽閉した、あいつにそっくりだ」
獄卒の話を聞いて盈は気づく。
「シノギか!」
「ああ、お前にも心当たりがあるか。なるほど、お前もあいつと同じように会わせやろう」
その要望通りシノギに会わせてもらおう、お前ら全員を倒してからな。そう心に決めて盈は言葉になっていない直情の叫びを上げる。
目を凝らして、奴らの金棒を見た。
刀と比べ、その大きさに差異のある金棒だが、そんな打撃特化の武器にも刀線はある。
獄卒が絡めた指がわずかにずれる。
金棒の持ち手に赤い刀線が走るのを、盈は見逃さなかった。
「地獄に堕ちろ、ここよりもっと奥の地獄の底に堕ちろ! 堕ちろ!」
獄卒が振り上げた金棒を済んでのところで跳躍して避け、乾いた土塊が砕けて砂煙になる。
「こっちはわしに任せろ!」
跳躍し両足が着地していないところを、もう一人の獄卒が金棒を横薙ぎに食らわせようとする。
盈は金棒の打撃を柄の底部・
金棒が完全に振り切った後、盈の身体は空中の高みに持ち上げられ、飛翔する。
「お前は天狗か!」
「最高の褒め言葉だな」と思いつつ、その言葉にお返しに天狗の業で返してやろう。
盈はその直履きの下駄で、獄卒の顔を蹴り潰した。
「舐めやがって!」
蹴り潰した直後の脚を掴もうとする寸前で膝を曲げ、獄卒の左腕をすり抜ける。
やおら身体の高度が落ち、横に一閃の刀の軌跡が走る。
右手で握った金棒の持ち手を刀が叩き、けたたましい音を立てて、金棒が斬れてごとっと地面に落ちた。
不器用に片足から落ちて、盈はその場で転ぶ。
だが、そんな格好悪さを笑う余裕はなく、獄卒の唖然とした表情ばかりがそこにあった。
「天狗が!」
「ああ、俺の鼻は、そんな金棒でへし折ることも砕くこともできねえぜ」
斬られて落ちた金棒がそれを何よりも物語っている。
「こわっぱぁ!」
戸惑いが支配する中で、一人の獄卒が金棒を振り下ろす。
「待てい!」
奥からドスの利いた声の獄卒が空気を揺るがすがごとく、叫んだ。
鼓膜が揺れて、耳鳴りがしそうなのを耐える。
道を開ける獄卒たち、そこに一際背丈の高い獄卒が迫ってくる。獄卒たちの元締めだろう。
「お主、ただ者ではないな」
「わかるか?」
「ああ、先日来たあの若造よりもただ者ではない」
それは盈の安易な誤解であり、獄卒は意外と話が通じる相手と見られる。
「そいつに会わせてくれないか?」
そう言うなり数人の獄卒はムシャに駆け寄った。
「ムシャに何をするんだ!」と盈が言いかけたところで、気絶した彼女を抱きかかえて、丁重に扱って背負った。
「安心しろ、手ひどく痛めつける悪意はない」
そう言って、獄卒の元締めは盈の肩を軽く叩く。
「くふふっ」
盈は気を許し、笑みを浮かべた。
「何がおかしいのだ」
「お前らはムシャを……彼女を人質に取らなかった。そうしていれば俺に大人しく
血も涙もないはずの獄卒たちを見て、盈は軽く笑った。
そんな盈の言葉を聞き、面食らった表情になる。
「いや、人質って言ってもなぁ」
獄卒たちは互いに顔をあわせながら、なあお前、なあお前、と困った表情を見せる。
もっとも彼らは盈とムシャを金棒で容赦なくぶっ叩いた。このことは否定しようがない。
だが、そんな彼らが人質を取ってまで卑怯に袋叩きをするという発想はなかった。
「あ、ああ。なぁ」と変わらず困惑するが、その理を盈はすでに悟っていた。
「どうやらお前らにもこの地獄における倫理というものをわきまえているんだな」
そう彼らにだって血も涙もあるのだ。もし倫理のかけらもなければ、ここに堕ちた罪人のように卑怯な手段をもって傷つけるようなことはしないのだ。
罪人を殴りつけるのは、罰するために行なうことであって。獄卒たちはその他の手段として、自ら罪を犯してはいけない。盈が当然に悟ったのはこのことだった。
やはり地獄にもそれ相応の道理というものがあるのだろう。
「ついてくるがいい」
獄卒の元締めが背中を見せ、盈は彼の後をついていくことにする。
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