第4話
「アイリ様!」
「あ……」
私の名前を呼びながら、心配そうにこちらを見つめるアラン様に慌てて笑みを浮かべる。けれど、顔をしかめるアラン様を見るにどうも上手く笑えていないようだった。
「わた、私……」
「アイリ様の身は私がお守り致します」
「アラン様……?」
「それにこの数十年、聖女様を召喚するような災いはこの国に降りかかってはいません。我が父である現国王のさらに数代前に召喚されたようですが、それとて数百年は昔の話です」
「そうなん、ですか?」
「はい。なので、アイリ様には私の城で過ごして頂き、その間に国王の力を使わずとも元の世界に戻る方法がないか私の方でお探し致します」
アラン様は私の頬に手を添えると、エメラルドのように綺麗な緑色の瞳が私をジッと見つめる。あまりの綺麗さに思わず息をするのも忘れるほどだ。
「あ、あの」
「だからそんなに不安そうな顔をしないでください」
「え……?」
「怖くて仕方がないのに、平気なふりをしなくてもいいのですよ」
「そんな、こと……あれ? どう、して……」
アラン様の言葉に、そんなことないですよ、と笑い飛ばそうと思ったのに、気が付けば頬を涙が伝っていた。
慌てて拭おうとするけれど、一度溢れだした涙は止まらない。
「アイリ様……」
「お、おかし……いな……わた、私……」
そして涙は胸の奥に閉じ込めていた本音をも溢れ出させてしまう。
「っ……わた、私、どうしてこんなところに来なきゃいけなかったんですか……?」
「それは……」
言い淀むアラン様に、カッとなる。アラン様が悪いんじゃない。そうわかっているのに、感情を抑えることがどうしてもできなかった。
「こんな、知らないところ来たくなんかなかった。バイトが終わって家に帰ってからテレビ見て、今日だっていつも通り起きて大学に行って勉強して友達と馬鹿騒ぎして、そんな何でもない日があるはずだったのにどうして!」
「……アイリ様!」
あたたかい何かに包まれ、ふわっといい匂いが漂ってくる。それがアラン様のぬくもりで、そしてアラン様の香りだと気づいたときには私の身体はアラン様に抱きしめられていた。
「私の、私たちの問題にあなたを巻き込んでしまったこと本当にすまなく思う。あなたのことは私が守るから、そして必ず元の世界に戻してみせるから、だから……!」
「アラン、様……」
私は顔を上げると小さく頷いた。
本当はまだ不安だし怖いしどうしてこんなところに連れてこられなきゃいけなかったの、そもそも謝らなきゃいけないのはアラン様じゃなくてあのクリスとかいう弟の方でしょ! と、思わないでもなかったけれど。でも、こんなふうに苦しそうに謝るアラン様を見ていると何も言えなかった。
頷く私にアラン様はホッとしたように腕の力を緩めるとすぐそばで優しく微笑む。その笑顔に見惚れそうになりながらも、私はもう限界だった。
「ア、アラン様」
「どうしました?」
「そ、その……近い、です」
「え?」
私の言葉にアラン様は首をかしげ、そして――、それから何かに気づいたように慌てて身体を離した。
「す、すまない! いえ、申し訳ございません!」
「い、いえ!」
何がいえなのか言いながら自分でもよくわからないけれど、もうそう言うしかなかった。ようやく離れた身体にホッとしながらも、目の前で頬を赤く染めるアラン様の姿につい笑ってしまう。
「……アイリ様?」
「あ、いえ。その、こんなにカッコいい王子様なのに、そんなふうに狼狽えるんだなって思っちゃって。あ、ご、ごめんなさい」
「いや、その……」
自分自身の言葉があまりにも失礼だったと頭を下げる。けれど、アラン様は困ったように頭を掻くと、それから恥ずかしそうに苦笑いを浮かべた。
「どうにもこういうことには慣れてなくて」
「そうなん、ですか?」
「ええ。先程もお伝えしたように私は側室から生まれた第一王子。クリスがいる今となっては不要な王子なのです」
平気なように振る舞っているけれど、その目の奥に薄らと影が宿るのが見える。私が生きる日本では随分と昔に側室という制度はなくなっているから今、アラン様がどんな思いでいるのかなんてわからない。
でも、自分が必要とされてないと、それも実の親から不必要だと言われる気持ちは、アラン様ほどではないけれど理解できる、つもりだ。
「……私も」
「え?」
こんな話、初対面の人にするのは――ううん、親元を離れて一人暮らしをするようになってから初めてだ。高校の時までの友人はみんな知っていた。地域の人も、学校の先生も。それでもどうにもならなかった、辛くて苦しい思い出。
「私もいらない子だったんでちょっとだけアラン様の気持ちがわかる気がします」
「いらない子?」
「はい。うち再婚家庭なんですけど下に弟ができてから母親に蔑ろにされるようになって。ご飯も学校で食べるお昼だけ、服も最低限のものしか与えられなくて。でも別に虐待を受けてるとかそういうのじゃないし生活させていないわけでもない。だから行政もなにもできなかったらしいです」
こちらの世界とは環境も制度も違うところがあるだろう。もしかしたら私の言っている内容についてもアラン様には理解できないところがあるかもしれない。
それでもアラン様はジッと私の話を聞いてくれた。
「それでも大きくなるにつれ助けてくれる人は増えました。友人や学校の先生、それから母方の祖母。だから誰からも愛されなかったとは思ってないです」
「羨ましいです」
「アラン様にもいらっしゃるんじゃないですか? そういう方が」
「え?」
「キースもそうですし、このお城で働いてる方は皆さんアラン様のことを大切に思ってらっしゃるんじゃないですか? 違いますか?」
最後の問いかけはアラン様ではなく、すぐそばに立つキースに。キースは当たり前だと言うように頷いた。
「もちろんその通りです」
「ですよね! ほら、アラン様。ちゃんとアラン様のことを愛してくれる人はいます」
「あ、ああ」
「……でも、それをわかっていたとしても、両親の愛がほしかったんですよね」
「…………」
その気持ちは凄くわかる。私もそうだった。たくさんの人が私のことを気にかけてくれた。心配してくれた。愛してくれた。でも、それでもほんの欠片でいい。弟に与える愛情の1%でいいから私にも愛を向けて欲しかった。
「アラン様」
「なんです?」
俯いたアラン様の頭を、私はそっと抱き寄せた。
幼い頃、私がそうしてもらったみたいに。そうしてもらいたかったみたいに。
「大丈夫、きっといつかアラン様だけを愛してくれる人が現れます」
「…………」
「だから大丈夫です」
アラン様の金色の髪の毛を優しく撫でる。まるで太陽の光のように綺麗な髪の毛は私の手で梳くとさらっと流れ落ちる。
そういえば母親はまるで日本人形のように綺麗な真っ黒の髪の毛をしていた。私の猫っ毛で薄茶色の髪の毛とは正反対。別れた父親に似ていると言っていたその髪の毛を忌々しく睨みつけていたのを思い出してほんの少し、胸の奥が痛くなる。
「あ、あの。アイリ様……」
「え?」
気づくと私の腕の中で、アラン様が困ったような声を上げていた。俯いているせいで顔は見えないけれど耳まで赤くなっていることに気づき――私は慌てて両手を上げた。
「す、すみません!」
「い、いえ……」
母親のことを考えているうちに思ったよりも長い間、アラン様を抱きしめ続けていたようだった。と、いうか冷静になって考えたら私なんてことを……。で、でもアラン様と幼い頃の自分が重なってどうしても抱きしめたかった。だから……。
「これって……不敬罪になったりとか……」
慌ててキースの方を見ると、キースは眉間に皺を寄せていた。
ああ、あの表情……。やっぱり不敬罪だよね。せっかく助けてもらったけれどもしかしてこのあと牢獄に入れられたりとか……。
「不敬罪になどしない」
「アラン様」
「キースもアイリ様をいじめるな」
「いじめてなど、そんな」
「笑いをかみ殺すような顔で何を言うか」
「わら……え?」
その言葉にもう一度キースに視線を戻すと、そこには肩をふるわせて俯くキースの姿があった。
さっきまでの眉間に皺を寄せてた姿はいったいどこに……。
「失礼しました。アラン様が手玉に取られている様も、そして先程まであんなに大胆な行動をしていたはずのアイリ様が慌てている姿を見ているとつい」
「じゃ、じゃあ私、不敬罪で牢獄に入れられたりとはか……」
「そんなことあるわけないです」
「よ、よかったぁ」
ホッとしてソファーの背もたれにもたれかかった。そして隣に座るアラン様とそのそばに立つキースの姿を見る。
異世界に連れてこられていったいどうなるかと思ったけれど、いい人に助けられて本当によかった。帰る方法もあるかどうかはわからなくて不安もいっぱいだけど、あのクリスとかいう第二王子に殺されるよりは100倍いい。
「それで、アイリ様。これからのことなのですが」
「はい」
「アイリ様にはこの城にいて頂くにあたって、私の母の遠縁の娘、ということにさせて頂こうと思います」
「アラン様のお母様の、ですか?」
「はい。異世界より来たこと、さらに聖女様ではないことがわかれば命を狙われることもあるかと思います。聖女信仰が強い者もおりますので。ですが、この城に新しい者を入れるためには従者か……」
「使用人という形でも大丈夫ですよ?」
ただで居候させてもらうのだ、そこはちゃんと働きたい。実家では家事や掃除は私の仕事だったから一通りはこなすことができる。そりゃ元の世界とか勝手が違うこともあるだろうけど、そこは教えてもらうなり慣れでなんとかなるだろう。
けれど私の提案にアラン様は首を振る。
「それはできません」
「でも」
「アイリ様」
有無を言わせないアラン様の言葉に、私は頷くことしかできなかった。
渋々ではあるけれど頷いた私にアラン様はホッとしたように表情を崩した。
「では、アイリ様は本日より私の母の遠縁の娘、アイリ・グリフィンとお名乗りください」
「アイリ・グリフィン」
「はい。グリフィンは母の生家の家名です」
アラン様はたしかアラン・グリフィン・マクファーレンと名乗っていた。つまり名前と名字の間にあるのが母方の名字ということなのだろう。
「行儀見習いで私の城で預かることになったということに致します。キース、そのように話をつけておけ」
「承知致しました」
「あ、あの。行儀見習いって私何をしたら……」
「ああ、それは口実ですのでゆっくりお過ごしになってください。城からの外出はまだ控えて頂ければと思いますが、城の中でしたらどう過ごしていただいても構いません」
「はい」
「他に何か気になることなどはございますか?」
「はいっ!」
アラン様のその言葉に私は思わず挙手をした。
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