第31話

 クリス様が向かったのは以前、クリス様を探しに来たときに行ったあの裏庭だった。そこは相変わらず綺麗に花が咲いていて、別世界のようだった。


「……それで? なんだよ、話って」


 近くにあった花を一輪摘まみ千切るとクリス様は言う。私は、クリス様に頭を下げた。


「ごめんなさい!」

「…………」

「本当はちゃんとクリス様に私の気持ちを伝えるつもりだったのに、あんな形で返事をすることになっちゃって……」

「……別に、それは気にしてねえよ。俺だってお前に何も言わずに父上たちを呼んでお前が断れないようにしようとしてた。……悪かったな」


 ぽかんとする私の前でクリス様は頭を下げた。

 本当は怒るところなのかもしれない。でも、きっとクリス様はそれほどまでに本気で私のことを想ってくれていたのだろうと思うと、何も言えなかった。


「……なあ」

「え?」

「もしも、もしもさ。俺が勝ったとして……」


 クリス様が、勝ったら――。

 そのとき私は……。

 思わず手のひらをギュッと握りしめる。

 でも、そんな私にクリス様は優しく笑った。


「バーカ、そんな顔するなよ。……俺が勝ったとしても、お前のことは元の世界に戻してやるよ」

「クリス様……?」

「お前は俺がこの世界に呼んだんだ。最後まで責任取らないとな。……だからそのときは、兄上じゃなくて俺の聖女として――妻じゃなくていい。俺だけの聖女として、隣にいてほしい」

「わた、し……」

「嘘でもいい。はい、と言ってくれ。そうしたら俺は……俺は……」


 俯いて拳を握りしめるクリス様の手の中で、小さな花が潰れるのが見えた。クリス様はこんなにも私を想ってくれているのに私は……。

 嘘でもいい、きっと「はい」と言えばクリス様は笑顔になる。だから、言え。言うんだ。私がクリス様にできることなんて、それぐらいなんだから。

 でも、どうしても口は開かない。

 そんな私を、クリス様は寂しそうに見つめた。


「お前は、そういう奴だよな」

「クリ、ス……様……」

「わかってた。ここで嘘ついて「はい」って言えるようなやつならきっと、俺は好きになってなかったから」


 クリス様の手のひらからくしゃくしゃになった花びらが舞い散る。風に乗って飛んでいくそれを目で追うと、クリス様は言った。


「それでも、俺は兄上に勝つ。王位も、そしてアイリのことも、兄上には渡さない。絶対に、だ」

「クリス様!」

「もういい。兄上の城に戻れ」

「でも」

「……一人に、させてくれ」


 吐き捨てるように言ったその一言があまりにも苦しそうで、私は頷くとクリス様に背を向けた。

 ごめんなさい、と……喉の奥まで出かかった言葉を必死に飲み込んで。

 


 そしてその日は――あっという間に訪れた。

 継承権を賭けた戦いということもあって国民的な関心も高かったようだ。闘技場には朝早くからたくさんの人が駆けつけていた。

 準備のためにアラン様は別室にいる。集中している様子だったので邪魔になってはいけないと私は観客席から少し離れたところでキースとともに闘技場の様子を見ていた。

 あちこちから聞こえてくるどちらが勝つか、という話題。けれど。


「本当に、アラン様を王様にって思ってる人も多いんだね」

「そうですね。この間までは六対四でクリス様への支持が高かったのですが最近ではアラン様を王に、と言う声も日増しに大きくなっております。孤児院や就職斡旋だけではなくあの方が今まで影で行ってきたことが表に出たからでしょう」

「……それは誰が表に出したの?」

「さあ」


 目を細めて笑うキースに私は思う。きっと、おそらく、多分、ううん、絶対キースだ。


「まあその者が言わなかったとしてもいずれ民衆も気づいていたと思いますよ。どれだけアラン様が自分たちのことを想ってくれているか。遅かれ早かれ、ね」

「そうですね」


 アラン様はずっとみんなのことを想っていた。それこそ自分の立場からは動くのが難しいときからずっと。そんなアラン様の想いがみんなに伝わったことは本当に嬉しい。

 嬉しい、のだけれど。


「心配、ですか?」

「……はい」

「大丈夫、アラン様は勝ちますよ」

「どうしてそう言えるんですか?」

「私がそう望んでいるからです」


 あまりにも真面目に言うキースに笑ってしまう。私が笑っていることに気づくとキースも微笑む。

 きっと私の緊張を少しでもほぐしてくれようと思ったのだろう。さすがアラン様の一番の側近なだけはある。

 うん、アラン様は勝つ。きっと。

 でも、それはクリス様の負けを願うということで……。


「お気になさらなくて大丈夫ですよ」

「え?」

「二人が兄弟として産まれた以上、いつかはこうなる運命だったのです。あなたのことがあろうがなかろうがきっと。自分の運命に向き合わず逃げているよりその方がずっといいと思います」

「キース……。うん、そうだね」

「はい。言うなればこれは壮大な兄弟げんかですから」

「ぷっ……ま、待って。それ壮大すぎて」


 闘技場に人をたくさん集めての兄弟げんか。想像しただけで笑ってしまう。そんな私をよそにキースは「ああ」と言うと闘技場へと視線を移した。


「始まるようです。下に行きましょうか」

「……はい」


 控え室へと移動する。そこには防具のようなものを身に纏い剣を片手に持ったアラン様の姿があった。

 キースに促されるようにアラン様の元へと向かう。

 今話しかけて邪魔じゃないだろうか。

 そんな想いが頭を過る。けれど、アラン様は私を見つけるとふっと微笑んだ。


「アイリ」

「アラ、ン様」

「いってくるよ」

「……はい」


 その姿に胸の奥がぎゅっとなる。

 本当は怪我しないでくださいとか頑張ってくださいとか何か気の利いたことを言えたらよかったのだろうけれど、何かを喋れば泣いてしまいそうで頷くことしかできない。

 そんな私の手を掴むと、アラン様は自分の方へと引き寄せた。


「きゃっ」

「アイリ」


 耳元で囁かれる声に、心臓が張り裂けそうになる。

 顔を上げると、すぐそばにアラン様の顔があった。


「必ず勝ってくるよ」

「まっ、て、ます」


 アラン様が私をジッと見つめる。そして――私の頬に、優しく口づけた。


「唇は、勝ってからもらうよ」

「っ……も、もう!」

「はは。……じゃあ」


 真っ赤になる私に笑いかけると、アラン様は私に背を向け、一人闘技場へと向かった。

 闘技場にはすでにクリス様の姿があった。二人が揃ったことを確認した王様が席を立つ。そこは王族やVIPのみが座れる席だった。最初、私もそこに座るようにと言われたけれど丁重にお断りをした。あくまでこれは二人の戦いで聖女としての私がその場にいることはふさわしくないと思ったから。

 それにあそこにいたら、勝者が決まったときにその勝者へ聖女が贈呈されると、そんなふうに思われるかもしれない。そんなこと、私もそしてアラン様も望まない。

 クリス様だけは「それでいいじゃん」と軽口を叩いていたけれど。


「これより第一王子アラン・グリフィン・マクファーレンと第二王子クリス・ラッセル・マクファーレンの試合を始める。なお、この試合の勝者を王太子とする。ここにいるみながその承認だ。二人とも、真剣に望むように」

「「はい」」


 二人は模造剣とはいえ重量のありそうなそれを握りしめると向かい合う。防具があるとはいえあんなので身体を打ち付けられたら大けがをしちゃいそうになる。でも……。

 私はぐっと顔を上げると視線を元に戻した。

 絶対に目をそらしちゃいけない。私は、私だけは。


「はじめ!」


 響き渡るその声を合図に二人は打ち合いを始める。模造剣同士がぶつかり合う鈍い音が闘技場に響く。


「あっ……!」


 クリス様が繰り出した剣がアラン様の左腕に当たる。顔をしかめるとそのまま逆にクリス様のお腹を薙ぎ払う。距離を取ったかと思うとすぐにまた打ち合いを始めた。

 それは痛そうで苦しそうで、そして怖かった。でも、二人の真剣な様子に私も、そして闘技場にいる人も視線を奪われる。

 白熱する様子に会場中から二人の名前が聞こえた。


「アラン王子! そこだ! いけ!!」

「クリス様ー! 頑張ってー!」

「クリス様! 危ない!!」

「あああ! アラン様が!!」


 どちら派とか誰が王太子になるとかもう関係なかった。そこにあったのはただ真剣に戦う二人の王子と、それを応援する国民の姿。

 その光景はとてもあたたかくて、愛されている二人が嬉しくなった。

 けれども戦いは永遠には続かない。

 互角に思えた二人の戦いはだんだんとアラン様が優性となる。


「あっ」


 何度も打ち込もうとしては打ち返される。模造剣であって本当に刃はついていない、それどころか防具もしているはずなのにクリス様の身体のあちこちには血が滲み始めた。


「もうすぐ決まりそうですね」

「キース?」

「そもそも、この戦い、剣での勝負となった時点でクリス様に勝ち目はありません」

「どういうことですか?」


 キースの言葉の意味が理解できなかった。

 剣だと決まった時点でアラン様の勝ちが決まっていた……? だって、剣での勝負と決めたのはクリス様だったはず。なのに、どうして。


「魔法での戦いなら互角、もしかするとクリス様にも勝ち目はあったかもしれません。ですが剣では無理です」

「どうして」

「アラン様の剣術は王国一。王立騎士団の団長でも勝てないとこぼすほどです」

「なら、どうして、クリス様は……」

「さあ。それはクリス様にしかわかりません。ですが……」


 キースは何かを言いかけて言葉を濁す。けれどその言葉の先を私はわかってしまった。


「私の、ため……?」

「……わかりません。ああ、そろそろ決着がつきそうです」


 キースの言葉に視線を戻すと、倒れ込んだクリス様にアラン様が剣を突きつけていた。


「打て」

「……断る」

「なぜだ!」

「打たなくても、もうお前は動けないだろう」

「……くそっ!」

「ここまで、だな」


 大きな歓声とともに、場内に王様の声が響き渡った。


「勝者! アラン・グリフィン・マクファーレン!」


 アラン様が、勝った。勝ったんだ……。

 涙で前がよく見えない。

 必死に涙を拭うと、寝転がっているクリス様にアラン様が手を貸して起き上がろうとしていた。けれどどこかを痛めたのかなかなか起き上がれずにいた。

 痛そうに顔をしかめるクリス様の姿を見ていると――いてもたってもいられなかった。


「アイリ様!?」


 後ろでキースが何かを言っているのが聞こえた気がした。でも、それを振り切ると私はアラン様と、それからクリス様の元へと向かった。

 試合が終わったとはいえ、突然乱入してきた私に場内がざわつく。でもそんなこともうどうだってよかった。


「何、やってるんですか」

「アイ、リ」

「馬鹿じゃないですか!?」

「うるせえ」


 顔も腕もあざと擦り傷だらけ。身体のあちこちで血が滲んでいるのもわかる。


「すぐ、治します」

「いらねえ。余計なことをするな」

「なっ!」

「おま、えは、兄上の、聖女だ。俺より、兄上を……」


 差し伸べた手を振り払うクリス様に――私の怒りは頂点に達した。

 

「本当に馬鹿でしょ!? アラン様はね! ほとんど怪我をしてないの!! 重症者はあなた! 今私が治すべき最優先なのはクリスの方だよ!」


 私の言葉に、驚いたように瞬きを繰り返し、そして重症者クリスはニッと笑った。


「やっと、クリスって、呼んだな……」

「うるさい! あなたみたいな馬鹿なんてクリスで十分よ! 負けるつもりだったって本当!? どうしてそんな!」

「は、は……やっぱり、変な、女だ」

「もう、黙って……!」


 まだざわつく場内の声を感じながらも私は魔力を練り上げた。

 血が出てるから裂傷もあるのだと思う。痣だけじゃなく骨も折れているかもしれない。こんなになるまでするなんて……。

 私はありったけの想いを込めて、その魔法の名を唱えた。


「ハイヒール」


 まばゆい光がクリス様を包む。その光に、辺りの喧噪はやんだ。


「はっ……す、げえな……」


 動かせるようになった身体を持ち上げ、傷口の痣の消えた身体に視線を落としたクリスは感心したような口調で言う。そういえばクリスの前でクリーン以外の魔法を使うのは初めてだった。聖女だということは聞いていても実際に目の当たりにすると違うのかも知れない。

 目視できる範囲の傷が治ったのを確認すると、念のためクリスにも聞いた。


「どう……? もう痛いところはない?」

「ああ、もう大丈夫だ」

「よかった」


 ホッとしてその場にへたり込んだ。動けるようになったクリスに私は尋ねた。


「ねえ、本当に負ける気だったの?」

「……誰に聞いたか知らねえが、負けるつもりで戦うわけないだろ」

「でも、剣はアラン様の特技だって」

「だからどうした。自分の得意なことで勝つよりも相手の得意なことで勝った方が価値がある。だから俺は剣で戦うことにした。それだけだ」


 クリスはそう言うと身体を起こし伸びをする。軽く屈伸をして身体に異常がないか確認するとこちらを向いた。


「あとは、まああれだ。兄上を倒してお前が手に入るならと思ったが、俺はお前の悲しむところなんて見たくないからな。俺が負けてお前が笑うなら、いくらでも負けてやるよ」

「クリス……」

「ああ、もういい! 俺はもう大丈夫だから兄上のところに行け。……待ってるぞ」


 親指で指し示すその先にはこちらを見つめているアラン様の姿があった。


「……ありがとう」


 そう言った私に背を向けると、クリスは手を振り自分の控え室へと戻っていく。

 その姿を見送ると、私はアラン様の元へと駆け出した。


「アラン様!!」

「アイリ」

「アラン様! 私!」

「っ……、ま、待ってもらえるかい。傷が……」

「あっ」


 ほとんどないとはいえいくつかの痣はあるようで私は慌ててヒールをかける。金色の光に包まれたあと、アラン様の怪我はすっかりよくなっていた。


「ありがとう」

「いえ、その……」


 改めて向き合うとどうしていいかわからない。

 私のために王になると言って戦ってくれた。そんなアラン様に、私は何ができる……? 私にできることは。


「アイリ」

「は、はい」

「私のそばにいてくれないか」

「え……?」

「君を元の世界に戻すと誓う。だからその日まで、私のそばにいてくれ。私が君に望むのは、ただそれだけだ」

「アラン、様……」


 私にできる唯一のことだから。


「はい。元の世界に戻るその日まで、私はあなたのそばに」


 そう言った私にアラン様は、優しく――触れるだけのキスをした。

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