第20話

 翌日、クリス様が迎えに来てくれるということだったので準備をして庭園へと向かった。何時頃来てくれるのか、ということを聞き忘れたことに気づいたのは持って行くものを精査し、庭園のあのガゼボに到着したときだった。

 しばらく待ってみてもクリス様は来ない。どうしようか、と悩んでいるとリリーが口を開いた。


「このまま待ち続けてもいつクリス王子がいらっしゃるかわかりません。一度、お城に戻られてはいかがですか?」

「うーん、そうなんだけどいつ来るかわからないってことは私がいない間に来ちゃうこともあるってことだからさ」


 もしもクリス様が来たときに私がいなかったら帰ってしまうかもしれない。万が一、私が来るまで待たせてしまったりなんかしたら。

 

「頼んだのは私だから、それはやっぱり駄目でしょ」

「それは、そうかもしれませんが」

「まあもうちょっとだけ待ってみるよ」

 

 そしてクリス様が現れたのは、それから1時間程経ってから、だった。

 

「準備はできてるか?」

「はい」

 

 この間のように馬に乗って現れたクリス様は、手慣れた手つきで馬を下り、私の元にやってくる。そしてベンチの横にまとめて掃除道具を見て眉をひそめた。ちなみに待っている間に暇だったので持ち運びしやすいようにロープで縛っておいた。ちょっと見栄えは悪いけど。


「なんだ、その大荷物は」

「掃除道具です」

「それは見ればわかる」

「クリス様が言ったんじゃないですか。自分にできることを考えろって。だから私考えたんです。地位もお金もない私にできること」

「それが掃除ってことか。俺は手伝わないぞ」

「大丈夫です」


 いくら私でも王子様に掃除をさせたりしない。と、いうかしたことなさそうだもんね。掃除。

 それにこのモップとかはカムフラージュで実際は魔法でしてしまうから問題ない。


「じゃあ行くか」


 クリス様はモップや箒といった掃除道具を持ってスタスタと歩いて行く。私も慌てて立ち上がろうとして、動けなくなった。


「ク、クリス様」

「なんだ? ああ、持たせてることを気にしてるのか? 別にこれぐらい」

「そ、そうじゃなくて……その、足が」

「足?」


 クリス様の視線が私の足下に向けられる。


「足がどうかしたのか?」

「足が、痺れちゃいまして」

「は?」

「ちょっと長い時間座りすぎたみたいです。あ、リリー。ちょっと手を貸してくれる?」

「はい」


 私はリリーが差し出してくれた手を掴もうとする。けれどそれより早く、クリス様が私の腕を取った。


「へ?」

「ったく、何をやってるんだ」


 手に持った荷物をリリーに渡すとひょいっと私を抱えた。そしてそのまま馬に向かって歩いて行くと、馬上に私を乗せた。


「なっ、い、ま」

「何を言ってるんだ?」


 いや、何を言ってるんだって今あなたお姫様抱っこしてたじゃないですか! パニクらない方がどうかしてますよ!?

 喉元まで出かかった言葉を必死に堪える。落ち着け。この人に何の他意もない。そしてお姫様抱っこをしたという意識もないんだ。気にしない。気にしない。

 けれど返事をしない私を疑問に思ったのか、クリス様はリリーへと視線を向けた。「あいつは何を言ってるんだ」とでも言うかのように。


「あ、あの。恐れながら申し上げます。アイリ様はおそらくクリス様に抱き上げられたことに恥じらいを感じられているのだと……」

「抱き上げ……!? っ……!」


 クリス様に聞かれたから仕方ない。仕方ないとわかっているのだけれど、あえて追い打ちをかけるようなリリーの言葉に、私は馬上じゃなかったら顔を隠したい程の恥ずかしさに襲われる。本当なら馬のこの毛並みに顔を埋めてしまいたい。でも、そうするとバランスを崩すかもしれないと思うと、顔を背けることしかできなかった。けれど背ける直前、リリーの言葉で自分のしたことに気づき顔を赤くするクリス様の姿をバッチリ見てしまったのだけれども。


「な、お、俺はそういうつもりでは……!」

「わ、わかってます」

「そ、そうか……。 くそっ」


 クリス様は舌打ちをすると、リリーに渡しておいた掃除用具を奪うように取り、馬にくくりつけた。そして私の後ろに乗り込むと、馬を動かした。


「掃除をするってどういうことだ?」


 しばらく馬を走らせ城門を出て馬を預ける。そしてマラストまで歩き始めた辺りでクリス様は問いかけた。今日は少し雲が出ていて馬に乗って走っていると涼しい。もうすぐ十月も半ば。この世界も元の世界と同じよう四季があり、一年は十二ヶ月だ。木々が色づきだし、そろそろ秋が訪れようとしている。

 元の世界はどうなってるだろう。友人達は私のことを心配しているだろうか。授業の単位、落としちゃったかもしれないな。

 それから、お母さんは……私がいなくなってどう思ってるだろう。案外、まだ知らなかったりして。……や、さすがに行方不明となれば実家にも連絡がいくだろうし……。

 勝手に想像して勝手に落ち込んでどうする。そう思うのに沈んだ気持ちはなかなか前を向かない。

 けれど、そんな私に遠慮なくクリス様は話しかける。


「おい」

「……はい」

「どうして暗くなってるんだ? 俺、変なこと聞いたか?」


 私の態度に慌てるクリス様はどこか可愛くて、つい笑ってしまう。

 うん、そうだ。気にしてたって仕方ない。ここにいる限りは元の世界のことはわからないんだ。今は、今できることを一つずつやっていこう。


「えっと、何の話でしたっけ?」

「はあ!?」

「嘘です。掃除の理由でしたよね」

「聞こえてるんじゃないか」

「すみません」


 拗ねたような口調のクリス様に笑いながら謝る。そんな私にクリス様がふんっと鼻をならしたのがわかった。


「クリス様に言われて私にできることとできないことを考えたんです。でもあの子達を物理的になんとかしてあげようと思うと私だけでは難しくて。住む場所を与えることも、服を着替えさせてあげることもできない」

「そうだな」

「でも、あの暗くて汚い場所を綺麗にすることはできると思うんです。マラストの街はとっても綺麗でした。なのにあの子達がいるあの場所だけが元から暗くて汚かったわけじゃないと思うんです。荒れた土地には荒れた人が集まります。綺麗にして見通しをよくすることで悪いことをする人も減ると思うんです」

「――理想論だな」


 私の言葉をクリス様は吐き捨てるように否定する。クリス様が言うこともわかる。綺麗で清潔な場所に全く犯罪がないとは言えない。どんなに平和な街にもよからぬことを考える人はいる。それでも。


「やってみて駄目だったらまたそのときに考えます。今、私にできるのはそれぐらいだから」


 それに。


「自分が言ったことを覆すのは恥ずかしいことじゃないと、教えてくれたのはクリス様じゃないですか」

「なっ……」


 一瞬、言葉に詰まる。けれどそのあとすぐに私の背後で「ふはっ」と笑う声が聞こえた。


「たしかにな。お前の言うとおりだ。ほら、もうすぐ着くぞ」

「あ……」


 いつの間にか街並みが変わり、貧困街の入り口に着いていた。そもそもこの入り口も本来なら路地なのだろう。どんどん荒み、汚れ、その結果まるでここから違う街のようになってしまっているだけで。


「それじゃあお手並み拝見といくか」


 期待していたわけじゃないけれど、クリス様は本当に手伝う気はないようで高みの見物とばかりに腕組みをして近くの外壁にもたれかかる。

 私は持ってきてもらった掃除道具を手に取り、貧困街の仲へと向かった。

 そんな私をクリス様は慌てて追いかけてくる。


「お、おい。入り口からやっていくんじゃないのか?」

「外側だけ綺麗になったって何も変わりません。とにかく一度奥がどうなっているのかを確認しないと」

「だからって一人で入っていくやつがいるか」

「じゃあ、着いてきてください」


 クリス様の返事を待つことなく、私は貧困街へと足を踏み入れた。そこは一昨日と同じように嫌な空気と重く不安になるような雰囲気に包まれている。


「くそっ。俺を護衛に使うやつなんてお前ぐらいだぞ」


 ブツブツと文句を言いながらクリス様は私の隣を歩く。

 貧困街はボロボロになった家が何軒も連なっていた。家といっても長屋のような、複数の住戸が一つの建物にあるようなものばかりだった。

 その中から、こちらに向けられた視線を感じる。一人や二人ではない。十人以上いる気がする。


「結構、たくさんいますね」

「そうだな。育てられなくなった子どもや孤児になった子どもなんかもみんなここにいると聞いた」

「子どもばかりなんですか?」

「ああ。ある程度の年になると国を出たり……罪を犯して捕まったり。まあ、いろいろだ」


 たしかに、自分の身を自分で守れるようになればこんなところにいたくないだろう。それで小さな子どもばかりが肩を寄せ合って暮らしていると。

 でも、そこまでわかっていてどうして。

 

「それを国はなんとかしようとしなかったんですか?」

「……教会で週に二度、食事を配っている」

「週に二度……」


 それでは生きていくのにギリギリ最低限のラインだった。でもそれだけじゃあんなに元気には走り回れないだろう。と、いうことは。


「誰か支援者がいるんですね。もしくはどこからか食べ物を盗ってきている。……どちらも、ですか?」

「……さあな」

「そしてそれを国は黙認してる」

「……それ以上はいいだろ」


 もしかしたらここに住んでいたかつての住人たちが自分たちの出て行ったあとを心配して食べ物を持ってきているのかもしれない。もしかしたらあの子達が街で食べ物をくすねてきているのかもしれない。いろんなもしかしたらが思い浮かぶ。でもそれはどれにしろ根本的な解決にはならない。


「ここが一番奥かな」


 私は一番奥までやってくると辺りを見回した。そこには崩れかけた城壁がある。ここからなら外に出て森の動物たちを狩ることもできる。もしかしたらそうやって食べ物を確保することもあるのかもしれない。


「じゃあ、クリス様はこれに水を入れてきてください」

「は? お前はどうするんだ?」

「この辺を箒で掃きます」


 本当はクリーンを使うんだけれど、さすがにクリス様の目の前で使うわけにはいかない。どうして俺が、とブツブツ言うクリス様にバケツを手渡すとその背中を押した。


「よし、それじゃあ始めますか」


 とりあえず家らしきもののなかに勝手に入るのは憚られる。なのでこの通りを綺麗にしよう。手始めにこの地面。泥がこびりついているのかねっちゃりとした感触がある。これじゃあ不衛生だし汚い。

 私は地面に手を触れると、魔力を練り上げた。

 綺麗になりますように。清潔になりますように。この場所にもう怖い人がやってきませんように。彼らを彼女らを誰も襲いませんように。

 そんな願いを込めて。

 

「クリーン」


 私の想定ではこの辺りから塵一つなくなるはずだった。クリス様に聞かれたら「箒で掃きました!」で押し通すつもりだった。

 けれど。


「どうしよう……」


 私の目の前に広がる通路には、たしかに塵一つ落ちていなかった。それどころか先程までの薄暗いものとは違い、これっぽっちの汚れもない真っ白で泥汚れ一つない路地があった。

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