第33話

「じゃあ、帰ろうか」


 と、ユカノは言った。


「……帰る?」


 ハイネラ山へは、ただハイキングをしに来たわけではない。フィジカ草を採取する、という目的があったわけなのだが――。


「私の体力面の問題は、君のスキルによって解決されたわけだから、フィジカ草の必要性はもうないわけだ。それにフィジカ草を食べたからといって、私の体力が劇的に向上するわけではないだろうし、ね」

「それもそうか」


 納得した。

 フィジカ草をむしゃむしゃ食べるだけで、体力面の問題が解決されるのなら、冒険者たちが血眼になって刈りつくしているはずだ。そうなっていないということは、ほんの少しだけ心持ち程度の効果しか期待できないということ。


 前言撤回。

 俺たちはハイネラ山に、ただハイキングをしに来ただけだった。


「暗くなる前に、ささっと帰りましょう!」


 ネルは山登りがあまり楽しくなかったのか、ユカノの意見に乗り気だった。

 山の中には女子が苦手な虫がたくさんいるからな(偏見だろうか?)。まあ、男子の俺も虫は苦手だったりするんだけど……。


「さあさあっ」


 ネルが俺の背中をぐいぐいと押す。


 来た道を戻っていく。下手に違うルートを進むと、迷子になりかねない。とはいえ、ハイネラ山は標高が高い山というわけじゃないし、迷子になったところで野垂れ死ぬことはまずないと思う。


 ハイネラ山にはゴブリン以外のモンスターも当然ながら生息している。強いモンスターはほとんどいないが、ルックス的に気持ち悪いモンスターは結構いて……。


「うにゅあっ!?」


 ネルが珍妙な悲鳴を上げ、それから目を背けた。


 大きな木の枝から降ってきたのは、センチピードマンというモンスターだった。サイズは個体によるが、俺たちの前に降ってきたのは一メルトルほどと小ぶり(?)で、人みたいに二足歩行しているムカデだ。いや、センチピードマンには足がたくさんあるので、二足歩行とは言えないが、立っていることは確かだ。どこで体を支えているのかはよくわからない。じっくりと観察したくはない。


 センチピードマンは気持ち悪いが強くはない。ランク的にはゴブリンと同じくらいか。奴の攻撃方法は単純で、突撃して人間に絡みつく。そして、締め付け骨を砕きながら、口でばりぼりと人間をおいしくいただく……。

 うーん、やっぱり気持ち悪いな……。


「レン、早くやっつけてください!」


 ネルは俺の後ろに隠れながら言った。


「いや、俺、武器持ってないし……」

「素手で頑張ってください」

「無理だって!」


 俺は格闘家じゃないんだから。どう考えても、センチピードマンにグロテスクに、そしておいしく食べられるだけだって。


「ユ、ユカノ!」

「い、嫌だ……」


 ユカノも目を逸らして、青ざめた顔でぶんぶんと首を振った。


「あれを直視したくない。斬って、体液を垂れ流しながら死ぬところも見たくない……」

「ネル」

「嫌です」

「……目をつぶってでいいから」

「目をつぶったら、魔法当たりませんよ?」


 俺はため息をついてから言った。


「代わりに俺が見るから、指定した場所に魔法を撃ってくれ」

「それなら、まあ……」


 妥協したネルは目をつぶって、俺の隣で小さく詠唱する。


「〈ファイア――」

「ちょ、待て待て」


 慌ててネルを止める。周囲には木や草といった可燃物がたくさん生えている。火系統の魔法は山火事になりかねない。


「どうして止めるのです!?」

「山火事を起こすつもりか――うわあっ!?」

「どうしました?」


 俺の悲鳴を聞き、ネルは両目を開けた。

 飛び退こうとしている俺を見た後、前方――躍りながら襲いかからんとするセンチピードマンを見て。見てしまい――。


「うわわわっ。しゅしゅ――〈細断する風:シュレッド・ウィンド〉!」


 動揺していたからか、ネルは魔法の選択を間違えた。〈細断する風:シュレッド・ウィンド〉は殺傷性の高い魔法ではあるが、死体がグロテスクになりがちだ。


 無数の風の刃が、センチピードマンを細断した。宙でばらばらになったセンチピードマンの肉、それと体の内から噴出した体液が――。


「「あっ……」」


 ――俺とネルに降り注いだ。

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