第5話

 突然手を上げた私にアラン様は少し驚いたような表情を浮かべる。

 でもきっと、今言っておかないとずっとこのままだと思うから。


「え、あ、はい。どうされましたか?」

「あの、言葉遣いを……その丁寧な言葉遣いをやめて頂きたくて」

「それは……」

「そもそも私は聖女じゃなかったんですよね? なのでアラン様にそんな丁寧な言葉遣いをしてもらうような立場じゃないはずです。ですよね?」


 キースに視線を向けると、苦笑いを浮かべながら頷く。その反応に心の中でガッツポーズを作りながら、私は続けた。


「それに行儀見習いってことはアラン様にお世話になる身ですよね。なのにその私がアラン様から敬語を使われていたら周りの人は変に思うんじゃないでしょうか!」

「うっ……」


 私の言葉にアラン様は何も言い返せない。

 そして。


「アラン様の負けですね」

「キース、お前からも……」

「アイリ様のおっしゃる通りです。それにアイリ様のことはリネット様の遠縁、ということになさるのでしょう。リネット様の生家は侯爵家。その家の方に対してまるで目上の方のような態度を取られるのはどうかと思います」

「……たしかに、そうだな」


 キースの言葉が決定打となったのか、アラン様は諦めたようにため息を吐くとこちらを向いた。


「それでは、これ以降私はアイリ様に対して不躾な物言いをすることもあるかと思います。ご容赦ください」

「いえ! むしろその方が助かります! と、いうか」


 できればキースやリリーにもフランクな口調で話してもらいたいのだけれど。そう思いながらキースの方を見ると、まるで心の中を読んだかのように首を振った。

 その態度にガクッとうなだれる。


「アイリ様? どうかなさいましたか?」

「あ、いえ。大丈夫です。では、これからはアイリと呼んでください」

「わかりました」


 アラン様は微笑むとキースに目配せをする。キースは机の上に置かれていた何かを私に差し出した。


「これは?」

「この国について書かれた本です。他にも何か興味がある本があればご用意致します」

「ありがとう。えーっと、でもどんな本があるかわからないから」

「それでは図書室に行かれてはどうでしょうか?」

「図書室があるんですか? でも……」


 さっきこのお城の中からはまだしばらく出ないでって言われたし……。キースの言葉に思わず口ごもると、アラン様は笑顔を浮かべる。


「ああ、大丈夫ですよ。図書室でしたらこの城の中にありますので」

「え、この中にですか?」

「はい。物語のようなものから専門書まで数を揃えてあります。アイリ様のお気に召すものがあるといいのですが」

「わー、ありがとうございます! 楽しみです!」


 さすがに元の世界で読んでいたような小説はないかもしれないけれど、それでも本が読めるのは嬉しい。自宅に帰るのが嫌で下校のチャイムが鳴るギリギリまで図書室で本を読んでいた。本の中には幸せな世界が溢れていて、ほんの少しだけれど辛い日々を忘れることができた。

 両親から逃げ出すことができた今でも私の中の夢や憧れは本の中に詰まっている。今思うと、だからこそこの世界への転移という非現実的なこともすんなりと受け入れられたのかもしれない。

 

「――それでは、アラン様」

「ああ」


 アラン様は咳払いを一つすると、私へと向き直った。


「アイリ、自分の家だと思ってこの城を使ってくれ。何か不便があればキースやリリーにいつでも言うといい」

「……はい」


 先程までとは違う雰囲気に思わず背筋が伸びる。そんな私をアラン様は優しく笑った。


「緊張する必要はないよ。何かあったらいつでも言って。君に不便はかけないから」

「あの、今更なんですがどうして私のよくしてくれるんですか?」


 異世界から召喚されたといっても私は聖女ではない、らしい。どちらかというと聖女が必要となったときに邪魔な存在だと思う。なのにそんな私に、アラン様はずっと優しく丁寧に扱ってくれる。

 それが不思議でしょうがなかった。


「私の母の先祖は聖女だったと言われているのです」

「アラン様のお母様が?」

「はい。と、いっても何代も前になりますが。その方は貴族、庶民分け隔てなく接し、あらゆる人に対して優しく手を差し伸べたと言われています」

「凄い方ですね」

「ええ、素晴らしい方です」


 そんな人を聖女というのであれば私なんか聖女であるはずがないし聖女でなくてよかったとさえ思う。だって比較対象が凄すぎるもの。それにしても、聖女の子孫ってことはアラン様にも私が元いた世界の血が流れているのだと思うと不思議な感じだ。


「アラン様、言葉遣いが」

「あ、ああ。なので、アイリ様が聖女ではなかったとしても私にとっては慈悲の乙女と同じ世界からいらした方ということもあり大切な客人なんだ」

「そう、なんですね」


 つまり私が今こうして保護されて親切にしてもらえているのは随分と昔にこの世界にやってきた人のおかげということで。有り難いような全く関係ない私に親切にしてもらって申し訳ないような複雑な気持ちになる。


「とにかくアイリは何も心配しなくていい。この城にいる限りは安全だから」

「ありがとうございます」


 今の私はそんなふうに言ってもらえる価値のある人間じゃないけれど、アラン様にお世話になる以外この世界で生き延びられる場所はない。

 それならせめて少しでも迷惑がかからないようにしよう。


「なるべく迷惑をかけないようにしますので、どうぞよろしくお願いします」

「こちらこそ、弟が迷惑をかけた。その詫びも含めてのことだ。迷惑をかけないようになど言わず、ゆっくりと過ごして欲しい」


 アラン様の優しさが伝わって来て、私は小さく微笑んだ。



 アラン様の部屋を退出し、私は昨日用意してもらった部屋へと戻ってきた。このお城にいる間はここが私の部屋になるとのことで必要なものがあれば何でも言ってくださいとリリーが言っていた。

 とはいえ、必要なものどころか私が一人暮らししていたマンションの一室よりもはるかに広いこの部屋にはベッドもドレッサーもテーブルもソファーもある。これ以上いったい何が必要なのかわからず、とりあえずは大丈夫だと断った。

 リリーが部屋を出て行ってから私は借りた本を開く。そこにはこの国マクファーレン王国の成り立ちや都市のこと、今まで召喚された聖女のことなどが書かれていた。


「つまり、ここはマクファーレン王国の首都であるマラストというところなのね」


 マクファーレン王国は全部で七つの都市からできているらしく、その中でも最大の規模なのがここマラストだそうだ。

 現在の国王はローレンス・モルダー・マクファーレン様。第一王子がアラン様、第二王子が私を森に放置したクリスという王子だと別冊のような小冊子に書かれていた。手書きで書かれているところを見るとキースが用意してくれたのかもしれない。


「あれ? でも、まだ王太子は決まってないんだ。アラン様は弟のクリスが継ぐって言ってたけど」


 王太子の欄には未定とだけ書かれていた。立太子となるためにクリスの年齢が満たしていないのか、それとも他に何かあるのかはわからないけれど、そう考えると私を呼び出したときに『これで俺の継承権も安泰だ』と言っていたのもわかる気がする。

 つまりクリスは今のままでも自分が王太子となるのは確実だけれどそれをより確固たるものにしたかったのだろう。

 それは今までのこの国の家系図を見ると一目瞭然だ。

 何代かに一度、この国では聖女の召喚を行っているようで、召喚された聖女はもれなく時の国王、もしくは王太子あるいは第一王子と婚姻を結んでいる。とはいえ、アラン様が言っていたように聖女を呼び出していない期間もたしかに存在する。数百年前に呼び出されて以降は平和な時代が続いているようで、その間は国内の貴族と結婚していた。そして第一王子が国王となっていた。


「だから特に何もないのに聖女を呼び出そうとしたと」


 全く、迷惑な話だ。だいたい必要とされてないのに聖女を呼ぶから私みたいに間違って呼ばれてしまったんじゃないだろうか。だって平穏なこの世界で聖女なんていらないのだから。


「それにしてもこれからどうしよう」


 アラン王子は自分が責任を持って元の世界に戻る方法を探すと言ってくれた。でも、その言葉に甘えるだけというのも心苦しい。

 たしかこの世界に呼び出す分には力のある魔導師ならできると言っていた。つまりそれよりももっと力の強い魔導師がいれば元の世界に戻ることもできるかもしなれいということだ。


「魔法かー。私にも使えたらいいけどたしかあのときクリス王子のお付きの魔道士が私の魔力は測定不能だって言ってたっけ。測定できないぐらい魔力がないって壊滅的だよね」


 とはいえ、せっかく魔法のある世界に来たのだもの。できることなら私だって魔法を使ってみたい。

 キースに借りた本にはこの国についての詳細は書いてあったけれど魔法についてはかいてなかった。図書室に行けば魔法のことが書いてある本もあるかもしれない。


「リリー、いる?」


 いてもたってもいられず、私は重たいドアを押し開けると顔だけ廊下に出してキョロキョロと辺りを見回す。ドアのすぐそばには兵士の人が立っていた。


「どうなされましたか?」

「あ、あの。図書室に行きたいんですけど」

「それではご一緒致します」


 私は兵士に連れられて図書室へと向かう。

 そこには図書室というよりは図書館と言った方がいいぐらいたくさんの本があった。キースが貸してくれた歴史が載っているようなものから、子どもが読むのだろうか、可愛いイラストのついた本もある。もしかしたらアラン様が子どもの頃に読んでいたものなのかもしれない。


「どのような本をお探しですか?」

「えっと、魔法について書いてあるものはありますか?」

「入門書から上級魔法までございますが」

「入門書でお願いします」

「それではこちらになります」


 その人が連れて行ってくれたところには子ども用の魔法の概念が載っている絵本や初心者向けと思われる優しい言葉で書かれた本があった。

 その中の一つを手に取って近くの椅子に座る。兵士の人は私がいる間待っているつもりなのか少し離れたところで待機していた。

 パラパラと中をめくるけれど、ジッと待たれているのがどうも落ち着かない。


「あの、これって借りていっても大丈夫ですか?」

「はい。お部屋で読まれますか?」

「そうします」


 わかりやすそうなのを数冊見繕うと、私は来たときと同じように兵士の人に連れられて部屋まで帰ってきた。

 案内と護衛、もあるのだろうけれどきっと見張りの役目も兼ねているんだろうな、とその背中を見ながら思う。

 いくら異世界から召喚されたとはいえ、今の私はここの人たちにとって見知らぬ他人だ。アラン様はそんなこと思ってないかもしれないけれど、よからぬことを企んでいる可能性だってあるんだ。キースあたりはきっとその辺も考えてこの兵士の人をつけているんだと思う。

 でも。


「あの!」

「はい?」


 部屋の前まで案内してもらい、ドアを開けてもらう。中に入ろうと思った私は立ち止まると、隣に立つ兵士の人を見上げた。


「えーっと……」

「どうかされましたか?」

「いえ、その。お礼を言おうと思ったのに、私あなたの名前を知らないなと思いまして」

「私の、名前、ですか? と、いうか礼とは……」

「だって、図書室まで案内してくれたじゃないですか。それにこのドアの前で私の部屋を守ってくれてるんですよね? お礼を言うのは変なことじゃないと思うんですが」


 その人はしばらく私を見つめたあと、ふっと微笑んだ気がした。


「そのようなことをおっしゃる方はあなた様ぐらいです。高貴な方が私ども兵士に礼など言う必要はございませんよ」

「で、でも」


 たしかに、今の私は礼儀見習いとしてアラン王子のお母さんの遠縁としてここにいることになっている。でも、本当の私はただの女子大生で、そんな偉い身分じゃない。ただの愛莉だ。お礼ぐらいちゃんと伝えたい。

 でも、本当のことを言うわけにもいかず……。

 そんな私をどう思ったのか、その人はもう一度微笑んだ。


「お優しいのですね」

「え?」

「いえ、なんでもございません。ところでアイリ様」


 その人に促され、私は部屋に入る。

 ドアを完全に閉めると、その人は私を見つめた。


「私ですから大丈夫ですが、他の者には先程のように安易にお礼など申しませんよう」

「どういう……」

「私はあなた様が異世界から召喚されたことをしっておりますが、そうではないものもおりますので」


 その言葉に、私は全身が凍り付くのを感じた。

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