第14話
ああ、見つかってしまった……。
私を視線で捉えたクリス様は、見つけたと言わんばかりに私の方へと歩いてくる。もしかしたら他の場所に用事が……なんて甘い期待は崩れ落ちる。クリス様の目的はきっと私だ。
「お前……」
「…………」
どうしよう、逃げた方がいいんだろうか。でもここからお城に逃げ込むためにはクリス様のすぐそばを通らなければいけない。そもそも私が走ったところでクリス様に追いつかれる可能性の方が高い。と、いうか確実に追いつかれる。
諦めるしかない。さすがにこんなところで殺したり何かすることもない、と信じたい。信じたいけれど……。
あのときの虫けらでも見るようなクリス様の目を思い出して背筋に変な汗をかくのを感じる。ああ、でもやっぱり駄目かもしれない。
ぎゅっと目を閉じると手のひらを握りしめた。
「ああ、よかった。やっと見つけた」
「え……?」
思いがけない言葉に私は顔を上げる。よかったってどういうこと? それに見つけたって、私を探していたってこと? でも、どうして。
その言葉が持つ空気はとても優しくて、私を殺そうとして探していたわけじゃないようだ。だから余計にわからなくなる。どうして私を探していたのかが。
「お前、えっと……」
「何か……?」
「だから、その。名前だよ」
「名前?」
「ああ。お前の名前はなんて言うんだ」
名前……名前?
まさかそれを聞くために探していたわけでもあるまい。
質問の意図がわからずにいると、クリス様は痺れを切らしたように口を開いた。
「なんで何も言わねえんだ? お前には名前がないのか?」
「そんなわけないでしょ! あ……」
思わず出たフランクな言葉遣いに思わず口を押さえる。相手は王子様だ。こんな口をきけば不敬罪で殺されるかもしれない。
けれど、クリス様はそんな私の様子なんて気にもとめていないようだった。
「ならどうして答えねえんだよ」
「それは……」
「もう一度聞くぞ。お前の名前はなんだ?」
「……愛莉です」
「アイリ、か」
口の中で私の名前を何度か呟く。そして――。
「あのときは悪かった」
そう言ってクリス様は私に、頭を下げた。
「なっ……」
「聖女の召喚に失敗したことと、それからアイリに言われたことで頭に血がのぼっていたとはいえ、こっちの勝手で呼び出しておいて森に捨てるなんて……」
「…………」
「だから、こんなこと俺が言えた立場はねえのはわかってるけど……お前が無事でよかった」
くしゃっと笑ったその表情に、私は単純かもしれないけれどこの人は悪い人ではないのかもしれないと、そう思ってしまった。
「ここ、いいか?」
「あ、はい」
クリス様は私に確認すると、向かいのベンチに座る。
アラン様が静だとするとクリス様は動だ。そんなどちらかというと荒々しい雰囲気の府リス様がガゼボの真っ白なベンチに座っている姿が妙に可愛らしく、私は思わず笑ってしまった。
「ふっ……ふふ……」
「どうした?」
「い、いえ。なんでもないです。それよりも、クリス様は私を探してくださっていたのですか?」
「……ああ。昨日の様子から兄上が匿ってるんだろうと思ったからな。そりゃどれだけ探しても見つからないはずだ」
「探してくださってたのですか?」
「……本当に死なれてたら目覚めが悪いからな」
口は悪いけれど、性格まで悪いわけではない。素直なだけで悪意があるわけではない。なんとなくそう思った。
「なんだよ」
マジマジと見つめてしまった私を、クリス様は不思議そうに見つめる。
その表情に――なぜかアラン様の姿が重なった。
「っ……な、なんでもないです」
「変な女だな」
「むっ。……それで今日は何のために私を探してくださってたのですか? 生きていることが、そしてアラン様が匿っているのだろうとそう思ったのであればもう気にされる必要はないのでは?」
変な女と言われたことにイラッとして、その気持ちをそのままぶつけてしまう。私の疑問にクリス様は言葉に詰まった。
何か変なことを言っただろうか?
クリス様はガシガシと頭を掻くと、うつむきそしてため息を吐いた。
「……悪かった」
「え?」
「あの日、何もわからないお前を森に置いていったこと。あのあと一人城に戻って冷静になったときに、自分が何をしたかようやく気づいた。本当に悪かった」
頭を下げたクリス様の手が震えていた。きっとこの人の立場で誰かに頭を下げることなんて今まで一度もなかっただろう。それでも自分が悪いと頭を下げることができる。それは凄いことだと思うし、やっぱりアラン様と兄弟なんだと実感する。一緒に育ったことはないと言っていたけれど、根っこの部分が似ているのかもしれない。
「……もういいですよ」
「え?」
私の言葉にクリス様は怪訝そうな声を出した。
「もういいです。今、私はこうやって生きていますから」
「本当にいいのか?」
「はい。それに自分が悪いことをしたとわかっている人を、それ以上責めても仕方ないです。だからもういいです」
「お前……」
クリス様は私をジッと見つめたあと、小さな声でもう一度「悪かった」と呟いた。
その表情が妙に幼くて、思わず笑ってしまう。王子様といっても一人の男の子だ。失敗することも勉強しなきゃいけないこともあるだろう。きっと今回のこともその一つだったんだ、と思えるのはアラン様に助けられて、今こうやって生きていることができるからだ。
アラン様……。
その名前を思い浮かべるだけで胸が痛い。
いつかこの世界から元の世界に戻る。その思いは揺るがない。なのにこの大きくなる想いをどうすればいいのか、まだ答えはでない。忘れることのできない、消すことのできないこの想いを……。
「おい」
「え? あ、はい」
いけない、クリス様の前前だというのにアラン様のことを考えて周りが見えなくなっていた。
私の目の前では少し不機嫌そうな表情のクリス様がこちらを睨みつけるようにしていた。いったいどうしたというのか……。
「聞いてるのか?」
「す、すみません。聞いてませんでした」
「ちっ」
舌打ちをすると、クリス様は視線をそらしながら口を開いた。
「……何か願いはないかと言ったんだ」
「願い、ですか?」
「ああ。お前がもういいと言ったって俺の気がすまない。だから今回のことの詫びに何か一つだけ願いを叶えてやると言ったんだ」
「何でもいいんですか?」
「ああ」
つまり、いつか王となるクリス様に『元の世界に戻して欲しい』と願うこともできる――。
『「大丈夫、いつか必ず戻れる。……私が戻してみせるから』
口を開こうとした瞬間――頭の中でアラン様の声がよみがえる。必ず戻すと、そう言ってくれたアラン様の言葉が。
「……それじゃあ、貧困街に行きたいです」
「貧困街?」
「はい。昨日、クリス様とお会いしたあの場所です」
「そんなことでいいのか?」
「はい」
「……元の世界に戻せと、そう言うと思ってたが」
私は静かに首を振った。
本当はクリス様に頼む方が正しいのだと思う。正統な後継者はクリス様だとアラン様も言っていた。何でも願いごとを叶えてくれると言ったのだ。私が『元の世界に戻して欲しい』と言ったとしてもそれをできないとは言わないだろう。
アラン様だってクリス様が戻してくれることになったと言えばきっと喜んでくれると思う。
でも……。
「その願いは、アラン様が叶えてくれると、そう約束して頂いてます」
「兄上が……。お前はあいつにそれが叶えられると思ってるのか?」
それは言外に、その魔法が使えるのは王だけだと、いずれ王となる自分だけだと言っていた。
強い敵意。きっと今クリス様の中ではアラン様が自分を押しのけて王となる未来を描いているのだとそう思っているのだろう。
私はクリス様のことをアラン様から聞いた話でしかしらない。でも、だからこそわかることもある。アラン様がどんなにクリス様を想っているか、だ。
愛されずに育った自分と愛されて育ったクリス様。でもその存在を恨めないことを――私はよく知っているから。
だから私はきちんと伝えなければいけない。目の前で誤解している人に。アラン様の気持ちを。
「はい。アラン様は王とならなくてもその魔法を使える方法を探すと、そう言ってくれました。だから私はその方法が見つかるのを待ちます」
「見つからなかったら? そのときはやはり兄上は王となるつもりじゃないのか?」
「見つかると、信じています。私も、そしてアラン様も。見つからなかったときのことなんて考えてすらいません」
「…………」
信じられないと言った表情だった。無理もない。今までずっとそう思って生きてきたんだからその思いを一度や二度会っただけの私が変えられるなんて思わない。
ただ、それでも伝えたかった。アラン様の想いを。誰もあなたの地位を脅かそうとなんてしていないということを。
「……変な女だな」
沈黙ののちにクリス様が呟いたのはそんな一言だった。
「クリス様、それはどういう意味で……」
「クリスでいい」
「え、で、でも」
「いい俺が許す。……お前みたいな変な女は初めてだ」
それは私に話しかけていると言うよりは独り言のようだった。
「今まで俺の周りにいたやつは兄上と俺を対立させることばかり言っていた。兄上を褒めて俺に発破をかけるやつや逆に俺を褒めて兄上を蔑むやつ。なのにお前はなんなんだ?」
「なんなんだ、と言われましても……」
思わず返事をしてしまう。するとクリス様はそんな私をジッと見つめた。アラン様と正反対の銀色の髪をもつクリス様。けれどその瞳はアラン様と同じ綺麗な緑色をしていた。
「今まで俺に寄ってきた女は地位か金にしか興味がなかった。なのにお前はなんなんだ? 俺には全く興味がなさそうだし」
「それは、まあ」
「本当に失礼なやつだ」
失礼だと言いながらもクリス様は笑っていた。その笑顔はどこかアラン様に似ている気がした。
「いいだろう、連れて行ってやるよ」
「本当ですか!?」
「ああ。……そこの侍女」
「は、はい」
それまでずっと無言のまま控えていたリリーにクリス様は突然声をかけた。リリーは肩を震わせると顔を上げた。
「こいつを借りるぞ。そうだな、兄上にはたっぷり三時間は経ってから知らせてやれ。俺がアイリを連れて行ったとな」
クリス様の言葉にリリーは、顔を真っ青にして泣きそうな表情を浮かべていた。
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