第3話
どこかでノックの音が聞こえる。
まだ眠っていたいのにその音でうっすらと目が覚める。ふかふかのベッドは寝心地がよく、このままもう一度眠りたい。うちのベッド、こんなにふかふかだったかなぁ。まあ、いいや。
そういえば昨日の夢は不思議だったなぁ。バイトから帰る途中に異世界に召喚されて――。
「アイリ様、おはようございます。失礼してもよろしいでしょうか」
「え、あれ?」
聞き覚えのあるようなないような声に慌てて起き上がると、そこは昨日の夜案内されたあの部屋だった。そうだ、あれは夢じゃない。夢じゃないんだ。
私の部屋よりも遙かに広い部屋に、天蓋付きのふかふかベッド、部屋に置かれた家具もどこか高級そうで到底私の部屋になんてあるわけがない。
「アイリ様?」
確認するかのようにもう一度呼ばれて、私は慌ててベッドから下りた。
「あ、はい。大丈夫です」
「失礼致します」
昨日の夜、着替えを持ってきてくれた侍女の――ええっと、たしか、そう。リリーさんが部屋に入ってくる。手に持っているのは今日の着替えだろうか。フリルのついた水色のドレスと――あれは、まさか。
「お召し物をお持ち致しました。お食事が終わりましたらアラン様の元へとお連れするよう申しつけられております」
「わかりました。あ、あのところで昨日私が着ていた服は……」
「あちらはただいま洗濯をしております。本日はこちらでご用意させて頂いたドレスを」
「それ、コルセットですよね」
リリーさんの手の中には海外ドラマなんかでよく見たコルセットがあった。あれでウエストを締めて綺麗なラインを作るんだろうけれど。
「無理です!」
「大丈夫です」
「無理ですって!」
「大丈夫です。ご想像よりは苦しくございません」
そう言ったかと思うとリリーさんは私の身ぐるみを剥がし、そして手早くコルセットを装着した。
リリーさんの言葉通り、それは思ったよりは苦しく、ない。思ったよりは、だけど。
「うう……。リリーさん、ありがとうございます……」
「リリーとお呼びください。アイリ様はアラン様のお客様でございますので」
「は、はあ」
どう見てもリリーさんの方が年上で、私なんかが呼び捨てにしてもいいのだろうかと思うけれど、リリーさんと呼ぶたびに訂正されるので大人しくリリーと呼ぶことにした。
リリーのあとをついてお城の中を歩く。中世なのか近世なのか世界史が苦手な私にはわからないけれど、ここはまるでドラマや映画の中で見る昔のヨーロッパのようだ。
「アイリ様をお連れしました」
「お通しください」
通された部屋は、執務室らしく机の上には書類が山積みになっていた。壁にはたくさんの本があり、見覚えのない文字が並んでいる――はずなのになぜか読めるのはどういうことだろう。そういえば異世界のはずなのに普通に言葉も通じるし、どうなっているか。
「どうかしましたか?」
「あ、えっと、その」
座るように促され、ローテーブルの前のソファーに腰掛けた私に、アラン様は尋ねた。
「言葉とか、文字がわかったりするのはどうしてなのかなって考えてました」
「言葉や文字が、ですか」
「はい。ここが違う世界だとしたら言葉も文字もわからないと思うのですが。あ、もしかして召喚されたことへの特典、とか」
冗談っぽく言ってから、アラン様が真剣な表情で考え込んでいるのを見てしまったと思う。笑い飛ばしてくれたらよかったのに、まさかそんな真剣に考えてくれるなんて。
「あ、あの。なんかすみません」
「ああ、いや。そうですね、特典というわけではないと思いますが、転移魔法により異世界より召喚された際に何かあって理解ができるようになっているのかもしれませんね。もしくは――」
「アラン様?」
「お気になさらないでください。それでですね、本日お呼び立てしたのは、これからのこととこの国のことについて、そして転移魔法のことをお話しするためです」
「っ……はい」
思わず姿勢を正す。そんな私にアラン様は微笑みを浮かべる。その笑顔が本当に綺麗で見とれてしまいそうになる。そんな私の耳にゴホンという咳払いが聞こえた。
その音に視線を向けると、そこには昨日の夜にアラン様へと何かを耳打ちしていた男の人の姿があった。
「キース・ライセットと申します。キースとお呼びください」
「あ、えっと小嶋愛莉です。よろしくお願いします、キースさん」
「キースと。そして存じておりますよ、アイリ様」
ニッコリと口角を上げるけれど、その細められた目は笑っているように見えないのはどうしてだろう。キースは肩まで届くぐらいの銀色の髪の毛をふわっと揺らして頭を下げた。
そんなキースに慌てて立ち上がると頭を下げる。するとフッと笑う声が頭上で聞こえてどうしたのかと顔を上げた。
「アイリ様、キースが困っていますよ」
「え?」
「あなたは私の客人です。そのあなたに頭を下げられてしまえば、キースの立場がないのです。わかってやってください」
「そういうもの、なんですか?」
「そういうものなのです」
わかったような、わからないような。けれど、私がソファーに座り直すと、キースがあからさまにホッとした表情を浮かべたので、そういうものなのだと思うことにする。
そしてキースは私の目の前の机に地図を置いた。地図といっても、あの子どもの頃からよく見ていた日本が中心にあるものではなく、全く見覚えのない大陸の地図だった。
その地図の真ん中にある大きな国、そこに『マクファーレン王国』と書かれていた。
「字がお読めになるとのことですので、もうおわかりかと存じますが、ここが今アイリ様のおられるマクファーレン王国です」
地図を指さしながらキースが説明してくれる。
「マクファーレン王国はローレンス・モルダー・マクファーレン国王の治められるこのアトリア大陸一大きく豊かな国でございます。アラン王子はこの国の第一王子、
「そうなんですか。と、いうことはアラン様は未来の国王様ということですね」
そんな人に助けてもらったのかと恐れ多いやら有り難いやら。あれ? でも、昨日たしかクリス王子は『これで俺の継承権は安泰だ』って言ってたような……。
「それが、そういうわけでもなく……」
キースは歯切れ悪くそう言うと、アラン様の方を見た。アラン様は苦笑いを浮かべると、私の向かいに席へと座る。
「この国を継ぐのは私ではなく、弟のクリスです」
「弟さんが継ぐんですか」
映画やドラマの中では長男が王位や皇位を継いでいたけれど、そういうものではないらしい。まあ国が違えば常識が違うように、世界が違うのだから同じでなければならないわけはないのだけれど。
でも、そんな私の疑問に答えるかのようにアラン様は困ったように笑った。
「私の母は側室でした。対してクリスの母はこの国の王妃です。正当な継承権はクリスにあります」
「あ……」
「そんな顔をしないでください」
淡々とした口調で告げるアラン様に、どうしてか胸が苦しくなる。そんな私の浮かべた表情に、アラン様は申し訳なさそうに首を振った。私は、どうしていいかわからず、ただ小さく頷いた。
「アイリ様はお優しいですね」
「そんなこと!」
「ですが、大丈夫です。これはクリスが生まれたときからわかっていたことですのでお気になさらないでください。――ああ、話がそれてしまいましたね。キース、続きを」
「はい。アイリ様をこの国に召喚したのは、先程お名前が出ました、クリス様。クリス・ラッセル・マクファーレン様のお付きの魔道士でしょう」
「あ、あの。元の世界に戻ることは難しい、と聞いたのですが」
「そうですね。他の世界からこの世界へ召喚することはさして難しくありません。力のある魔道士でしたら可能です。ですが、召喚した人間を元の場所、そして元の時間に戻すとなるとそんなことが可能なのはただ一人のみです」
そういえばそんなことをアラン様も言っていた気がする。じゃあ、そのたった一人というのはいったい誰なのだろう。そんな疑問を持つことをわかっていたのか、キースは話を続けた。
「その方は、我が国の国王ローレンス・モルダー・マクファーレン陛下です。……現時点、では」
「現時点?」
「はい。その能力は、一子相伝。代々、国王となられる方にのみ継承される力なのです。その昔、我が国に
「それじゃあ私も国王様に頼めば戻れるってことですか?」
元の世界に帰る希望が見えた気がした。でも明るい声を上げる私とは対照的に、キースとそしてアラン様の表情は苦いままだった。
「あの……?」
「あ、ああ。いえ、そうですね。そうなのですが」
口ごもるキースの代わりにアラン様が口を開く。
「昨日も言ったかと思いますが、それは非常に難しいのです」
「どういうことですか?」
「……聖女を元の世界に戻すには非常に多くの魔力が必要となります。そのため、その魔法を使うと、王は魔力を失うのです」
「え……?」
「そのようなことを王が受け入れるわけはありません。それは次代の王であるクリスも同様かと」
「そ、そんな! それじゃあ、私は元の世界に帰れないということですか?」
「……申し訳ございません」
「っ……帰れ、ない」
アラン様の言葉が私の胸に突き刺さる。
気が付けば、私の頬を何かが伝い落ちた。それはぽたりぽたりと借りたドレスに小さなシミを作っていく。
そんな私をさらにキースの言葉が追い詰める。
「それだけではございません。今はまだ平時で聖女様を召喚する必要はございませんが、もしも今後万が一何かがあって聖女様の力が必要となった場合――」
「キース!」
「申し訳ございません。差し出がましいことを申し上げました」
強い口調でアラン様がキースを諫めるけれど、私の頭の中ではキースの言葉が反芻されていた。
そうだ、昨日アラン様の弟だというクリスという王子とエルメルとかいう魔導師が言ってたじゃない。この世界に異世界から召喚できるのは一人だけだと。つまり、もしも今聖女の力が必要となれば私がこの世界にいると邪魔になる。そうなれば私は――。
「殺されるかもしれない、ということですか。同時にこの世界に異世界の人間は二人いられないから」
「……そうです」
アラン様の言葉に、私は目の前が真っ暗になるのを感じた。
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