第13話

 その日はなかなか眠れなかった。アラン様への気持ち、そしてクリス様に私が生きていることがバレたこと、戸惑いや不安で気持ちがグチャグチャだった。

 そういえばクリス様、私が生きているとわかったら絶対に殺そうとすると思ってたけどそんなことなかったな。どちらかというとホッとしたように見えたし。どういうことなんだろう。

 あのとき「別にそういうわけじゃない」と言っていたけどどういうわけだったんだろう。アラン様が来て最後まで話を聞けなかったんだった。


「……アラン様」


 その名前を思い浮かべるだけで、口にするだけでこんなにも胸が苦しい。

 この世界には魔法があるのだからこんな気持ちを忘れられるような魔法もあればいいのに。


「……寝よう」


 無理矢理目を閉じると私はどうにか眠りについた。

 次に目が覚めたのはドアをノックされる音でだった。


「アイリ様?」

「……あれ、私」


 いつの間に眠っていたのか、気づくと真っ暗だった部屋には太陽が差し込み、朝どころかお昼前なのがわかった。

 どうやら先程のノックの音も、普段なら起きる時間に起きてこない私を心配したリリーによるものだったようだ。


「は、はい」

「失礼致します」


 安心したようなリリーの声が聞こえドアが開く。


「おはようございます」

「お、おはよう。ごめんね、寝坊しちゃった」

「いえ。昨日はお城の外に出られていらっしゃったのでお疲れだったのかと。アラン様にも寝かせておくようにと申し使っておりましたのでお気になさらないでください」

「そ、そう」


 リリーの言ったアラン様という言葉に思わず反応してしまう。無駄に高鳴る心臓を落ち着けようと深呼吸をする。そんな私をリリーが不思議そうに見ていることに気づいてはいたけれど気づかないふりをして。

 私はリリーに促されるままに準備をすると、アラン様の元へと向かった。


「失礼します」

「ああ、アイリ。よく眠れたかい?」

「はい。すみません、起きるのが遅くなって」

「いや、昨日は色々あったからね。疲れていたのだろう」


 色々、に含まれている言葉にあの女の子を思い出して胸が痛くなる。あの子はあのあと、無事に家に帰れただろうか。そもそも帰る家はあるのだろうか。

 気持ちが落ち込んだのが顔に出たのかもしれない。黙ってしまった私をアラン様は気遣うように声をかけてくれる。


「昨日のことは、悪かった」

「え?」

「あんな言い方をするべきではなかったと思ってね。謝りたかったんだ」

「そんな……。私の方こそ……無茶なことを、言って……」


 それ以上は口にできなかった。何かを喋れば泣いてしまいそうで。

 恥ずかしかった。勝手にアラン様ならどんな立場の人でも助けてくれるような、そんな理想を押しつけていた。でもアラン様にだって立場がある。できることとできないことがある。それを私がわかっていなかっただけだ。私がアラン様ならきっとなんとかしてくれるとそう思っただけ。

 私を助けてくれたように――。

 ああ、そうか。私は。


「あの子に、自分を重ねてしまったのかもしれません」

「アイリを?」

「はい。……この世界でアラン様に助けられず行く当てがなければきっと私はあの子のようになっていたかと思います。それに……元の世界でも、周りの人のおかげで私は一人にならずにいられましたが、何か一つ違えばあの子のように暮らしていたかもしれません」

「アイリ……。……一つ聞いてもいいかい? アイリは元いた世界で随分と酷い扱いを受けてきたように思う。ここなら、アイリをそんなふうに扱う人間はいない。この城で世話になるのが嫌ならいずれどこかに住居を構えてもいい。仕事も斡旋しよう。……それでも、元の世界に戻りたいと、そう願うのか?」


 アラン様の言葉は予想だにしていないものだった。

 元の世界に戻らずこの世界で生きていく。

 そんなこと考えたことなかった。


「……たしかに、この世界で生きた方が私は幸せに生きることができるのかもしれません」


 必死にバイトをして大学に通う必要もない、お金がなくて一日一食なんて暮らしをすることもない。誰かに憐れみの視線を向けられることもない。

 ここにいればきっと、私は何一つ不自由することなく暮らしていくことができる。

 でも。


「きっと私は見返したいんだと思います」

「見返す?」

「はい。私のことを捨てた母に、あなたがいなくても幸せになったと立派に生きていると見せつけて見返したいんだと思います。それで……幸せになったねって……そう……」

「アイリ?」

「あ……」


 いつの間にか頬を涙が伝っていた。


「あれ……? おか、しい、な……なんで、涙、なんて……」

「……アイリは母君に、幸せになってよかったと、そう思ってもらいたいんだな」

「っ……ちが……」

「愛されずに育ったけど、それでも母君に、優しい言葉をかけてもらいたい。違うか?」

「あ……あぁっ……」


 もう無理だった。止めどなく溢れてくる涙は拭っても拭っても止まることはない。

 必死に押し殺そうとした嗚咽が静かな部屋に響く。


「わた、私……」

「そうだな……。愛されたいよな……」

「うっ……ううぅっ……」


 泣きじゃくる私をアラン様は優しく抱きしめた。そのぬくもりがあまりにも優しくて、余計に涙が止まらない。

 きっとこんなふうにお母さんから抱きしめられたかった。大きくなったねって、頑張ってきたんだねって。……あの頃は、ごめんねって。

 だから私は、元の世界に戻らなきゃいけない。ううん、戻りたいんだ。

 私が生きる場所は、あの世界だから。


「大丈夫、いつか必ず戻れる。……私が戻してみせるから」

「ア、ラン……様……」

「だからそれまでは……」

 

 泣きじゃくる私の背中を、アラン様はずっと優しくなで続けてくれた。

 そしてようやく私が泣き止むと「お昼にしようか」とアラン様は優しく微笑んだ。



***



 お昼を食べ終わると、アラン様は思い出したように言った。


「アイリもずっと城の中では息が詰まるだろう。一人で城下町に行くのは難しいけれど、城の外にある庭園に行ってみるのはどうだい?」

「庭園、ですか?」

「ああ。庭師が手入れしてくれているからたくさんの種類の花が咲いているよ」

「行きたいです!」


 パッと顔を上げた私をアラン様は嬉しそうに見ていた。

 もしかしたら昨日の件で暗い表情をしている私を元気づけようとしてくれたのかもしれない。

 昨日の、と思い出したところで私はふと気づいた。


「あ、でも」

「どうした?」

「昨日、私がアラン様のところにいることがクリス様にバレてしまいました。外に出ているところをもし見つかったら……」


 昨日は何を言ってくるわけじゃなかったけれど、あの人は私を殺そうと森に放置した人だ。もしも次に会ったとして、そのときに昨日と同じ態度だとは限らない。

 不安になる私をアラン様は優しく微笑んだ。


「心配しなくても大丈夫だよ。クリスが私の城を訪ねてくることも近くに来ることも今までに一度だってない」

「そうなんですか?」

「ああ。……私はクリスに嫌われているからね。だから気にしなくて大丈夫だよ」


 その微笑みの向こうに寂しさを感じた気がした。

 何か言わなくちゃ、そう思うのに言葉が出ない。結局、何も言えないままアラン様が口を開いた。


「では、アイリの出入りを自由にできるようにしておくよ。ああ、ただ間違っても奥の森へは行かないように」

「わかりました」


 私は頷くと部屋をあとにした。胸に重い気持ちを抱えたまま。



 リリーを連れ立ってアラン様から聞いた庭園へと向かう。それはアラン様の城の門を出たすぐのところにあった。

 色とりどりの花が咲き乱れていて、お茶をするための休憩スペースのようなところもある。リリー曰くガゼボというらしい。

 用意してくれた紅茶を飲みながら花を見ていると、誰かの足音が聞こえた。アラン様だろうか。顔を上げるとそこには――クリス様の姿があった。


「っ……」


 思わず飲んでいた紅茶をむせて吹き出しそうになってしまう。すんでのところで必死に耐えると、私は気づかれないように息を潜めた。

 どうしてこんなところにいるのだろう。だって、ここはアラン様のお城のすぐそばで、アラン様を嫌っているはずのクリス様が来ることはないと言っていたのに……。

 とにかく気づかれないようにしよう。もしかしたらこの先に何か用があってたまたま通りがかっただけかもしれない。いや、そうであってください!

 そう思うのに、クリス様はどんどんとこちらに近づいてきて――私の姿を見つけると目を見開いた。

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