第21話
新しくできあがった道路の前にいるような、そんな状態の路地で私は一人立ち尽くす。せめて路地だけではなく壁も綺麗になっていればごまかしようもあるかもしれない。そんな解決とはほど遠いことを思いつくほど私は慌てていただのだと思う。
「う、うん。壁もね、綺麗になればなんとなくここがもともとこんな感じだったような気になるかもしれないよね」
本当にそうだろうか、一瞬不安が過ったけれどもうあとには引けなかった。どのみちこの状態を見ればおかしいと思われることは確実だったから。
「えっと、とりあえず地面に合わせて、壁も同じように綺麗に……。え、何これ。壁についてるの泥に……
魔法をかけるために触れた手にベトベトした謎の黒いものがついて、背筋に悪寒が走った。もういい、とにかく綺麗にしよう。全てはそのあとで考えよう。
もう一度魔力を練り上げると、私は辺りの壁に意識を集中した。そして――。
「クリーン」
辺りを光が包む。そして目を開けると真っ白になった壁と、目をまん丸にしてこちらを見つめるクリス様の姿があった。
「……まずい」
まずいまずいまずい。
見られちゃいけない人に見られちゃった。こんなはずではなかった。それとない感じで綺麗にして箒で片付けときましたーって言うつもりだったのに。
辺りはもう、決して女性が一人で、それも箒を使って掃除しましたなんて言えるような状態ではなかった。
どうしよう、クリス様に聖女であることがバレるわけにはいかないのに。
「お前……」
はっとした表情を浮かべると、クリス様はツカツカと私の方へと歩いてくる。そして腕を掴んだ。その表情は驚きとも怒りともつかない。
「あ、あの」
「お前、魔法が使えたのか!?」
「……へ?」
けれど、クリス様の口から出たのは「聖女だったのか!?」ではなく「魔法が使えたのか!?」という言葉だった。
魔法……や、うん。魔法だけれど。
「今のはクリーンか? それにしては威力が凄いがいったい何回かけたらこんなことになるんだ? 俺も子どもの頃部屋の中でファイアを使ったときに部屋を煤だらけにしてバレないようにクリーンを使ったことがあるがここまで綺麗にはならなかったぞ」
どうやらクリス様もクリーンを使ったことがあったようだ。辺りのあまりの綺麗さにクリーンを重ねがけしたと思われているらしい。ちょうどいいからそのまま誤解しておいてもらおうと思う。
「え、えっと綺麗になるまで何回もかけたので覚えてないです」
「まあそうだろうな。じゃないとこんなに綺麗にはならないはずだ。と、いうかお前魔力はなかったはずだよな? ああ、もしや後天組か? まあ聖女じゃないにしろこの世界で生きるには魔力があった方がいい。兄上の側近のキースはその辺に詳しかったはずだから……」
何やら一人でブツブツ言って一人で納得している。
まさかあのときの鑑定自体が私の魔力によって阻まれてて見えてなかった、なんて思いもしないのだろう。
騙すのは心苦しい。でも、今この人にバレてしまう訳にはいかないのだ。
「そ、そうなんです。キースが、その、私の手から魔力を流し入れてくれて、それで魔力が開花? したとかなんとか……。……その、たいした魔法は使えなくて、ファイアやアクアすら駄目なんですが、生活魔法ぐらいならなんとか使えるようになって」
「そうか……。よく頑張ったな」
クリス様は私の頭を撫でる。その表情があまりにも優しくて、胸が痛くなる。
ファイアやアクアが使えないのは嘘ではない。嘘ではないけれど、今言ったことの全てが本当ではない。
どれだけ優しくされても、あなたにだけは本当のことを言うわけにはいかない。
「アイリ?」
「……いえ、なんでもないです」
「そうか? とりあえずこの辺はこれで綺麗になったな。俺の汲んできた水はいらなかったってことだな」
「あ、あの、ごめんなさい。本当にクリーンでこの辺全てを綺麗にできるとは思ってなかったので、その、それで」
「――大丈夫、別に怒ってるわけじゃないから」
ふっと笑うと、突然クリス様はぐるりと辺りを見回した。
そこには綺麗になった街を呆然と見つめる子ども達の姿があった。後ろだけじゃない。長屋の中からこちらを窺う姿も見える。
クリス様の視線を受けて、子ども達が後ずさりをしたのがわかった。長屋の中に隠れてしまった子もいる。私もこの間の態度から、クリス様がこの子達に対してあまりいい感情を抱いていないであろうことを思い出した。
しまった……。
でも、ここに来るためにはクリス様の手を借りるしかなかった。こんなことならやっぱりクリス様には少し離れたところにいてもらうか、どこかでお茶でもしていてもらえばよかった。
後悔先に立たず。今更、後悔しても遅い。現に目の前にはにらみ合うように向かい合う、クリス様と子ども達がいるのだから。
とにかくこの状況をどうにかしなくては。でも、どうしたら……!
「そんな顔するなよ」
「え?」
「街がこれだけ綺麗になったんだ。次はあいつらの番だろ」
「どういう、意味ですか……?」
や、なんとなく言っている意味はわかる。わかるのだけれど、それがクリス様の口から出たということで上手く理解ができない。言葉通りの意味に受け取っていいのか、それとも。
「綺麗な街にあの子達はいちゃいけないってことですか……?」
「なんでだよ!」
おずおずと尋ねた私にクリス様は思いっきり突っ込んだ。この人、突っ込みなんてするんだ……。クリス様自身も、自分の言動に驚いたようで口元に手を当てると少し恥ずかしそうにしている。そんな態度が妙に可愛くて笑ってしまいそうになる。
「……お前、今笑っただろ」
「笑ってません」
「口がにやついてる」
「気のせいじゃないですか? と、いうか前にもこんな会話をした気がするんですけど」
「うるさい。くっそ。俺にそんな口を叩くやつなんてお前ぐらいだぞ」
「……どうも私はクリス様に気に入られたらしいので」
その返しは予想していなかったのか、呆けたように私を見つめたあと、クリス様は笑った。声を上げて、顔をくしゃくしゃにして。あまりにも意外な姿に今度は私の方が呆けてしまう。
「そうだな、俺はお前を気に入ってる。だからさっさと名前で呼べ」
「無理です」
「無理なもんか。ほら、呼んでみろよ『クリス』って」
「無理ですってば!」
なんだか楽しんまれている節すらあるのだけれど、とにかく話を元に戻さなくては。
「そ、それで。次はあの子達の番っていうのはどういう意味ですか?」
「……だから!」
クリス様は汲んできてくれた水を指さした。
「これで、あいつらの顔でも洗ってやろうぜ」
「へ……?」
「なんだよ」
「や、その」
そんなこと言われるなんて思っても見ませんでした。なんて素直に言ったら「じゃあやめるか」と言われてしまいそうなので私は慌てて首を振った。全力で。それこそ取れてしまいそうな勢いで。
「凄くいい考えだと思います!」
「……ふん」
クリス様はそっぽを向くと鼻をならす。まるで照れ隠しのようなその姿が可愛い。けれど余計なことを言えばまた言い合いになってしまうので私は黙ったまま子ども達の方へと視線を向けた。
子ども達は私たちの言い合いを何が起きているのかわからないままジッと見つめていた。そしてその中に、この間のアーシャの姿を見つけた。
「アーシャ!」
「……アイリ!」
てってってと走ってくるその身体を抱きしめた。けれど私の腕の中にいると気づいたアーシャはもがくようにして私の身体を押しやった。
「あ、だ、だめ! アイリが汚れちゃう」
「大丈夫、汚れたって洗えば綺麗になるから」
「で、でも」
「大丈夫。ね」
「本当……?」
「ホントだよ」
アーシャに優しく微笑みかけると、少し戸惑いながら、ようやくアーシャは私の身体を押し返していた手腕の力を緩めた。
「……なあ」
「え?」
そんなアーシャの後ろで誰かが口を開く。それはこの間、アーシャを迎えに来た男の子だった。
「これ、あんたたちがやったのか?」
「あんたたち、じゃねえ。こいつが一人でやったんだ」
「なんのために?」
「なんのため? そんなの、お前らのために決まってるだろ」
「おれ、たちの?」
クリス様の答えに、男の子は心底意味がわからないといった様子で眉をひそめる。親からも大人達からも見放されたと思って生きていた子ども達に、突然やってきた私たちの姿はどう見えているのだろう。
施されていると思うのか、憐れまれていると思うのか、蔑まれていると思うのか。
そのどれでもないことを、なんと言えば伝わるのか。
「本当は何が目的なんだ?」
「え?」
だからその子の言った言葉の意味を理解するまでにしばらく時間がかかった。
「目的って……」
「ここを綺麗にして俺たちを追い出すつもりか? 俺たちみたいな汚いガキを住めなくして追い出してそれで解決するとそう思ってるのか? だとしたら大間違いだ!」
「そんなこと思ってない!」
「嘘吐け! お前たち大人は俺たちを想っているふりをしていつだって考えているのは自分たちのことだけだ! 俺たちみたいな孤児がどうなろうがしったこっちゃないんだろ!」
「お前……!」
「待ってください!」
男の子の言葉に反射的に言い返そうとしたクリス様の腕を掴む。苛立った視線をこちらに向けてきたけれど、私は首を振った。
この子にこんなことを言わせたのは私たち大人だ。この子たちを守ることなく、こんなところに住むことしかできなくさせた大人の責任だ。
そこに何か理由があったとしてもこの子達は大人に見捨てられたと見放されたとそう思っただろう。……かつての私がそうだったように。
「な、なんだよ」
アーシャから手を離し私はその子のそばへと向かう。
「なんだよって言ってるんだよ! く、来るな!」
その子は逃げ出すことなく、私を睨みつけた。手足が震えているのに決してその場から動くことはない。今自分が逃げれば、後ろにいる自分よりも小さな子たちが何かされるとそう思っているのかもしれない。
だから私は――その小さな身体をギュッと抱きしめた。
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