第56話sideセドリック

 セドリックは眼前に広がる瓦礫の山を静かに見つめていた。大きな瓦礫を軽く蹴飛ばす。この山の中にブルーノの死体があるはずだ。


「ケケケケ……」


 セドリックの中の悪魔が、悪魔らしく笑った。


「何がおかしい?」

「詰めが甘いな。甘々だなァ」

「どういう意味だ?」


 まったくわからず、セドリックは尋ねる。


「セドリック。貴様の不手際だ。貴様はあの軽薄な男――ブルーノとか言ったか――奴を甘く見た。だから、殺しきれずに逃げられた」

「……何?」


 細めた目を、今度は大きく見開いた。


「逃げた? 逃げられた? ブルーノに逃げられた、だと?」

「おうよ」


 セドリックはこの悪魔のことをよく知らない。よく知らないどころか、ほとんど何も知らない。もしかしたら、天邪鬼の大噓つきである可能性もある。


 二人は利用し、利用される間柄。そこに信頼関係は構築されていない。

 そして、どちらかというと、悪魔のほうに主導権はある。悪魔がその気になれば、セドリックの『心』を消し去ることだって容易だ。それをしないのは、気まぐれに楽しんでいるからだろう。


「本当に、逃げたのか? 嘘や冗談ではなく」

「嘘や冗談ではない。事実だ」


 ――事実だ。

 そこまで言うのなら、事実なのだろう。


 セドリックは瓦礫の山を蹴り崩した。否、蹴り飛ばした。体を大きく捻り、後ろに引き絞った右脚を解き放つ。右脚から放たれた衝撃波によって、瓦礫は破砕した。より細かく砕けた。

 探す。探す――。

 ブルーノに逃げられたのだとわかっても、どこかで諦めきれない自分がいる。悪魔の力をもってして、ブルーノを殺せなかったとなると、これは恥だ。セドリックの巨大なプライドに傷がつく。


「くそっ!」


 ブルーノの死体はどこにもなかった。彼から滴り落ちた血が、ところどころにあるくらいだ。


「な? だから、言っただろう? 事実だ、と」


 腹立たしい。

 セドリックは悪魔をぶっ殺してやりたくなった。しかし、彼が悪魔を殺すことはできない。殺されることはできるが――。


「どうする? 我としては、アイレスの者共を適当に殺しつつ、ブルーノとやらを探せばいいと思うのだが」

「……わかった。そうしよう」


 ぐっと歯を食いしばった後、セドリックは頷いた。

 とりあえず、すぐ近くの通りへと出る。大勢の人がいた。虫けらだ。取るに足らない、どうしようもない虫けらどもだ。


(くそがっ! ぶっ殺してやる!)


 ブルーノに逃げられ、非常に腹が立っている。頭に血がのぼって、茹で上がってしまいそうだ。ストレス緩和のためには、人殺しが一番だ。

 ただの八つ当たりである。


 誰を殺そうか、とその場に突っ立ったまま考えていると、背中に鈍い衝撃を感じた。どん、と誰かがぶつかってきたのだ。


「ああん?」


 振り返って、ぶつかってきた愚か者を睨みつける。

 一三、一四歳くらいの子供だった。

 当初、少年は生意気そうに顔を歪め、軽く舌打ちをしたのだが、鬼の――いや、悪魔の形相をして睨みつけてきたセドリックを見て、ビビったのか慌てて頭を下げた。


「ご、ごめんなさい!」

「俺は……てめえみたいなクソガキが大っ嫌いだ。見てるだけで虫唾が走る。ケ、ケケ、けけけれど、なかなかどうしておいしそうじゃねえか」

「へ、あ……」

「この俺様がおいしく食べてやるよおおおおおお――っ!」


 少年の腕を乱暴に掴むと、セドリックはかぶりついた。


「うわああああああああああっ!」


 少年のあどけない甲高い悲鳴に、通りを歩いていた人々の視線が二人に集まった。 

 捕食者と獲物。


「誰か! 誰か、助けてえええっ!」


 少年の助けを求める声を無視して、逃げる人々。しかし、中には正義感からか、少年を助けようと近づいてくる者もいた。

 冒険者だ。


「ヒヒ……鍛えられていて、おいしそうな筋肉、肉……。食わせろよおおお!」


 セドリックは野獣となって襲い掛かった。

 セドリックの意識はまだ保たれているが、悪魔が憑依したことによって感化されたのか、悪魔的なメンタリティー、嗜好と化していた。ゆえに、人の血肉を食らう人魔と化した。


 阿鼻叫喚。

 その通りは地獄絵図と化した。


 その中でたった一人、セドリックだけが愉悦に満ちた恍惚とした笑みを浮かべていた。

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