第12話

「アラン様」とどこからか聞き覚えのある声が聞こえてきたのは、雑貨屋から出てしばらくしてからだった。

 その声に振り返ると、いつの間にか人混みの中にキースの姿があった。


「何かあったのか?」

「至急お耳に入れたいことが」


 キースの言葉にアラン様は私の方を見る。せっかく出かけているのに申し訳なく思っているのかもしれない。

 私はアラン様に笑顔を向けた。


「私のことなら気にしなくて大丈夫です。あ、そうだ。さっきのお菓子屋さんで気になったのがあったんです。ちょっと見てきてもいいですか?」

「……ああ。すまないね」

「いえ! じゃあ、ちょっと見てきますね」


 私がそう言うとアラン様は慌てたように言った。


「すぐに私も行くからあそこから移動してはいけないよ」

「わかりました」


 軽やかに返事をすると、私はさっき見つけたお菓子屋さんへと向かった。美味しそうな焼き菓子が並んでいて見てみたいと思ったのだけれど、男の人はああいう可愛いお店に入るのは抵抗があるかなと思って遠慮したのだ。


「ふふ、楽しみ。えっと、たしかこっちだったかな」


 記憶を頼りにお菓子屋さんに向かって歩く。そんな私の後ろから誰かが走ってくる音が聞こえた。

 ぶつからないように慌てて避ける。けれど、避けた方向が悪かったのか何かが思いっきり私の背中にぶつかったのを感じた。


「え……?」


 慌てて振り返ると私の足下に10歳ぐらいだろうか、小さな女の子が尻餅をついていた。


「だ、大丈夫!?」

「…………」

「ごめんね? 怪我はない?」


 手を差し伸べると、その子は私の手をおずおずと掴み起き上がる。


「服、汚れちゃったかな……。ホントごめんね」

「…………」

「あっ、待って!」


 その子は一言も話すことなく、走り去ってしまった。


「行っちゃった……。あれ?」


 後ろ姿を見送りながら、私は違和感を覚えた。

 転んで尻餅をついたあの子の手のひらは地面についていた。そのときたしかにあの子は何も持っていなかった。なのに、今あの子が持っているのは――。


「っ……嘘!? ない!」


 慌てて私は鞄の中を確認する。けれど、そこにさっきまで入っていたはずのアラン様に買ってもらった髪留めの姿はなかった。

 お店から出てたしかにこの中に入れたのに。絶対になくさないようにって……。


「まさか……」


 そんなこと考えたくもなかった。あんな小さな子がスリなんて。でも、あの子が握りしめていたのはあの雑貨屋さんの袋によく似ていた。

 違うかもしれない、でも……。


「ま、待って!」


 私は慌ててその子のあとを追いかけた。

 運動は得意な方じゃない。とはいえ、10歳の女の子に追いつけないほど足が遅いわけでもない。とにかく見失わないようにと必死で追いかける。だんだんと薄暗い路地へと入っていくのは気づいていた。でも、髪留めを返してもらいたい。その気持ちでいっぱいで帰り道がわからなくなることなんて考える余裕はなかった。


「っ……捕まえた!」


 ようやくその子の腕を掴んだのは、ボロボロになった家が並ぶ薄暗い場所だった。さっきまでいた広場やお店が並ぶ辺りとは正反対の光景に思わず声を失う。

 明るくて豊かな国だと思ったマクファーレン王国にこんな場所があるなんて。


「……何」

「あ、そうだった。あなた私の髪留めを間違えて持って行かなかった?」


 盗ったでしょ、と言うことは簡単だった。でもきっとそれだとこの子が素直に返すことができないから。

 そんな私の気持ちが伝わったのか、目の前の女の子は後ろ手に隠した袋をおずおずと差し出した。


「……ごめんなさい」

「ううん、私こそ急に掴んじゃってごめんね。痛くなかった?」


 小さく首を振る女の子にホッとする。私が掴んだ腕は折れそうな程細くて、痛めてないか不安だったから。

 受け取った袋を開けて中の髪留めが壊れていないか確認する。

 うん、問題なさそう。


「それ、髪飾り?」

「うん、そうだよ。買ってもらったものだったからなくしたくなかったの」

「……その人はお姉さんにとって大切な人?」

「え?」

「それ、お姉さん必死になって追いかけてた。だから高いものだと思った。でもそんなことなさそうだから、なら大切な人からもらったものなのかと思って」


 片言で話すその子の言葉に、私は思わず固まった。

 大切な、人? アラン様が?

 そりゃたしかにこの世界に来てアラン様に助けてもらった。この一ヶ月もずっと気にかけてくれていたし、今日だってこうやってお城から私のことを連れ出してくれている。

 大切な……人……。


「違うの?」

「……どうかな、わかんないや。でも、凄く優しくていい人だよ」

「そっか。いいな、お姉さんにはそんな人がいて」

「あなたにはいないの?」

「……バイバイ!」


 女の子は薄暗い路地の奥へと駆けていく。私は最後に見た表情が気になって追いかけようとする。

 けれどそんな私の腕を誰かが掴んだ。


「おい、やめとけよ。ここはあんたみたいな奴が来るところじゃねえよ」

「なっ……」


 離して、そう言おうと振り返った私の目の前にいたのは――。


「クリス、様」

「……お前は」


 その顔を忘れることはない。この人はあの日、私をこの国に、この世界に呼び出した諸悪の根源なのだから。

 少しの間のあと、クリス様も私のことに気づいたのか驚いたような表情を浮かべた。

 まずい、逃げなくちゃ。この人は私が聖女であるということを知らない。と、なれば本物の聖女を召喚するために私の存在は邪魔なはずだ。生きていることがわかれば殺されてしまう。

 とっさに逃げようとした私の目の前で、クリス様は安心したように息を吐いた。


「無事、だったのか」

「え……?」


 その言葉に違和感を覚える。だって、まるで無事だったことを安堵するかのようで。

 だから恐る恐る私はクリス様に尋ねた。


「死んでいて欲しいと、そう思ってたのではないのですか?」

「……別にそういうわけじゃない」


 苦々しそうに吐き捨てるその言葉の意味を尋ねたかった。けれど。


「アイリ!」

「アラン様? それにキースも」

「どこに行ったのかと心配しただろう」

「あ、すみません。ちょっと色々あって……」

「……兄上、か」


 息を切らせて駆けつけてくれたアラン様に慌てて謝ると、それを見ていたクリス様はそういうことかと言わんばかりにアラン様を見た。


「クリス?」

「兄上のところで世話になってるのか。ああ、あの森はたしかに兄上の城から近かったな」

「お前……」

「ふん。あんたのところに置いておくならちゃんと手綱ぐらい握っててくださいよ。こんなところに女一人で来させるなんて正気じゃない」

「ちが……!」


 私が勝手に北来たのであってアラン様は関係ない、そう言いたいのに私の言葉を聞くことなくクリス様は去って行く。


「あ……」

「……あいつのことはもういい。それより私たちもここから移動しよう。クリスの言葉じゃないけれど、ここはアイリのような女性がいるところじゃないからね」

「……はい」


 私はアラン様に促され路地をあとにした。

 路地を出て少し歩くと、明るい綺麗な街並みへと戻る。けれど私はさっきの街が、そして出会った女の子のことが忘れられなかった。


「アイリ、お菓子屋さんへ向かうと行っていたじゃないか」

「ごめんなさい……」

「ああ、いや責めているわけではない。ただ、さっきアイリがいた場所はマラストの中でも唯一治安が悪い地域なんだ。だからあまりアイリに近づいて欲しくなかっただけだよ」

「治安が悪いところ……」


 さらりと流すべきだったのかもしれない。事実、アラン様はそうして欲しそうだった。でもどうしても気になった私は食い下がってしまう。

 だってあの場所は治安が悪いというよりは……。


「貧困街、ですか?」

「……ああ。病気や怪我で働けなくなった者や孤児が暮らしている」

「病気や怪我って……教会に行けば治してくれるんじゃないんですか?」

「……聖職者とて万能ではない。治せるものと治せないものがあることはアイリ、あなたもこの一ヶ月勉強をして学んだのでは?」

「それ、は」


 アラン様の言葉に私は何も言えなくなる。教会にいる司祭様が使えるのはヒールのみだ。そのヒールにしても司祭様の魔力によっては折れた腕がくっつく人から血は止められても傷跡は残ってしまう人まで様々だ。

 それに折れた腕は治っても切り落とされたり咬みちぎられた腕をくっつけたり生やしたりすることはできない。それをしようとするとハイヒールが必要となるけれど、ハイヒールとなると大司教様クラスじゃないと使えない。でも……。


「大司教様なら、治せるんじゃないですか……?」

「……そうだな」

「なら!」

「だが、大司教様は我が国にはお一人しかいらっしゃらない。それがどういう意味か、わかるだろう」


 わかる、と言いたくない。言いたくなかった。でも、わからないほど子どもじゃない。だてにこの国に一ヶ月も暮らしちゃいない。

 きっと国王様や王族の方々に何かあったときはその大司教様がどうにかしてくれるのだろう。もしかしたら貴族も。けれど大司教様が助ける人の中に庶民は、あの人たちは入っていない。


「っ……」

「仕方がないんだ」


 その言葉が悲しかった。

 仕方がない、仕方がないのかもしれない。でも、それでもこの国の王族がそれを言ってしまえば本当に仕方のないことになってしまう。

 私も何度も言われた。

「なんとかしてあげたいけど仕方がないの」

「仕方がないでしょ、今の行政じゃどうにもできないの」

 仕方がないは諦めの言葉だ。全ての希望を奪う諦めの言葉。

 その言葉を、アラン様からは、アラン様からだけは聞きたくなかった。


「……帰ろうか」

「はい……」


 何も言わなくなった私の背中をアラン様はそっと押す。

 行きはあんなにも楽しかった道のりを、私たちは重い空気の中帰って行く。

 一言も話すことのないまま。

 どうしてこんなことになってしまったのか。

 私があの場所に行かなければよかったのか。

 ううん、違う。そうじゃない。

 きっとこれが私とアラン様の間に隔たる生まれの差なんだ。

 それがこんなにショックだなんて。


『……その人はお姉さんにとって大切な人?』


 あの女の子の言葉が頭の中によみがえる。

 大切な人、アラン様が、私にとって……。


「っ……」


 ……ああ、そうか。そうなのか。

 だからこんなにもショックなんだ。


 いつの間にかこんなにも、アラン様のことを好きになっていたから。


 好きだという気持ちはもっとふわふわしてて温かくて照れくさくて恥ずかしい、そんなものだと思っていた。

 でも、現実は違う。

 好きだという気持ちがこんなにも重くて苦しいことを、私は生まれて初めて知った。

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