二年後の世
「ムシャ」
「何?」
盈は薪割りに使った斧を持ち出し、きしきしと鳴る金属の音を辿るように歩く。
風が思いのほか強く、一張羅の袖がはためく。
二人は外に出て、木々が生い茂る場所近くまで足を運ぶ。
そこには前に言った通り、巨大な鉄扉が聳える。
風で鉄扉が軋んで揺れていた。
両開きの扉が奥に押されて、拳ひとつほどの隙間を開く。
こちらから開かぬようこの鉄扉は施錠されていることはわかっている。だから風ごときで開き切ることはない。
だが、はっきりと見えた。錠がつけられた鉄の鎖が。
剣術の鍛錬はいまも続けている。それどころか、より強くなるために修行を欠かせたことは一日たりともなかった。
盈は左手を振り、ムシャに後方へ下がるよう促す。
「盈?」
「離れていろ、俺には見えるかもしれない」
二年前、多くのものが斬れた。二年後のいま、修行の成果で斬れるものが多くなった。
だからこの鎖も錠も斬れる自信がある。
じっと見据えてぼんやりと赤い線が滲んでくる。さらに開眼集中して見やると一本の刀線が網膜に焼きつく。
斧を構え、振り上げて後ろに下がり、助走をつけて一気に振り下ろす。
斧の刃が刀線を捉えた。
手応えのある切断の音。
錠前が地面に落ちた。
あとは風の力動に押され、鉄扉は奥へ奥へと開いていった。
「盈!」
「待った甲斐があった。ようやくここを去れる……」
開け放たれた扉の外へ足を運ぶ。
心が少しだけ切なくなり、この二年間の思い出が遠くなっていくような感覚だった。さすがに後ろ髪を引かれる。
一度だけ振り返り、ムシャを見た。
いままでの生活に対し、お礼を言うときか。別れを言うときか。それとも鎧が錆びつかないように気をつけろと言ってやるべきか。
いや、いずれも違う。
「一緒に来てくれるか?」
ムシャは立ち止まったまま、胸に手を合わせていた。
何も言わなかった。気まずい空気で、風がわずかに弱まる。そんな折を見て盈はゆっくりと歩き出す。
すると駆け足でムシャが盈の左手を握り、無言でついていく。
一夜明けたところで、盈は村を目指した。シノギのことも気になるが、あのあと村人たちはどうなったのかが気がかりだった。
日の出を迎え、視界が明瞭になったあたりで村が見えた。
だがそこに見慣れぬ石像が立つ。それを盈は見たことがない。まして盈がいたこの村に存在するはずのない代物だ。
それは剣を持ち、形相を見せた、鬼神のような石像であった。それに近づき、観察するよう見ていると、砂利を潰す足音が近づく。
「何者だ!」
振り向くと、全身紫色の外衣を纏った二人がいた。物々しい表情をしていた。
だが盈を見るなり、一歩後退した。
「シノギ様!? 失礼をいたしました!」
どうやら盈のことをシノギと勘違いしているようだ。この二人はシノギのことを知っているのか。
「この人たちは? みつ……」
「しっ」
ムシャの言葉を遮る。
「シノギ様、そちらの者は?」
「俺の連れだ、気にするな」
「はっ」
盈はこの物々しい格好をした二人が何かしらあると心に留めながら、さっと村の中へと入る。
顔なじみの人ばかりであった。村人たちがいた。だが、その光景はあまりに残酷極まるものであった。盈の手が震える。
村人は憔悴しきった瞳でひたすら石材木材などを持ち、または伐採した木々や土を運んでいた。
強制的に労働させられていることはすぐにわかった。あのあと村で何が起きたのか、盈は想像もつかない。
村人たちは身体のあちこちに傷を作っていた。切り傷ばかりでなく、青く晴れ上がった打撲の痕も見える。
「ちんたらするんじゃねえ!」
「ひいっ!」
同じ紫の外衣をした人間がさらに数人いて、働く村人を革の鞭で叩く。なんて酷いことを、盈は口元が震えて歯がガチガチと鳴る。
「おい! 鞭で打つのをやめろ!」
それを聞いて男が仮面で隠した顔で、こちらを見る。
「……シノギ様!」
鞭打たれた彼も盈を見る。
「シ、シノギさ、さま。ひ、ひぃ!」
「どういたしましょうシノギ様。こいつ、先ほどから何度も倒れ込んで。詐病を押し通してます」
淡々と語るこの男に苛立ちを覚えるが、ぐっとなんとか平静さを保つ。
青々しく身体に残る打撲痕が他の村人と比べ目立つ。骨の形が浮き出るほど痩せ細った身体、すりむいてぐらぐらとした膝。これ以上こんな奴らのために彼を、いや、彼らを労役させてはならない。
「この男を連れていこう」
「左様ですか、ではわたくしも。おい、こいつの両手を縛ってやるから、縄を出せ」
男は声を張り上げて言う。無理をさせてでも彼を歩かせるつもりだ。
「必要ない」
「シノギ様?」
「縄も人手もいらん。俺一人で十分だ、ついてこれるか?」
村人はぐらぐらした膝で立ち上がる。
「あそこの木陰で、話をしようか」
「……」
その瞳は処刑されるのを観念して待つ、さながら死刑囚のように、瞳の色をなくしていた。おそらくはシノギに直接その手で殺されると思っているのだろう。それを想像しただけで盈は胸が苦しくなる。
肩を貸して盈は村人を歩かせようとするも、村人は手を振り払う。それを見逃さず「おい!」と鞭を素振りしながら男が言うが、盈もこの村人もそれを無視をする。この村人は自分に無理強いする様子で痛々しく歩いて盈についていく。
木陰で周囲の視線を断たれた木陰に村人は座り込む。
「殺すなら殺せ、さぁ……」
死んだほうがマシだ。そんな見え透いた自暴自棄が見え隠れする。
「かわいそう……どういうことなの、盈」
盈のそばから離れず、傍観視するだけに留めていたムシャがつい言葉を漏らしてしまう。
「……みつる? ぼ、坊ちゃま! 盈坊ちゃまですか!」
盈という名前がムシャの口から出て、嬉しそうな当惑でこの村人は全身が震え出す。
この村人の顔を盈は覚えていた。彼の姿は変わり果てた。蹈鞴の場所で熱傷を受けて真っ赤になった男だ。いまは青痣ばかりで、かつての面影を失ってはいた。間違いない、あのときバケツで水をぶっかけた彼だ。
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