第23話
安そうな宿屋を何件か訪ねて、ようやく俺たちの所持金で泊まれる――そして、ネルの妥協条件範囲内の――宿屋を見つけた。
二人で同じ部屋に宿泊したい、という旨を女将に伝えると、
「うちは壁が薄いから、あまり大声は出さないでね」
意味深な笑みを浮かべてそんなことを言った。
大声を出すようなことなんてしねえよ。ただ睡眠をとるだけだって。
適当に応対して金を払うと、俺たちは鍵を持って部屋に向かった。二階の角部屋が、俺たちが本日泊まる部屋だ。
俺は部屋に入ると、寂しげに置いてあるベッドに腰かけた。シングルサイズにしては大きめのベッドは、俺に座られただけで、ぎしっ、と大きな音を立てた。
なるほど。
そういった行為をしたら、さぞやうるさいことだろう。
「疲れたし、寝るか」
俺はあくびを噛み殺して言った。
「そうですね」
ベッドに座ったネルが、ごろんと寝転がった。
一方、俺はベッドから降りて、床に寝転がった。
ジェントルマン――というわけではないが、ネルにベッドを譲ることにした。ネルにはいくつも恩があるし、ゴブリンを討伐したのも彼女なのだから。
ネルはベッドの上から俺を見下ろして、
「私に配慮なんかしなくても構いません。レンもベッドで寝ましょう」
「一緒に、か?」
「幸いにも、このベッドは二人で寝ても窮屈しないくらいには大きいです」
もしかしたら、女将が気を利かせて、大きいベッドが置いてある部屋を選んでくれたのかもしれない。
ネルは起き上がって、サイドテーブルの上に置いたバッグからひもを取り出した。そして、そのひもをベッドの真ん中に、国境線を引くみたいにまっすぐに置いた。
「この線から左が私のエリアで、右がレンのエリアです」
ネルはベッドの左側、壁にくっつくように寝転がると、
「いいですか? このラインを越えたら、敵とみなして迎撃しますので」
「わかった」
俺はベッドの右側に寝転がった。
薄っぺらい毛布は一枚しかないので、二人で使うことにした。
明かりを消すと、窓から入ってくるほのかな月明かり以外の光源はない。
疲れているはずなのだが、どうも眠れない。しばらく窓のほうを向いていたが、寝返りを打つようにして体の向きを変えてみた。
ネルはぐっすりと眠っていた。長い紫色の髪が、淡い月の光に照らされて輝いている。小さな口がほんの少しだけ開いている。
綺麗だ、と俺は思った。
しかし、それ以上のことは――いかがわしいことは――思わなかった。俺は芸術作品を鑑賞するかのように、ネルの寝顔をじっと見つめた。
やがて、ネルが寝返りを打った。ひもで作ったラインを越えて、俺のすぐ近く――少し顔を動かせばキスできてしまうほどの距離――までやってきた。
どうしよう……。
ネルをラインの向こうまで押し戻そうか、と考えていると――。
「おにい……ちゃん」
そう言って、ネルは俺に抱きついてきた。
「――っ!?」
びっくりした。
心臓が止まるかと思った――と表現するのは、さすがに大げさだろう。でも、すごく驚いたのは事実だ。
「~~っ」
よく聞こえないが、小声で何かを呟いている。きっと、夢を見ているのだろう。その夢の中には、ネルの兄が出てきているのだ。
だから――『お兄ちゃん』。
「お兄ちゃん……」
もう一度、ネルは言った。
幸せな夢ではないのか、ネルはうなされている。俺を抱きしめる力は強く、顔には汗がにじんでいる。ネルの体の火照りが、俺に伝わる。
「大丈夫か?」
俺はネルの両肩を掴んで、引き離すように強く揺すった。
「おーい」
「おにい……ん……んん?」
ネルの両目が開き、俺を見つめる。
「お兄ちゃん?」
「寝ぼけてるのか?」
ネルの兄は俺に似ているのだろうか?
出会ってまだ丸一日と経っていないのだから、当然、俺が知っているネルの情報は限られる。ネルの家族構成だって、俺は知らない。知らないのだ。
「俺だ。レンだ」
「……レン……?」
ネルは何度か瞬きした後、自分がレンに抱きついているという状況を把握し、バッタのように跳び退いた。
「わ、わわ私っ……す、すみません。これは、その――」
「嫌な夢でも見てたのか?」
「え? ええ……」
「ネルには兄がいるんだな」
「ええ、まあ……」
ネルは上目遣いに俺を見て、
「兄は……レンに似ています。とてもよく……。だから、その……無意識のうちに抱きついてしまったというか……」
すみません、とネルは頭を下げた。
「いや、謝る必要なんてないよ」
そうか。兄によく似ているから、知り合ったばかりの俺に対して、こんなにもよくしてくれたんだな。得心が行った。
もしかしたら、ネルの兄はもう死んでしまったのかもしれない(さすがにこの推測は飛躍しすぎだろうか?)。
そのことを聞いてみようかとも思ったが、それはまだ聞くべきではないな、と思い直して、結局まったく別のことを聞いてしまった。
「ネルはブラコンなのか?」
「違いますっ!」
ネルは顔を真っ赤にして、強く否定した。
図星か。
「寝直します。おやすみなさい!」
「おやすみ」
ネルは気恥ずかしさからか、俺に背を向けて眠った。
俺はそんな小さな背中を見るともなく見ながら眠りについた。
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