第25話
目が覚めると私はアラン様のお城の自分の部屋にいた。起き上がろうにも身体が重い。頭も痛いし吐き気もする。一瞬、今の状況が理解できず、思い出したのはようやく身体を起こせた頃だった。
「わた、し……」
「アイリ様!」
痛む頭に手を当てていると、開いたドアの向こうでリリーが立ち尽くしているのが見えた。目には涙を浮かべていて、手に持ったタオルを床に投げ捨てて私の元へと駆け寄った。
「アイリ様! お目覚めになられたのですね!」
「お目覚めって……私……」
「アイリ様は丸三日も眠ってらしたのです」
「三日も……」
あれからそんなにも経ったなんて。
リリーの声が聞こえたのか廊下を走る音が聞こえ、アラン様が部屋に飛び込んできた。後ろにはキースの姿もある。キースは切れ長の目尻をそっとこすっていた。
アラン様はホッとしたように微笑んで私のそばに近寄った。
「アイリ、身体の具合はどうだい?」
「まだ少し頭が痛いですが大丈夫です」
「それはよかった」
「あの! 街は!? 子ども達はどうなりましたか!?」
古井戸を浄化したあとの記憶がない。アーシャやライは、子ども達は無事元気になったのだろうか。
不安に思う私の頭をアラン様は優しく撫でた。
「大丈夫、アイリのおかげでみんな無事だ。後遺症もなく元気に過ごしていると報告があった。アイリにお礼を言いたいとみんな言っているそうだよ」
「そ……っか。よかった……」
安心して思わず涙が溢れる。ライは怒っていないだろうか、約束をしたのにあんなことになってしまって。今度会ったら謝らなくちゃ。
「それにしても、アイリ様。お一人であのようなことをなさるなんて無茶ですよ」
キースは私をジッと見つめると真剣な口調で言う。
「う、ご、ごめんなさい」
「ごめんなさい、ですまない可能性もあったのです。おわかりですか?」
「それは……」
「まあ、キース。アイリは病み上がりなんだ。小言はそれぐらいで」
「アラン様もです。あなたもご自分の立場というものを考えてください」
助け船を出したはずのアラン様まで怒られてしまい、私たちは顔を見合わせて首をすくめる。でもキースの言うことはもっともだと思うので大人しく小言を聞く。心配かけてしまったことは本当に申し訳なく思うから。
しばらく勇気と無謀との違いを語ったあと、キースは咳払いをした。
「ところで貧困街のことですが」
「え?」
「あちらは取り壊しが決定しました」
「なっ……!」
あまりの衝撃に私は言葉が出てこなかった。
貧困街が、取り壊される……今、キースはそう言った……? どうして……どうして……。
「どう、して……」
「アイリ様」
「どうして!? あそこがなくなったらアーシャはライはほかの子達はどこに行けばいいの!? あんなところでもあの子達にとっては家なのに! 帰る場所なのに! それすらも奪われるなんて!!」
「アイリ様、落ち着いてください。彼らの行き場所はもう決まってます」
「え……?」
キースの言葉に私は顔を上げる。そこには目を細めてニッコリと笑うキースと、なぜか顔を背けるアラン様の姿があった。
「決まってるって……どういうこと?」
「彼らには王立の孤児院に入って頂くことになりました。もちろんそこでは三食食事を取ることができます。学校にも通うことができます」
「孤児、院……?」
「ええ。そして、あの長屋があった場所には孤児院に入れない年齢の者が住めるようにもっときちんとした住居を建設します。もちろんその者達への職の斡旋もです」
展開の急さについていけなかった。どうしてそんなことに? 有り難いし望んでいたことのはずなのに。
「嬉しくないのですか?」
「嬉しいよ! 嬉しいけど、どうして急に……」
「……どこぞのお偉い方が直々に王へと掛け合ったそうですよ」
「え……?」
言葉に含みを持たせるとキースは満足そうに微笑む。
誰とは言わない。でも、もしかして。
私はアラン様へと視線を向ける。アラン様は気まずそうに顔をそらしたまま口を開いた。
「……よその世界の人間がが私たちの国のために必死になっているというのに、その国の住民である私たちが素知らぬ顔はできないからね」
「アラン様……」
あんなにも政治に関わることを嫌がっていたのに。そもそもあの日貧困街に連れて行ってくれたこともそうだ。アラン様の立場であれば難しいことはわかっていた。だから私一人で行くつもりだった。なのに、アラン様は私についてきてくれた。立場が悪くなることもいとわずに、それどころかあんな場所に行って自分の身がどうなるかもわからないのに私についてきてくれた。
「ありがとう、ございます」
「気にしなくていいよ。それより自分のことを心配してくれ」
「……はい」
「後悔、してるかい?」
貧困街の一件で、私が聖女だということはきっと知れてしまった。これまで通りここに隠れていることはできないと思う。
でも、それでも。
「これっぽっちも。もしももう一度あの日をやり直したとしても、私は同じ選択をすると思います」
私の答えにアラン様は複雑そうな表情を浮かべたまま「君らしい」と言って微笑んだ。
翌日、まだ本調子じゃないからと私は今日もベッドの中に押し込まれていた。もう随分と元気になっているのだけれどリリーがあまりにも心配するから大人しくベッドの中にいることにした。
といっても特にすることはなく。私はふと思い立ってその言葉を唱えた。
「鑑定」
頭の中に浮かぶモニター。スキルの項目には『浄化』という箇所が増えていた。
できる保証なんてなかった。でもなんとなくあのときの私ならできるってそう思った。みんなのことを、そしてアラン様のことを思うと胸の奥から魔力がこみ上げてきた。
あの感情を人は、愛おしいと、そういうのかもしれないとそう思ったのだ。
「なんて、ね」
自分自身の思考がむず痒い。やっぱり身体を動かしてないからうだうだと考えてしまうのかも知れない。リリーにリハビリがてら動きたいと言って庭園にでも行こうかな。
そんなことを考えていると、にわかに部屋の外が騒がしくなった。
どうかしたのだろうか? その答えは、突然開いたドアの外にあった。
「……クリス様!?」
「おう」
後ろではリリーやイヴァンが慌てているのがわかる。そりゃそうだよね。敵対しているといってもいいクリス様がアラン様のお城に来たんだもん。それもあの様子じゃあ先に連絡があったとかじゃなくて突然乗り込んできたのかもしれない。……たぶん、きっとそうだ。
「入ってもいいか?」
「あ、はい」
さすがに女性の部屋にズカズカと入ってくることはできなかったのか、ドアの前で立ち止まったまま尋ねるクリス様に私は頷いた。
部屋に入ってくるとソファーにクリス様は座る。私は寝間着のままだったのでどうしようか悩んだけれど、とりあえずベッドの上で身体を起こした。
「席を外せ」
クリス様にそう言われ、リリーとイヴァンは部屋を出てドアを閉める。
少し考えるようなそぶりの後で、クリス様は口を開いた。
「お前、聖女だったんだな」
ああ、やっぱりその話だ。けれど仕方がない。そうなることは承知の上で、私は貧困街へ駆けつけることを選んだんだから。
小さく頷いた私に、クリス様はため息を吐いた。
「そうか」
気まずい沈黙が私たちを襲う。なんといえばいいのかわからない。
結局、沈黙を破ったのはクリス様だった。
「もしかしたらそうなのかもと思ったときはあった」
「え?」
「貧困街で子ども達と一緒にいるお前を見ていると聖女というのはこういう人間を言うのかと。お前が聖女じゃなかったことを悔しく思いすらした」
「クリス様……?」
「……なあ、アイリ。俺と結婚しないか?」
「え……?」
何を冗談を、そう言おうとした私は、真剣にこちらを見つめるクリス様の瞳に、何も言えなくなった。
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