第26話
その言葉が冗談じゃないことはクリス様の真剣なまなざしでわかった。そして思い出した。クリス様は聖女を自分のものにして継承権を盤石にするために私をこの世界に召喚したんだった、と。
そうか、私が聖女だとわかった今、この人にとって私は継承権のための道具でしかない。
……友人としていい関係を築けていると、そう思っていたのは私だけだった。
「え、っと」
私は今どんな表情を浮かべているのだろう。笑っているのだろうか、悲しんでいるのだろうか。自分の表情のはずなのによくわからない。
そんな私の態度に気づいたのか、クリス様はなぜかため息を吐いた。
「お前、俺が聖女だからお前に求婚しているとそう思っているだろう」
「ちが、うんですか?」
「……まあ、俺の今までの言動からそう思われても仕方ないとは思ってる」
クリス様は立ち上がるとベッドのそばにやってくる。そして私のそばに腰を下ろすと、そっと手を取った。
「たしかに聖女としてのお前が欲しいことも否定はしない。だが俺はお前とならどこの国にも負けないいい国を作ることができるとそう思ったんだ。聖女であるお前も、聖女じゃないお前もどちらも俺は欲しい。この国のために、それから俺自身のために」
「クリス、様」
「クリスでいいと言っただろ」
優しく微笑むとクリス様は手を伸ばし私の頬に触れた。その手の感触に思わずビクッとなる。でもそれ以上に、私に触れた手が小刻みに震えていることに驚いた。
緊張、してる……?
こんなに偉そうなのに、自信満々なのに、本当は……。
でも、私はクリス様と結婚することはできない。それに私がこうやって触れて欲しいとそう思うのは、アラン様一人だけだから――。
「あ、あの」
「まあ、すぐに返事をしろとは言わない。お前にも考える時間が欲しいだろうからな」
「ク、クリス様」
「……また来る」
そう言うとクリス様はもう一度私の手を取り、手のひらにそっと唇を押し当て――そして部屋を後にした。
クリス様の気持ちは嬉しい。でも、私はこの国にはいられない。自分の元いた世界に戻る。そう思う気持ちとは裏腹に、アラン様の姿が脳裏を過る。私を求めてくれているのはクリス様だというのに考えてしまうのはアラン様のことばかり。
もしもこれがアラン様からの言葉だったら――。
「っ……何を、馬鹿なことを」
そんなことあるわけない。あの人の立場で聖女である私を求めてくれるわけがない。それにアラン様に求められたからといってどうなるわけでもない。私は元の世界に戻る。それだけなんだから。
なのに、どうしてこんなにも胸が苦しいの……。
目尻にじんわりと涙が浮かぶ。
「アイリ」
ノックの音とともに、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。この声は――。
「アラン様」
「入ってもいいかな」
「あ……はい」
慌てて涙を拭うと顔を上げる。視線の先にはドアを開けこちらを見つめるアラン様の姿があった。少し疲れたような表情をしているけれどどうかしたのだろうか。
「具合はどうだい?」
「もうずいぶんとよくなりました。そろそろ動けると思うんですがリリーが心配して」
「そうだね、私としてももう一日ぐらい休んでいてくれているほうが安心できるよ。……あの日は、本当に心配したんだ」
「すみません」
もしかしたら疲れた表情の原因は私なのかも知れない。聖女である私を匿っていることがバレたはずだ。きっと今まで通りにはいかない。それなのに、今もこうやって私がここにいられるのはアラン様が何か手回しをしてくれているから――?
「あの」
「アイリ」
「あっ……」
今、外がどうなっているのか尋ねようとした私と、思い詰めた顔でこちらを見つめるアラン様の声が重なる。お互いに譲り合いを繰り返し、観念したのかアラン様はもう一度口を開いた。
「先程、クリスが来ていたと聞いた」
「……ええ」
その、ことか。
「何の話だったか、聞いてもいいかな」
きっと何の話かだなんてアラン様もわかっている。それでも確認するんだ。
……酷い人。
私はなんとか声を絞り出すと、抑揚のない声で、言った。
「……クリス様に、結婚して欲しいと、言われました」
「……そうか」
それだけ言うとアラン様は黙り込んでしまう。私もなんと言っていいかわからず、部屋には沈黙が訪れる。
クリス様がいたときも微妙な沈黙が流れた。けれどそれよりももっと重苦しくて、この場から逃げ出したいとさえ思う。
けれどそうすることが叶わないのはわかっている。だから私はシーツをギュッと握りしめながらせめて誰か部屋に入ってきてくれたらいいのにと願った。
でも、そんな都合のいいことは起きるはずがなかった。
「それで、どうするんだ?」
「え?」
質問の意図がわからなかった。
どうする? どうするって何が?
まさか――。
「結婚の、ことですか……?」
「……そうだ」
「どうって……」
「クリスは……やんちゃなところはあるが、まっすぐでいい奴だ」
思わず言葉を失った。
心臓は止まりそうなほど痛んだ。息がうまくできない。
好きな人に他の人との結婚を進められるなんて、これほど悲しいことがあるだろうか。
「ア、ラン……様、は……その方がいいと、そう思ってるって、ことですか?」
上手く、喋れない。
止めて欲しいと、そう思っているはずなのに、どうしてこんなことを言ってしまうんだろう。こんな、自分が傷つくだけのことを。
私の問いかけに、アラン様は目を伏せる。そして。
「アイリが望むなら、それもいいのかも、しれないね」
「っ……」
胸が引き裂かれたように苦しい。
じわっと滲みそうになる涙を必死に堪えた。
駄目。泣いちゃ、駄目。まだ、駄目……。
この人の前では、泣いちゃ、駄目。
必死に息を吸い込むと、私は吐き出すように声を出した。
「わたし、は」
「…………」
「私、は元の世界に戻るので……クリス様とは、結婚しません」
「……そう、だったね」
別に好きになってくれなくたっていい。いつかこの世界からいなくなるその日まで、好きでいられたらそれでよかった。それだけでよかった。
でも、元の世界に戻る私が、誰かを好きになること自体間違いだったのかもしれない。
「アイ――」
「すみ、ません」
「え?」
何かを言おうとしたアラン様の言葉を遮ると、私はほんの少しだけ口角を上げ、困ったような表情を作った。
「少し、疲れたので、一人にしてもらえませんか」
「……すまない」
私の言葉をどう受け止めたのかはわからないけれど、それ以上何か言うことなくアラン様は私の部屋をあとにした。
パタンと音をたててドアが閉まる。
それと同時に、堰を切ったように涙が溢れてくる。泣いて泣いて、涙が涸れるんじゃないかと思うぐらい泣いて……知らないうちに眠りについていた。
夢の中で私はアラン様の隣で笑っていた。そんな私にアラン様も微笑み返してくれる。こんな未来が来ることはない。そう思うと辛くて苦しくて、幸せな夢のはずなのに、それが余計に苦しくて、目覚めてから、ありえない幸せな夢に、もう一度泣いた。
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