第19話

 翌日、私はアラン様のお城を出てクリス様の住むお城――もとい、王城へと向かった。どうやらクリス様は王様やその奥さんである王妃と一緒に王城に住んでいるらしい。どうしてアラン様はそちらに住んでいないのだろう、と思ったけれどお母様が側室だと言っていたからそのあたりで色々あるんだろうと思った。

 

「到着致しました」

「あ、ありがとうございます」

 

 馬車から降りると、そこはアラン様のお城とは比べものにならないほど大きくて豪華なお城があった。一国の王様が住んでいるのだから当然なのかもしれないけれど、差が凄い。裏庭のようなところにつけてくれたのだけれど、ここだけでもアラン様のお城のそばの庭園の倍以上の広さはある。

 

「さて、これからどうしよう」

 

 馬車は用が済むまで待っていてくれると言っていた。ちなみに私が乗っていた馬車はキースが手配してくれた。昨日、あのあとリリーにクリス様に会いに会いに行きたいと相談すると、すぐにキースを読んでくれたのだ。

 歩いて行くと言ったのだけれど絶対に迷子になると押し切られてしまった。でも迷子にならなかったとしても歩いて行けばかなりの時間がかかったと思うから馬車を用意してもらってよかったのかもしれない。

 と、いうかどうしてここに降ろしてくれたんだろう? そう思っていた私視線の先に、タイミングよくクリス様が現れた。偶然と呼ぶにはあまりにタイミングがいいので咳き込んでしまう。

 そんな私に、クリス様が気づいた。一瞬、驚いたような表情を浮かべたあとつかつかと私のそばまでやってきた。

 

「お前……」

「こんにちは」

「何の用だ?」

 

 昨日の別れ際に怒らせてしまったので口をきいてくれなかったらどうしよう、そんな心配をしていたのだけれどクリス様は普通に話しかけてくれる。その態度にホッとして、私は微笑みかけた。

 

「クリス様に会いたくて」

「なっ」

 

 私の言葉にクリス様はわかりやすいほど動揺する。その態度にこちらまで恥ずかしくなる。アラン様といいクリス様といい、王子様という立場なのだから女の人から声をかけられるのは慣れているだろうにどうしてこうも素直なのだろう。

 

「ゴホン。で、俺にいったい何の用だ?」

「もう一度、貧困街に連れて行ってほしくて」

「……そういうことか」

 

 私の答えに、クリス様は眉間に皺を寄せた。

 

「人を頼らずに自分で動けと言っただろ」

「はい。なので、クリス様に会いに来ました。もう一度、貧困街に連れて行ってください。その先は、私自身が動きます。でも、今の私には貧困街に行くすべがないのです」

「……兄上に頼めばいいだろう」

「アラン様には断られました。……もう、クリス様しか頼れる人がいないんです」

「…………」

 

 黙り込んでしまったクリス様に、駄目かもしれないと思った。私だって自分で動けたと言われたくせに連れて行くのは頼みたいなんて都合がいいことを言っているとわかっている。でも、私にはどうにもできないこともある。一人で貧困街に向かうことは可能かもしれない。でも行けば、もう二度とここには戻ってこられない。アラン様やクリス様と一緒にいたから通してくれた門も、私一人では通ることはできないだろう。

 でも、それもクリス様には関係のない話だ。やっぱり――。

 

「わかった」

「え?」

「なんだ、その意外そうな声は」

「だ、だって引き受けてくれるとは思わなくて」

「お前が言ったんだろう。俺しか頼れないって」

 

 その言葉がクリス様の琴線にどう触れたのかはわからない。でも、引き受けてくれるというのだ。このチャンスを逃すわけにはいかない。

 

「はい! 私にはクリス様しかもう頼れる人はいないんです!」


 その手を握りしめて必死に頼み込む。やっぱりやめたなんてもう言わせない。私は、私にできることを少しでもやりたいんだ。

 

「わ、わかったから手を離せ」

「あ、すみません」

 

 王族の手に勝手に触れたら不敬罪になったりするのかもしれない。慌ててクリス様の手を離すと、そこには少し赤い顔をした少年がいた。

 

「……照れてます?」

「悪いか! お前みたいに突っ込んでくる奴なんて今までいなかったんだよ!」

「王子様なら女の子からちやほやされてるのでは?」

「……普段は侍従がガードするからな。ここは普段誰も入らない場所だから一人で来てるんだ。なのに、なんで……」

 

 と、いうことは今日がイレギュラーということで。なんだか申し訳ないことをしてしまった。でも、普段誰も来ない場所のはずなのにこの場所に来ればクリス様に会えることを知っているキースは一体何者なんだろう……。

 

「なんかすみません」

「いや、別に謝ることじゃないが」


 多分私が言いたかったすみませんの内容は伝わっていないけれど、とりあえず笑って誤魔化した。

 

「そうです……? そうしたら、クリス様。さっそくなんですが、貧困街に連れて行ってほしいです」

「ああ。だが、今日は無理だ」

「え……?」

 

 まさかそんな答えが返ってくると思わず、私はショックが隠せない。ガッカリする私に、クリス様は慌てて口を開いた。

 

「明日連れて行ってやるから」

「どうして今日は駄目なんですか?」

「今日は今から学校なんだ」

「学校?」

 

 あまりにも似つかわしくない単語に思わず復唱する。学校、学校って私が知ってるあの学校?

 

「なんで学校に行くんですか?」

「俺が王立学院の学生だからだ」

「ええ!?」

「そんなに驚くことか?」

「クリス様って今何歳なんですか?」

「十七だ。来年で十八になる」

 

 十七歳。高校二年生。同い年か年下かと思っていたけど本当に年下だった。

 

「私より、二歳も年下だったんですね」

「お前は十九か。なら成人しているんだな」

「私の世界では二十歳で成人ですけどね」

 

 あ、でも法律が改正されたとかで今は十八歳で成人になったんだっけ? まだだっけ? よくわからない。

 

「へえ、そうなのか。この国では十八で成人だ。俺も来年で十八。そうなれば正式に皇太子となれる」

 

 やはり今、皇太子の席が空席となっているのはクリス様が成人していないから、みたいだ。そのせいで自分の地位を確固としたものにしたくて、私が呼び出された、と。随分と迷惑な話だ。

 でも、そのおかげでアラン様に会えた。元の世界にいずれ戻る私が、この世界で誰かを好きになったとしても辛いだけ。そうわかっているのに、アラン様に惹かれていく気持ちを止められない。苦しくて辛いだけだとわかっているのに。

 

「アイリ?」

「あ、いえ。なんでもないです。えっと、今日が学校ってことはいつなら大丈夫ですか?」

「明日だな」

「わかりました。明日、またここに来たらいいです?」

「いや、俺が迎えに行く。この間の庭園にいろ」

「わかりました」

 

 私はクリス様と約束をすると、来たときと同じように馬車に乗ってアラン様のお城へと戻る。そして図書室へと向かった。最初は箒やモップを持って行って綺麗にしようと思っていたし今もそうするつもりだ。でも、もしかすると魔法を使うことでもっと綺麗にする方法があるかもしれないと考えたのだ。

 

「――これだ!」

 

 その結果、クリーンという辺りを綺麗にできる魔法を見つけた。これを使えば貧困街のあの空気の悪さも綺麗になるかもしれない。でもよく考えるとお城の中でこの魔法を使っているところを見たことがない。掃除はソフィーたちが手でやっている。

 

「うーん? あんまり使い勝手がよくないのかな」

 

 とにかくものは試しだ。やってみよう。

 私は自分の部屋に戻ると、目を閉じて魔力を練り上げた。そして。

 

「クリーン」

 

 その瞬間、部屋の空気が変わったのを感じた。恐る恐る目を開ける。すると、そこはさっきまでと同じ部屋なのに、なぜかキラキラと輝いていた。

 

「これって、成功したってこと?」

「アイリ様、今の魔法は――」

 

 私が部屋で魔法を使ったことを感知したイヴァンが慌てて入ってくる。そして部屋の中を見て、目を丸くした。

 

「これは、いったい何を……」

「クリーンっていう魔法を使ったんだけど……」

「なんというか、これをソフィーたちが見たら自分たちの掃除が行き届いてなかったことを突きつけられたような、そんな気持ちになると思います」

 

 冷静に話しているようだけれど、あまりにもストレートな言葉にイヴァンが思った以上に驚いているのがわかる。私もイヴァンの言葉に同意だった。

 

「こ、こんなになるなんて思わなかったの。図書室の本でクリーンっていう魔法を見つけて。お城のお掃除はいつもソフィーたちが一生懸命してくれているでしょう? どうして魔法があるなら魔法でしないのか不思議で、それで試してみたら……こんなことに……」

 

 でも使ってみてわかった。これは使わないのではない。使えないのだ。

 一ヶ月以上もここにいれば魔法についても少しは詳しくなった。魔力を練り上げて使う魔法は思った以上に疲れる。そして使う魔力量なんかと実際に手でやるときの手間を天秤にかけた時、後者を取ることがある。クリーンも魔法を使うよりも手でやった方がコスパがいいと、そう思われて誰も使うことがなくなったのだ。

 

「お城中を綺麗にすることを考えるとしんどいね」

「そんなことしないでくださいね。ソフィーたちからのクレームを受けるのは私ですので」

「わかってるよ」

 

 でも使われることがない魔法なら、クリス様のそばで使ったとしてもバレないかもしれない。上手いこと魔法を使っていることは隠して、持参したモップとかで掃除したふりをすればいいんじゃない?

 

「よし、そうと決まれば頑張らなきゃ!」

「アイリ様?」

「あ、なんでもない。こっちの話」

 

 あはは、と笑って誤魔化す私にイヴァンは不思議そうに首をかしげた。

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