第16話

 アラン様と同じようにクリス様も馬を預けると宿屋の主人にお金を渡す。そして私を促すと昨日と同じ道のりを歩き始めた。


「さっきの話だけど」


 歩き始めてすぐにクリス様は口を開く。視線は前を見つめたままこちらを向くことはない。


「兄上が裏切ったと思うかもって言ったけど、あの人はそんなこと思わねえよ」

「どうしてわかるんですか?」

「……わかるからだ」


 クリス様は足下の石を蹴り飛ばす。石は誰もいない道のりを勢いよく転がっていった。


「昔からあの人はそうだ。俺があの人の大事な剣を壊したときも勢い余ってあの人に怪我をさせてしまったときも「私は大丈夫。クリスは怪我はなかったかい?」って俺の心配をするような人だ。お前のことも心配はしてたとしても裏切られたなんてことはこれっぽっちも思ってねえだろうよ」


 意外だった。クリス様はアラン様のことを嫌っているとばかり思っていたけれど、今の口調は優しい兄を語る弟のものだったから。


「なんだよ」

「や、その、本当は仲がいいのかな、と思いまして」

「誰が」

「アラン様とクリス様が」

「馬鹿なことを言うな。……今のは、それこそ俺がずっと幼い頃の話だ。この数年、まともに話したこともない」


 この数年まともに話したことないのにどうしてわかるんですか。

 そんな意地悪な疑問は口にすることなく飲み込んだ。言ってしまえばきっとクリス様はアラン様を否定するような言葉を言わざるを得ないから。

 王位継承権、長男次男、正妃側室、二人の間にある違いは大きいのかもしれない。でも本当はどちらも相手のことを思っているのかも。そんなふうに思う。


「なにニヤニヤ笑ってんだ」

「笑ってないです」

「いや、笑ってた」

「クリス様の気のせいじゃないですか?」

「……まあいい。それより様付けしなくていいと言っただろ。クリスと呼び捨てで呼べ」

「無理言わないでください!」


 慌てて私は首を振る。そんなことできるわけない。いくら私がこの国の人間じゃないとしても王子様は王子様だ。本来なら私より年上のキースたちにだってさん付けで呼びたいところを絶対に駄目ですと言われて仕方なく呼び捨てで呼んでいるのだ。これでクリス様まで呼び捨てで呼ぶとか恐れ多くて仕方がない。

 私の必死の抵抗が伝わったのか、クリス様は面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「……まあいい。俺は許しているから気が向いたらそう呼べ」

「わ、わかりました」


 とりあえず引いてくれて助かった。ホッと息を吐く。

 そして私はふと疑問に思った。クリス様は一体どうして自分を呼び捨てで呼んでいいなんていったのだろうか、と。だって本来であれば誰かから呼び捨てでなんて呼ばれる立場の人じゃない。それこそ王様とかアラン様とかそういう立場の人ぐらいのはずだ。

 なのに、なぜ?

 疑問に思うと答えが知りたくなるのは悪い癖だ。でも、聞かずにいられなかった。


「どうして私に、呼び捨てで呼ばせたかったんですか?」

「……お前は俺が異世界からこの世界に呼び出した。生憎、聖女ではなかったようだが、召喚されし乙女であることに間違いはない」


 実際は聖女であることも間違いはないのだけれど、そんなことを言えばやぶ蛇なのはわかっているから黙っておく。けれどそんな私を気にとめることなくクリス様は話を続ける。


「俺は聖女を呼び出して自分の立場を地位を明確にしたかった。兄上ではなく、俺が正当な後継者なのだとそう証明したかった。聖女ではなかったようだが、今ではそれでよかったと思ってる。聖女を召喚したから、娶ったから王となった。そんなふうに言われるのはまっぴらごめんだ。俺は俺の力で王になる。父上にも兄上にも認めさせて、な」

「それと呼び捨てで呼ばせることにどんな関係が?」

「…………」


 なんとなく、それっぽいことを言ってごまかされているような気がして思わず尋ねてしまう。クリス様は私の言葉に一瞬足を止め、それから早足で歩き出した。

 慌ててその後ろを追いかける。


「クリス様!?」

「うるさい」

「え、どうしたっていうんですか」


 ようやく追いつくけれどクリス様は足を緩めることはない。けれど一瞬見えた耳が赤くなっていたような気がした。


「クリス様……?」

「……うるさい!」

「え、ええ?」

「ああっもう! 一回しか言わねえからな! お前のことが気に入ったからだよ! 俺は、臣下とか身分とか関係なく気に入ったやつとは対等に話したい。それだけだ!」


 耳どころか首まで真っ赤だ。でも、クリス様のその考え方は私は嫌いじゃなかった。まあそれと呼び捨てで呼べるかどうかは別の話だけれど。


「ああ、ほら街が見えてきた。行くぞ」


 この話題はこれで終わり、と言わんばかりにクリス様は言うと街へと歩いて行く。私は笑いそうになるのを堪えながらその隣を歩く。

  お城は森の中にそびえ立っているため、城門を抜け、森を抜けようやく街へとたどり着く。

 昨日来たときも思ったけれど、首都ということもあってマラストは本当に人が多い。賑やかだし活気に溢れている。……ように見える。


「こっちだ」


 クリス様は町外れの細い路地を進み始め――私を振り返った。


「もっとそばに来い」

「え、ええっ!?」


 その言葉に戸惑う。だってそんなこと言われたの初めてだったし、そもそも急になんでそんなことを……。


「ばっ……!」


 焦る私に気づいたのか、クリス様は少し赤い顔で私の腕を掴んだ。掴まれた手は大きくてごつい。私とそう変わらないぐらいの年だろうにやっぱり男の人なんだなと思わされる。


「この辺りは危ないんだ。だからそばに来いって言うだけで別に他意なんざない」

「あ、ああ。そういうことなんですね。ちょっとビックリしました」


 へらり、と笑ってみせるけれどクリス様は怒ったように眉間に皺を寄せている。いや、これは怒っているというより照れている……?


「なんだ?」

「なんでもないです」


 可愛い、と言ったらきっと本当に怒るだろう。だから私は気にもとめてないようなふりをして歩き出す。そんな私を怪訝そうな顔で見ながらクリス様も路地を進んでいった。

 しばらく歩くと薄暗い中に何軒か家――と呼んでいいのか。瓦礫のような中に人がいる空間が見えてきた。


「これがお前が見たがってたところだ」

「これが……。でも、昨日は」

「あれは貧困街の入り口だ。奥はもっと酷い。行くか?」


 クリス様の言葉に一瞬、ためらった。そしてそのためらいを見逃すようなクリス様ではなかった。


「無理する必要はない」

「無理してなんか」

「意地を張るな」


 悔しかった。でも、それ以上に恥ずかしかった。

 何かできると思った。何かしたいと思った。その気持ちは嘘じゃない。でも、怖くて足が動かない。

 立ち尽くす私の腕を、クリス様は掴むとそのまま歩き出した。


「な……どこに……!」

「いいから黙ってついてこい」


 言葉は乱暴なのにその口調が優しかったから……。私のことを想ってくれているのがわかって、私は手を引かれたままクリス様のあとをついていった。

 しばらく歩いた私たちは川岸にたどり着いた。

 そこは空気が澄んでいて、先程までの暗くて重い雰囲気とは正反対だった。

 クリス様に促され川べりに座る。そして何度か深呼吸をすると、少しだけ気持ちが落ち着くのを感じた。


「大丈夫か?」

「はい。ありがとうございます」

「いや。……だが、これでわかっただろ? 悪いことを言わないからあそこに近づくのはやめろ」

「…………」


 何も言えなかった。

 あのままにしておいたら駄目だという気持ちと、けれどもうあんなところに近づきたくないという感情がせめぎ合う。

 自分であの場所に行きたいと言ったのに……。


「自分自身が言ったから覆せないと、そう思ってるんだろ?」

「え?」


 まるで私の心を読んだかのような言葉に驚いて顔を上げた。隣に立つクリス様はどこか遠くを見つめていた。太陽の光が邪魔をして、その表情は見ることができない。


「異世界から来たお前にとって受け入れがたいことがあるのは仕方がない。そしてそれについてお前が何もできないことも仕方がないんだ」

「仕方が、ない」

「そうだ」


 仕方がない。仕方がない。仕方がない。

 そうだ、仕方がないんだ。できなくたって仕方がない。納得できなくても仕方がない。……愛されなくても仕方がない。

 たくさんの仕方がないで今までだっていろんなことから逃げてきた。

 頭ではわかっている。私なんかに何ができるんだって。聖女だなんだと言われてもしょせん私は私に過ぎない。ちっぽけな存在だ。

 でも……!

 むなしさと悔しさと、そして逃げ出した自分自身への腹立たしさが入り交じり、私は川べりに落ちている石をギュッと握りしめた。


「おねえ、さん」

「え?」


 そんな私の耳に飛び込んできたのは、聞き覚えのある声だった。

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