第15話

 クリス様はどうしたらいいか不安そうな表情のリリーには目もくれず、私を連れてどこかへと向かう。私は残されたリリーのことが心配だったけれど、腕を引っ張られているのでとにかくついていくしかなかった。

 貧困街に連れて行ってくれるということだったけれどまさかこのまま歩いていくのだろうか。そんな不安が頭を過った。

 昨日アラン様と行ったときは馬に乗っていた。それでも結構時間がかかったのに……。

 だから少し歩いた先に馬が繋がれているのを見てホッとした。

 そんな私の態度に、クリス様は足を止めた。


「不安か?」

「え?」

「俺と一緒に乗るのが嫌ならもう一頭馬を用意させる。ああ、お前は自分で乗れないと言っていたな。なら……」

「ちょ、ちょっと待ってください。いったい何の話をしてるんですか?」

「……俺と一緒に乗るのが嫌なんだろう? だから不安そうな表情をしてたんじゃないのか?」


 クリス様の言葉に、先程の不安な気持ちが表情に表れていたことを知る。表情が顔に出やすいのも問題かもしれない。


「ご、誤解です!」

「誤解?」

「はい。その、たしかに不安でしたがそれはここから歩いて行くのではと心配になっただけで」

「歩いて? 街までか? 行ってもいいがお前の足でだと日が暮れるぞ?」

「だ、だから不安だったんです! でも馬がいるのが見えてよかったってホッとしてたんです。そりゃたしかにあの日、クリス様は私を馬から放り落として森の中に置いてけぼりにしましたけど! でも謝ってくれたし悪いって思ってくれてるって知ってるから不安なんてありません」


 いや、そりゃ気にするべきなのかもしれないし不安に思うところなのかもしれないけれど、誰にだって頭に血がのぼることはあるし過ちだって犯すことはある。でもそれを過ちだったと認めたときに、許せる人間でありたい。もうしないという言葉を、信じられる人間でありたい。たとえまた裏切られることがあったとしても、それでもその瞬間だけは信じたい。綺麗事かもしれないけれど、そう思うから。


「……やっぱりお前は変な女だ」


 そう呟いたかと思うと、クリス様は馬につけた鐙に足をかけ、身を翻すと馬に乗った。

 絵になるなぁ。

 思わずその姿をジッと見つめてしまう。召喚されたときも、そして昨日もそんな余裕なんてなかったけれど、こうやって見るとアラン様に負けず劣らずクリス様もカッコいい。銀色の髪の毛が日に当たり神秘的なほど輝いている。優しくて落ち着いた雰囲気のアラン様とは違い少年っぽさを残したキリッとした目元。この国の王子でなかったとしても女の子が放っておかない外見をしている。


「ほら」


 そんな人が、私に手を差し伸べているのは不思議な気持ちだ。アラン様といいクリス様といい王子様という立場の人間は誰も彼も女の子の扱いになれているのだろうか。

 ためらいつつも、この手を取る以外に私が馬に乗る方法はない。私はアラン様にそうされたときのようにクリス様の手を握りしめる。するとクリス様は容易く私の身体を馬上に引き上げた。


「よし、行くぞ」


 そう言ったかと思うと、クリス様は足を馬の腹に向かって押しつけるようにした。それを合図のように馬は走り始める。


「え、ちょ、まっ」


 昨日のアラン様との乗馬が散歩だとしたらクリス様のは全力疾走だ。森の中を馬は猛スピードで駆けていく。あり得ないスピードで辺りの景色が変わっていく。


「きゃっ、こっ怖い!」

「そうか? ほら、慣れると気持ちいいぞ」

「慣れませんって! お、落ちる!!」

「喋ってると舌を噛むぞ」

「無理無理無理!!」


 あまりの恐怖に思わず身をよじる。その拍子に体勢を崩した私は、身体と地面が平行になった。

 落ちる――!

 痛みを覚悟して目を瞑る。けれど、その瞬間は訪れることはなかった。


「え……?」

「ったく。仕方ねえな」


 耳元でおかしそうにそう言うクリス様の声が聞こえた。

 恐る恐る目を開けると、私の身体を抱きしめるようにクリス様の腕が回されていた。慌てて身体を離そうとするけれど、逆に腕に込める力を強められてしまう。


「あ、あの! は、離してくださ……!」

「動くと落ちるぞ」

「もう大丈夫です」

「……うるさい。落ちたくなかったら黙ってこのままにされとけ」


 口調はぶっきらぼうで怒っている雰囲気なのに、言葉は私のことを心配しているように聞こえるのがおかしい。

 そういえば、アラン様も私のことをこうやって抱きしめてくれたっけ。昨日のことなのにまるで随分と前のことのように感じる。

 アラン様……。

 今更、私は不安になった。私がクリス様と出かけたと聞いてアラン様はどう思うのだろうか。助けてくれた上にクリス様から匿ってくれたというのにこんなふうにクリス様と出かけるなんてアラン様からしたら裏切られたように思わないだろうか。

 せめて私の口から一言、伝えてから来るべきだった。リリー、アラン様になんて伝えたんだろう。心配かけてないといいんだけど。


「……悪い」

「え?」


 黙り込んだ私に、クリス様はそう耳元で呟いた。

 突然どうしたのか、戸惑う私にクリス様は言葉を続ける。


「あのときは乱暴なことをして悪かった。今度は絶対にあんなふうに落としたりしない。約束する。だから安心して捕まってろ」

 

 そう言ってそのまま黙り込んでしまった。そんな態度にクリス様の不器用な優しさを感じる。そして私が黙ってしまったことで、不安にさせてしまったことに気づいた。


「ち、違うんです!」

「違う?」


 怪訝そうに聞き返される。その反応に一瞬、このまま本当の理由なんて言わない方がいいのではと思った。このまま黙っていればわからない。言えばきっとクリス様は嫌な気持ちになるだろう。機嫌を損ねるかもしれない。でも、それでも。


「……その、黙って出てきてしまったことでアラン様がどう思うかが心配で。アラン様とクリス様の仲があまりよくないことは知っています。だからアラン様に助けてもらったのにこうやってクリス様についていったりしたことを、その裏切られたように思われたらどうしようって不安になって……。だから、クリス様が謝ることなんてないんです。むしろクリス様は私のことを考えてくれていたのに、私は自分のことばっかり考えてて……ごめんなさい」


 振り返ることもせず私は一気に、吐き出すように言った。後ろでどんな表情をしているのか見ることができない。怒っているだろうか、ガッカリしただろうか。でも、それでも嘘をついてこのまま話を合わせて謝らせるだけ謝らせるようなことはしたくなかった。

 たとえそれでクリス様が怒って、このままこの馬から下ろされるようなことになったとしても。


「…………」


 何を言われるのかわからない。私はギュッと手綱を握りしめる。

 そんな私の後ろでクリス様がため息を吐いた。


「お前は……」


 ただその口調が怒っているとか不機嫌とかそういうのではなくて、どこか呆れているように聞こえた。


「怒ってないんですか?」

「怒らねえけど呆れてる」


 ああ、やっぱり呆れられていた。なんとなくそんな気はしたけれど、でもその理由まではわからない。どういうことなのか、と首をかしげる私にクリス様はもう一度ため息を吐いた。


「別にそんなこと馬鹿正直に言わなくても黙ってたらわからないだろ。全部俺のせいにした方が手っ取り早いとは思わなかったのか?」

「それは……思わなかったと言えば嘘になります」

「…………」

「でも、もしそうしたとして、それでクリス様が私に気を遣ってくれたり申し訳ないと思ってくれたとして……そんなふうに思わせた自分を私は許せない。それならもしクリス様にこの馬上から落とされることになったとしても、正直に言う方がいいと思ったんです」


 私の言葉にクリス様は黙った。私も何も言えず黙り込んでしまう。

 そのままどれぐらいの時間が経ったのか。森を抜け正門を抜けた頃、ようやくクリス様は口を開いた。


「ほんっと変な女だな」

「え?」

「……でもそういう奴、嫌いじゃねえよ」

「え?」

「なんでもない。ほら、もうすぐ馬を下りるぞ」


 クリス様にそう言われ視線を前に向ける。気づくと昨日アラン様が馬を止めた宿屋が見えていた。

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