第28話
クリス様が待っているということもあって足早に庭園へと向かう。外に出るといつの間にか秋が通り過ぎ涼しいよりもほんの少し肌寒い風が吹き付けてくる。
庭園のいつものガゼボに向かうと腕を組んで目をつむっているクリス様の姿があった。
綺麗な人は何をやっていても絵になる。あんなふうに居眠りをしているだけでもまるで肖像画の中から抜け出してきたかのようだ。
起こさないように、足音を立てないようにそっと近づいてみる。すると――形のいい唇がふっと笑った。
「……見とれてたのか?」
「っ……」
眠っているとばかり思っていたのに、いったいいつから起きていたのか。
「なっ」
「お前の足音はうるさいから寝てても目が覚める」
「そんな……!」
くつくつとおかしそうにクリス様は笑う。自分ではそんなにうるさいつもりはないのだけれど、起こしてしまうほどだったのだろうか。
少しショックを受けている私の頭に手を置くとクリス様はもう一度笑った。
「冗談だ。お前だから気づいたんだ」
「な……」
その笑顔があまりも幸せそうで、何も言えなくなってしまう。表情から伝わってくる私への思いは胸が苦しくなるほどで……でも、私は、私は……。
「なあ、また二人で出かけないか?」
「え?」
「お前に見せたい場所がたくさんあるんだ。マラストにも、それから他の都市も。俺が好きな場所をお前に見て欲しい」
「クリス様、私は……」
「少しずつでいい。俺を知って、それからお前のことを教えて欲しい。アイリ、俺は本気だ。本気でお前のことが」
その言葉がどれだけ真剣か、痛いほど伝わってくる。でも、その思いを私は受け入れられない。アラン様が好きなのもある。でも、それよりも私はこの世界から帰るから――。
「クリス様、私は……あなたの思いを受け入れることはできません」
「なぜだ」
「私は、元の世界に戻ります。いつか方法を見つけて。なのであなたと結婚してこの国の住民となることはできないのです」
「……なら、俺がお前を元の世界に戻してやる。俺と結婚しろ。そうすれば、いずれ俺が王となったとき俺がお前を戻してやる」
「え……?」
それは思ってもみない申し出だった。
でも、そんなこと……。
そんな都合のいい話があるわけない。そう思うのに、クリス様の真剣な瞳に見つめられると……。
「約束する。なんなら誓約書を交わしてもいい」
「どう、して。そこ、まで……」
「たった一瞬でもいい。お前と一緒の時間を過ごしたい。一生ともに生きることができなくても、それでも俺のただ一人の女はお前だけであって欲しい。元の世界に戻るまでの時間でいい。お前と一緒に生きたいんだ」
「そ、んな」
私は何も言えなかった。だって、こんなにも私を想ってくれているなんて思いもしなかった。
私はそこまで想ってもらえるような人間じゃない。何かに向き合うことが怖くて、弱くて、頑張ることもできなくて、ただ全てから逃げていた。そんなどうしようもない人間なのに、なのに。
「こんな気持ちになったのは、初めてなんだ」
「クリス、様……」
「っ……見るな!」
赤くなった頬を腕で必死に隠すと、クリス様は顔を背ける。
「くっそ、カッコよく決めたかったのに。かっこわりぃ……」
ポツリと呟いた言葉は年相応で、どこか可愛くて、そして――愛おしかった。
この気持ちは恋じゃない。でも、一人の人間として、そして友人として目の前の男の人が愛おしかった。
「クリス様、私――アラン様の、ことが」
「言うな!」
「クリス様……」
「言わないでくれ……」
わかっている、とでも言いたげな態度に、私は何も言えなくなる。
そんな私に、クリス様は力なく微笑んだ。
「わかってる、お前が兄上を好きなことは。でも、きっと兄上はお前を聖女を受け入れることはない。絶対に、だ。だから、俺にしとけよ。兄上のことが忘れられなくてもいい。兄上のことを好きなお前ごと好きになったんだ」
「で、も……」
そんな都合のいいこと、できるわけがない。他の人を、アラン様を想っているのにクリス様と結婚するなんて、そんな。
「俺のこと、利用してもいいよ。その代わり、俺のこと本気で好きにさせてみせるから」
「クリ、ス様……」
「それに、この話はお前にとっても悪い話じゃないだろ。考えろ。今すぐに返事なんていらない。考えて、せめて少しだけでも考えて、それで……返事をくれ。……頼むから」
「……はい」
私の返事に安心したのか、クリス様はそのあと少しだけ他愛もない話をするとガゼボをあとにした。
残された私は一人考える。
クリス様は私にいつか自分が王になるまで一緒にいてくれれば、王となったとき元の世界に戻してくれると言った。約束すると、誓うとそう言ってくれた。
きっとそれは私にとって凄く都合のいい話で。でも、そうしてでも私と結婚したいのだと、そうクリス様は言ってくれた。
この話を受けることが元の世界に戻る一番の近道だと頭ではわかる。
でも。
でも私は――。
クリス様のことは好きだ。凄くいい人だと思うし、一緒にいると楽しい。最初の頃のような怖いイメージはもうなくて、話しやすくて楽しい人だとわかっている。
でも――恋ではないのだ。
この気持ちは決して恋ではない。例えるなら友愛で。私の好きな人は、恋しい人はアラン様、ただ一人だけなのだ。
だから……。
ザッという土を踏む音が聞こえて顔を上げる。
どうしてこの人は、いつもこんなタイミングで現れるのだろう。
「アラン、様」
「……すまない、どうしても気になってしまって」
そんな顔で私を見つめるのに、どうして――。
「クリスは何の話だった、なんて……愚問かな」
「……いずれ王となったら元の世界に戻すから、結婚して欲しいと、そう言われました。元の世界に戻るまでの間だけでもいいから、一緒に生きたい、と」
「そう、か」
止めて欲しい。
『私が元の世界に戻すから、クリスと結婚なんてする必要はない』とそう言って欲しい。
そう――。
「よかったね」
「え……」
「これで、元の世界に戻れる。私では、あなたを元の世界に戻してあげることはできなさそうだから」
「っ……」
ショックで立ち尽くす私に目を向けることなく、それだけ言うとアラン様はお城へと戻っていった。
私はガゼボのベンチに崩れ落ちるように座り込む。気づけば溢れていた涙は頬を伝い地面に小さなシミを作っていく。
もしかして、と思っていた。ほんの少しだけ、期待してた。アラン様も私のことを憎からず思ってくれているんじゃないかって。でも、全部私の勘違いだった。
「恥ず、かし……」
こんなにも好きになったって報われないことは最初からわかっていた。でも、ほんの少しだけ夢見ていたかった。好きになった人が、アラン様が私のことを想ってくれる、そんな未来を。
「帰、ろう」
クリス様の好きという気持ちを利用することはできない。
聖女である私がクリス様についた、という事実だけでは足りないのかも知れない。でも、それで許してもらえないか聞いてみよう。そもそもクリス様が私を召喚した理由は王となるため、だったのだから。
でも、それでも駄目だと言われたらそのときは――。
「そのときは、どうしたら、いいんだろう」
クリス様は自分のことを好きにさせてみせると、そう言っていた。
そんな日が来るのだろうか。
アラン様を忘れて、クリス様のことを想う、そんな日が――。
考えても考えても答えは出なくて、そんな私を嘲笑うように冷たい風がガゼボの中を吹き抜けた。
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