第29話
ガゼボでクリス様と会った日から数日経った。
クリス様から、アラン様から言われたことを考えた。考えて考えて、でもやっぱり私はクリス様と結婚することはできない。好きな人を、想いを偽ることはできない。
都合のいい話なのはわかってる。でも、聖女としてクリス様のそばにいるから、妻としてはいられないけれどずっとそばにいるから、それで許してもらえないかと、そう言ってみようと思う。私にできるせめてものことだから。
「リリー、お願いがあるんだけど」
「はい」
「クリス様に会いたいと、そう伝えてもらえないかな」
「わ、かりました」
どこか硬い表情を浮かべると、リリーは部屋を出た。
そりゃそうだろう。私が今、クリス様に話といえば一つしかないのだから。
数十分後、リリーが戻ってきて『今日の午後に王城で待つ』との返事を持って帰ってきた。
「わかった、ありがとう」
「あ、あの。このこと、アラン様には」
「……ううん、これは私のことだから」
首を振る私に、リリーはどこか悲しそうな表情を浮かべる。でも、アラン様にはもうフラれているも同然なのだ。今更、クリス様に返事をしに行きますなんて報告に行って「止めてほしいの!」と行動で訴えるような真似はしたくない。それに「いってらっしゃい」なんて言われたら心が砕けてしまいそうだから。
「リリー? どうしたの?」
ソファーに座る私をよそに、リリーは忙しそうにクローゼットを開ける。虫干しでもするのかしら? なんて想っていると、呆れたようにリリーは言った。
「王城に行かれるということであればそのような格好ではいけません」
「そ、そうなの?」
今来ているドレスも十分に綺麗だと思うのだけれど。そりゃ比較的動きやすいものにしてもらってるからリリーが来ているものよりもワンランクかツーランク上、って程度ではあるけれどそれでも別に不自由はないしこれぐらいでちょうどいいのに。
けれど、リリーは最初に私がアラン様と食事をしたときに着たようなひらひらしていて裾が広がっている豪勢なドレスを取り出した。
「髪もセットしなきゃいけませんし、今から忙しくなりますよ」
「そ、そこまでしなきゃいけないの?」
「当たり前です」
リリーの気迫に押され、私はされるがままに着飾らされていった。
そして。
「できました」
「わぁ……これ、ホントに私?」
「そうですよ! アイリ様はお綺麗なんです。肌もきめ細やかだし、目も大きくてまつげも長い。普段からきちんとしてて頂きたいです」
「でも、ここまでしてたら馬に乗って出かけられないし」
「普通のお姫様は馬に乗って出かけないんですよ」
「ふふ、ごめんね。普通のお姫様じゃなくて」
きっと普通のお姫様なら今頃、二つ返事でクリス様の申し出を受けていると思う。アラン様に守られるままにお城の中にいたと思う。でも、それはきっと私じゃないから。
「この姿を見たらアラン様も驚くと思いますよ」
「……うん」
「本当にお知らせしなくてよろしいのですか?」
「いいの。……気を遣わせちゃってごめんね」
謝る私にリリーは首を振る。
決心が鈍るといけないから。私はアラン様に何も言わずにこの城を出ようと、そう決めた。妻としてではなく、聖女としてクリス様につくということは、きっともうこのお城に戻ることはできないということだから。
この世界に来てたった数ヶ月だけれど、それでも思い出のたくさん詰まったこのお城と離れるのは、そしてアラン様と離れるのは辛くて悲しくて胸が引き裂かれそうに、痛かった。
それでもこれは私が選んだことだから。
王城から遣いの方が来てる、とリリーが報告を受け、私たちはお城の外へと向かう。
長い廊下を抜け、最後の扉へと向かう。ここを開ければもう、私は――。
ドアに手をかける衛兵に首を振ると私は自分の手で扉を押した。押そうとした。そのとき――。
「アイリ!!」
「え……?」
ドアを押そうとした私の手を、誰かが掴んだ。
誰か、なんてわかっている。この手は、この声は。
「行くな、アイリ」
「ア、ラン……さ、ま」
「クリスのところになんて行くな。クリスと結婚なんて、しないでくれ」
「ど、う……して」
「アイリ、君を愛してる。愛してるんだ。あなたが元の世界に戻ることを望むなら、私が元の世界に戻してみせる。あなたのために私は王となる。だから……だから……!」
私の手を引くと、アラン様は私の身体を抱きしめた。優しく、でも力強く。そのぬくもりが全身を通じて私に伝わってくる。
「その日まで、私のそばにいてくれ」
「っ……ふっ……くっ……」
「アイリ……?」
「わた、私……元の世界に、帰っちゃうんですよ……?」
「それでもいい。」君のためにできることは全て私がしたいんだ。他の誰にも、譲りたくない。……こんなにも自分が我が侭だったなんて生まれて初めて知ったよ」
ふっとアラン様が笑うから、私はもう我慢できなかった。
「わた、しも……私も、アラン様が、いい。元の世界に帰るその日まで、アラン様と一緒に、アラン様のそばにいたい!」
「アイリ……」
アラン様は私を抱きしめる腕に力を込める。
その腕の中で私は涙が涸れるほど泣いて泣いて泣き続けて、そんな私をずっと抱きしめ続けてくれるアラン様のぬくもりに、きっともうこれ以上の幸せなんて訪れないと、そう想った。
どれぐらい時間が経っただろう。いつの間にか来ていたキースが咳払いをして、アラン様は私の身体に回していた腕をほどいた。
「お二人の想いが通じ合われたことを祝福したいところなのですが」
キースは申し訳なさそうな表情で、でもきっと心の中ではこれっぽっちもそんなことを思ってはいないのだろうというような声色で言った。
「さきほどから王城からの遣いの方が外で待たれております。これ以上お待たせするのは」
「あ、ああ。そうだな」
「一度お帰り頂きますか?」
「……いや、もうすぐ行くと言っておいてくれ」
アラン様の言葉の意味がわからなかったのは私だけのようで、キースは満足そうに頷くと「承知致しました」と言って扉の外へと出て行く。
どうしたらいいかわからない私をよそに、アラン様はリリーに指示を出す。
「すぐに出る。アイリの化粧を直してやってくれ」
「承知致しました。服装はいかが致しましょう」
「ああ、いつものものに――いや、このままでいい」
「あ、あの。どういう……?」
「私も一緒に王城へと向かう」
「え、えええ!?」
急展開すぎて私が一番ついていけない。けれど、さすがアラン様のお城の使用人たち。私のように全てを説明されなくても、きちんと理解して動き始める。
リリーは何人かの侍女を呼ぶと、ハイスピードで私の化粧を直し始める。
準備ができて玄関へと戻ると、そこにはいつもよりも豪華な服を着たアラン様の姿があった。
「あれ……?」
「どうした?」
「服の色が、私のドレスと一緒だな、と」
「……ああ」
ふと気になったことを尋ねると、アラン様はどこか恥ずかしそうに視線をそらす。その態度に首をかしげると、リリーがおかしそうに耳打ちをした。
「お揃いですね」
「え?」
「……私のものになったというのを見せつけるからね。これぐらいしてちょうどいいんだ」
これぐらい、ちょうどいい、そう言いながらも照れくさいのかアラン様の耳が赤い。そんな態度を取られるとこちらまで恥ずかしくなってしまう。
「そ、そうですか」
「ええ。……それでは、行こうか」
アラン様が私の手を取ると、衛兵が扉を開ける。
ようやく来たか、そんな表情を浮かべていた王城からの遣いの人は私と、隣に並ぶアラン様の姿に驚きを隠せていなかった。
「せ、聖女様のみと伺っておりましたが」
「私も行くよ。何か問題があるか?」
「い、いえ」
王子であるアラン様に逆らうことはできないのだろう。遣いの人は頭を下げると馬車に乗るように促した。
どうしたらいいのか戸惑う私にアラン様は微笑むと私の手を取りエスコートをしてくれる。馬車に乗り込んだ私の隣に反対側の扉から乗り込むと、アラン様は私の手を握りしめた。
「大丈夫、私がついているから」
「……はい」
不安がないわけじゃなかった。クリス様の反応も、それから王城の人の反応も怖かった。
でも、それでもアラン様が隣にいてくれる。それだけでこんなにも勇気になる。
「……見えてきたよ」
アラン様の言葉に窓の外を見る。
そこにはクリス様を探しに行った、あの王城があった。
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