第24話
私は動かなくなったアーシャの身体を呆然と見つめた。
どうして!? だってヒールをかけたのに。司祭様を呼ぶってアラン様は言っていた。なのに、どうして? どうして……!
「アイリ!」
「アラン、様……?」
いつの間にか駆けつけたアラン様が長屋の外から私に叫んだ。その後ろには必死に連れ戻そうとする衛兵の姿も見えた。羽交い締めにされながらもアラン様はまっすぐ私を見つめていた。
「ハイヒールだ! その子はまだ! 死んでない!」
その言葉にハッとする。そうだ。ヒールで駄目なら!
腕の中で弱々しくも呼吸をするアーシャの身体を私はギュッと抱きしめた。
そして。
「ハイヒール!」
先程よりも強い光がアーシャを包む。
お願い、効いて――!!
必死に願いながら抱きしめる腕の中で、小さなうめき声が聞こえた。
「……ん」
「あ……」
私の腕の中で――アーシャは、目を開けた。
「アイ、リ……?」
「アーシャ……」
「わた、し……」
「アーシャ……もう、大丈夫、だよ」
私の言葉が上手く聞き取れないのかアーシャは首をかしげる。瞳から溢れる涙がぽたりぽたりとアーシャの顔に落ちる。それを拭ってあげながら、私はもう一度アーシャを抱きしめた。
「アイリ」
私に声をかけたのはいつの間にか衛兵の拘束を解いたアラン様だった。衛兵は私の行動に腰を抜かしたのか長屋の前に座り込むようにしてこちらを見つめていた。
「アラン、様……」
そしてその後ろには何があったのかと様子を見に来た子ども達の姿があった。蒼い顔でこちらを覗き込む子ども達に私はハッとする。
そうだ。苦しんでいるのはアーシャ一人じゃない。
私はアーシャのそばで眠っていた子ども達にもハイヒールをかける。かけてかけてかけ続け、次の長屋に向かった。
そこにも数人の子ども達がいた。きっと他の長屋も同じだと思う。でも、このままだと時間がかかりすぎる。事態は一刻を争う。こうしている間にも弱って、そして命の火が消えてしまう子どももいるかもしれない。
何か、何かいい方法はないのか。
「……そうだ」
できるかどうかわからない。でも、もうこれしか方法がない。
身体の中の魔力を練る。今までよりももっと、大きく、力強く。
お願い、できて。
「エリアハイヒール!」
「なっ」
アラン様の驚くような声が聞こえた。
でも、正直それどころじゃない。身体中の魔力が根こそぎ奪われるような、そんな感覚に倒れてしまいそうになる。
でも、今私が倒れたら誰がこの子達を助けるんだ。
一人だって欠けさせない。みんなを助けたい。
「っ……くっ……」
でも、そんな願いとは裏腹に、どんどん身体の中の魔力がなくなっていくのを感じる。頭は酷く痛み、吐き気を催す。ぐあんぐあんと鳴り響く耳鳴り。このまま気を緩めたら倒れ込んでしまいそうだ。
そんな私に気づいたのか、アラン様が怒鳴る。
「アイリ、もういい! それ以上したら君が死んでしまう」
「だ、め……」
「アイリ!」
「力は……誰かを、助けるために、あるの……今、助けなかったら、私は、一生後悔する……から……」
「くっ……」
視界の端でアラン様が顔を歪めたのが見えた。
そんなふうに私を心配してくれてありがとうございます。
でも、それでも、私は――。
「え?」
ふわっと、身体が何かに包まれたのに気づいた。
それがアラン様の身体だとわかったのは、耳元で聞こえたアラン様の声でだった。
「アラ、ン様……?」
「私には何もできない。でも、ここでアイリの身体を支えることはできる」
「あり、がとう、ございま……す」
私は背中から伝わるぬくもりに、身体の中で何かが増すのを感じた。今なら……!
私はもう一度魔力を練り上げると、叫ぶようにその魔法を唱えた。
「エリアハイヒール!!」
それは先程と同じなようで、全く異なるものだった。
練り上げられた魔力はあたたかい光となって貧困街を包み込む。視界の先でその光に触れた子ども達の頬に赤みが差していく。もうちょっと、あと少し。この貧困街の隅々にまで、この光を、届けるんだ。
「っ……は、はぁっ……はぁっ……」
「アイリ!」
「わ、わた、し……かく、にん……いかな……」
「アイリはもうここから動くな」
アラン様は私の身体を抱きしめると、後ろで腰を抜かしたままの衛兵に怒鳴りつけるように声をかけた。
「おい、お前」
「は、はい!?」
「いつまでそうしてるんだ。この街の子どもがどうなったのか見てこい!」
「わ、わかりました!」
アラン様の指示で衛兵は路地の奥へと走って行く。まだ頭がガンガンしているけれど、それでもさっきまでの魔力が吸い取られるような感覚に比べれば幾分かマシだった。
「アラ、ン……様……みんなは……」
「きっと大丈夫だ。もうすぐ衛兵が戻ってくる。そうしたら――」
「アラン様、確認して参りました。ほとんどの長屋で子ども達が意識を取り戻しているようです。顔色がいいのでおそらく――先程のそちらのお方の魔法が効いたのかと」
言葉を選びながら衛兵は言う。あの様子では私を聖女――もしくはそうは見えないけれど実は高位の聖職者なのでは、と思っているのかもしれない。でもそんなことはどうでもいい。それより。
「ほとんどってどういうことですか?」
「え?」
「全ての子ども達、じゃなくてほとんどって言いましたよね? 治ってない子がいるってことですか?」
「あ、はい。路地の奥、城壁のそばで一人倒れている子どもがおりました。ですが一人だけですしお気になさることでは――」
「っ……!!」
その場所には心当たりがあった。
「アイリ!」
私は重い身体を必死に持ち上げると、引きずるようにして路地を歩く。私の想像通りだとしたら、そこにいるのは。
「アイリ、無茶をしちゃ駄目だ」
「だい、じょう、ぶです……」
「大丈夫なわけがないだろう!」
アラン様の言葉とともに自分の身体が宙に浮くのを感じた。
「えっ、ええっ!?」
「動くと落ちるから」
動くなと言われても。私の身体はアラン様の両腕に抱えられていた。いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。お姫様抱っこ……オヒメサマダッコ……。
「や、そ、そうじゃなくて。な、なんで」
「行くなと言っても行くだろう? それなら私が連れて行った方がよほどいい。それにアイリが自分で行くよりも早く着く」
そう言われてしまうと何も言い返せない。結局私はアラン様に抱かれたまま路地を進んだ。そして路地の奥には想像していたとおり――倒れ込むライの姿があった。
城壁の壁に隙間がある。森へと行こうとしていたのかもしれない。でも、どうして。
ううん、今はそれよりも。
「ライ!!」
「ぅ……」
声を出す余裕もないのか息も絶え絶えといった様子でライはそこにいた。私はアラン様に地面へ降ろしてもらうと、慌ててライの身体を抱きしめた。
「熱い……」
燃えるように熱い身体。悪寒が酷いのか身体はガタガタと震えていた。
今、楽にしてあげるから。
「ハイヒール!」
私はライの身体にハイヒールをかける。よほど酷いのか一度では足りず二度、三度と重ねがけをしてようやく呼吸がマシになった。
「よかった」
「よかったな」
「はい。……でも、どうしてライだけこんなに酷く……」
そこまで言ったとき、私はあの古井戸を思い出した。もしかしてあれが原因……? だからライは……。
「アイリ?」
「アラン様、申し訳ないんですがこの壁を思いっきり蹴ってもらえませんか?」
「ここを? ……わかった」
アラン様は勢いよく壁を蹴り飛ばした。文字通り穴の部分が飛んでいくのを見てアラン様は少し驚いたようだった。
「これは、抜け道か?」
「はい。その、城壁の外へと繋がっているようです」
「なっ」
言葉を失うアラン様をよそに私はその穴に足をかけた。向こう側はこの間来たときよりも嫌な気が強くなっている。私は聖の気に守られているからか特になんともない。でも、アラン様は違う。
「あの、危ないのでここにいてもらっていいですか?」
「危ないのにどうしてアイリ一人で行かせると思う?」
「う……」
それはそうなのだけれど、でも……。
「この先に何かあるのだろう?」
私が止めるのを聞かずアラン様は城壁の穴をくぐり抜けると森へと降り立った。もうこうなったら仕方ない。
「もしアラン様に何かあったら私の身体がどうなろうとハイヒールをかけ続けます」
「なっ」
「だから絶対――あの、古井戸には近づかないでください」
「古井戸?」
アラン様は私の視線の先を追う。そしてそこにある古井戸の禍々しい雰囲気に息をのんだ。
「あんなものが……。アイリは知ってたのかい?」
「……はい」
でも、こんなことになるなんて思ってなかった。わかってたらもっと早くなんとかしたのに。……ううん、わかっててもなんにもできなかった。私は、無力だ。
「これがあの街を覆う嫌な気の原因だとそう思ったんです。だからなんとかしなきゃって、でも間に合わなかった……」
「これが全ての原因だと決まったわけじゃない」
「でも……!」
「それに間に合わなかったと言ったけれど、今こうやってアイリはこれの前にいる。それはなんとかする方法を見つけたからじゃないのかい?」
アラン様や優しく言う。でも、私は頷けなかった。本当になんとかできるかわからない。そもそも私に浄化が使えるのだろうか。図書館でしたときはうんともすんとも言わなかった。なのに、今ここに来て使えるなんてそんな都合のいい話……。
「大丈夫」
「え……?」
「もしもなんともできなかったとしても誰もアイリを責めない」
……きっとそうだと思う。誰も私に期待なんてしていない。私ができなくてもみんな私のせいだなんて言わない。
でも……。
「私は……私を、責めます」
「ならその責は私が負う。アイリ一人に背負わせはしない」
「駄目っ」
こっちに来ないでと、そう言ったのに。アラン様は私の隣に立つと、手を握りしめた。
その手は温かくて、そして優しかった。
繋いだ手からアラン様の優しさが伝わってくる。どうしてだろう。アラン様がそばにいてくれるなら、なんだってできる気がするのは。
思えば最初からそうだった。アラン様のそばは居心地がよくて、心強くて、嬉しくて、切なくて、幸せで、苦しくて。
アラン様だけじゃない。クリス様もアーシャもライも、みんなみんな私にとって大切で。
大切な人たちが笑顔でいてくれればとそう思う。そう思えば思うほど、胸の奥に灯る火が大きくなっていく。魔力が膨らんでいく。
今なら、できるかもしれない。
「……アラン様」
「ん?」
「私、アラン様のことが好きです」
「なっ……」
驚いたような声をあげるアラン様にふふっと笑った。
アラン様が私のことを好きじゃなくてもいい。私がアラン様を想っているだけだから。
「アラン様も、クリス様も、キースもイヴァンもリリーも、アーシャもライも……。この世界で出会った人、みんな大好きです」
「アイリ」
「見ててくださいね」
深呼吸一つして、そして唱えた。
「浄化」
それはエリアハイヒールと遜色ない。ううん、それよりももっと凄かった。気を抜くと魔力のうねりに意識を持って行かれそうになる。
「くっ……」
「アイリ!」
けれど意識を失いそうになるたびに、アラン様が私の手を握りしめてくれる。アラン様が手を繋いでくれていなければ魔法に飲み込まれていたかもしれない。
時間にしてみればきっと十数秒のことだと思う。けれど私にとってそれは永遠にも感じられる時間だった。
ふっと身体が楽になった瞬間、私は膝から崩れ落ちた。
「アイリ!!」
「わ、わた……し」
目の前にあった古井戸からはもう嫌な気配はしない。それどころか辺りは聖の気に満ちているような気さえする。
浄化、できたんだ……。よかった……。これで、もう……。
「だい……じょ……ぶ・・」
「アイリ!? ア……リ……!!」
遠くでアラン様が何か言っているのが聞こえる気がする。でも、もう駄目。
私はそのまま意識を手放した――。
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