第2話

 妙に静かになっていることに気づいたのは、たっぷり30秒は経ってから。

 と、いうより食べられてないことを不思議に思い、恐る恐る目を開けた。

 すると、そこには何もいなかった。ついさっきまでいた鬼の姿は欠片も見えない。跡形もなく消えてしまっていた。


「……あれ?」


 食べるのをやめてどこかへと行ってしまったのだろうか。私よりも美味しそうな食べ物を見つけてそれを追いかけて行ったのかもしれない。

 とにかく助かったのだ。

 ホッとして、それから私は自分の両手をマジマジと見た。

 先程の光はいったいなんだったのだろう。今見ても特に変わったところのない至っていつも通りの手のひらなのだけれど。ただ普段より少しだけ手のひらが温かい気がする。こんなところに急に放り出されたせいで昂っているのだろうか。


「それにしても不思議だなぁ」


 手のひらを握ったり閉じたりとして見ても特に何かが出てくる様子はない。気のせいだったのか?

 よくわからないけれどまたあの鬼が戻って来ないとも限らない。とにかくここを離れなくちゃ。

 そう思ってなんとか足に力を入れて立ち上がった瞬間、誰かの声が聞こえた。


「誰かそこにいるのか?」

「え?」


 顔を上げた私の目の前には、金髪のイケメンが立っていた。月明かりしかない暗闇でもわかるほど整った顔をしたその人は、私を見つけると驚いたような表情を浮かべた。


「こんなところで何をしている? それにその格好、どこの人間だ?」

「わ、私、よくわからなくて」

「よくわからない? どういうことだ?」


 この人を信頼しても大丈夫なのだろうかという不安はあった。でも、さっきの鬼みたいなのがまた出てきたら私は死んでしまう。この人に助けてもらうしかないんだ。

 唾を飲み込むと、私は必死にさっきまであった出来事を話した。


「――つまり、あなたは召喚されてこの世界に来たということですか?」

「は、はい」


 私の話を聞き終わると、その人はそう尋ねた。なぜか口調が丁寧になっている気がするけれどどういうことだろう。


「……おそらく、あなたを呼び出したのは私の弟です」

「弟、さん」


 と、いうことはもしかしなくてもこの人も王子様!? 弟だというあの王子も今思うと綺麗な顔をしていたけれど、兄弟……。弟はどちらかというと弟系のやんちゃなイケメンだったけれど、お兄さんである目の前の男の人は近くで見ると切れ長の目にスッと通った鼻筋、甘いマスクとはこういうのを言うのだと思わせるような容貌だった。


「遅くなりましたが、私はこの国の第一王子、アラン・グリフィン・マクファーレンと申します。あなたは?」

「あ、私は愛理あいり、小嶋愛理です」

「では、アイリ様」

「さ、様!?」


 あまりにも呼ばれ慣れない継承にあたふたしてしまう。今まではせいぜいさん付けがいいところで様なんて呼ばれたことがない。

 でも、アラン――様は、当たり前のように私をそう呼ぶとまるで天使のような笑みを浮かべた。


「とにかく、ここを離れましょう。この森には弱いとはいえモンスターがいますから」

「モンスター。あ、さっき鬼みたいなのに遭遇したんですが」

「鬼、ですか」

「はい。角が生えてて人型の」

「ああ、それはオーガですね。人を喰うので気をつけてください」


 アラン様は乗ってきた馬に乗ると私の手を取って引き上げた。さっきの王子のように強引ではなく、優しく私に気を遣ってくれているのがわかる。

 同じ兄弟なのにこうも違うなんて。


「どうかしましたか?」

「あ、えっと、弟さん、とは違ってアラン様は優しいなと思いまして」

「そんなことないですよ」


 そう言うアラン様の表情がどこか困っているように見えた。

 それっきりアラン様は黙ってしまったので私は馬に揺られながら考える。オーグというのは私にとって聞き慣れない言葉だ。逆に私が言った鬼という単語がアラン様には伝わらなかった。日本にいれば当たり前に伝わる言葉が伝わらないということは、やはりここは異世界なのだと思わされる。そもそも現代にあんなモンスターみたいなの出てくるわけがない。

 それにしても召喚、召喚かぁ。そういえば異世界に転生する小説やらゲームやらが流行ってるって聞いたことがある。事故で死んだ人が全く違う世界に転生しちゃうっていうやつ。でも別に私は死んだわけじゃないし……。あ、そうか。だから召喚なのか。生きている状態で呼び寄せられたと。しかも聖女と間違われて。なんという迷惑な話だ。


「あの、聞いてもいいですか?」


 私は後ろで手綱を握るアラン様に話しかけた。振り返りかけたけれどあまりの至近距離に慌てて前を向く。そんな私に気づくことなく、アラン様は優しく頷いた。


「なんなりと」

「アラン様の弟さんと一緒にいたフードの人に、私は聖女じゃないと言われたんです。つまり間違って呼ばれたってことですよね? じゃあ、元の世界に戻してもらえますか?」

「それは……」


 アラン様は言葉に詰まる。そんな変なことを言っただろうか。間違えたのだから元に戻して欲しい。至って普通の要望だと思う。それに、あの人も言ってたじゃない。この世界に一度に呼べる異世界の人は一人だけだって。つまり私がいると聖女を呼べないから困るんじゃないの?

 そんな私の疑問に、アラン様が苦笑いをするのがわかった。


「アイリ様は聡いですね。おっしゃる通り、アイリ様がいらっしゃる以上、異世界から他の人を呼ぶことはできません」

「じゃあ――!」


 戻してください! と、続けようと思った私の言葉は、アラン様によって遮られた。

 

「ですが、戻すことも難しいのです」

「難しい?」

「ええ。召喚することはある程度の魔力がある者でしたら可能です。ある程度といってもこの世界で10本の指に入る程度ではありますが。ただ、それは魔力さえあればそれほど難しいことではないのです。ですが戻すとなるとこちらからアイリ様が元いた世界へと扉を開けなければならない。そのようなことができる者は今この世界には一人しかおりません。そしてきっとその方は、アイリ様の申し出を受け入れることはないでしょう」

「そんなっ!」

「お力になれず申し訳ないです。ああ、見えてきました。あれが私の住まいです」


 その言葉に顔を上げると、そこにはまるでおとぎ話の中に出てくるようなお城があった。王子様だと言っていたからそりゃそうなんだけど、そっかお城。

 と、いうかお城ならさっきの弟もいるのでは? あいつに見つかったらまた……。


「安心してください」


 まるで私の心の中を読んだかのようにアラン様は微笑む。


「この城に住んでいるのは私一人です。ああ、使用人や近しいものはいますが、クリス――アイリ様を呼び出した私の弟はこの城にはおりません」

「どういう……」

「それはおいおいご説明します。とにかく今日はもうお休みください。そして明日これからについて話をしましょう」

「わかりました……」


 馬を下りるときもアラン様は優しく手を差し伸べてくれる。でもさっき弟――クリスに落とされたのを思い出して下りるのを躊躇してしまう。アラン様が手を取ってくれるから大丈夫、そう思うのにどうしても怖くて。


「アイリ様?」

「あ、えっと」


 首をかしげるアラン様に一瞬の躊躇いのあと私は苦笑いを浮かべた。


「さっき森に連れて行かれたときに馬から落とすように下ろされたのを思い出してしまって。あ、でも大丈夫です。今下りますから……」


 そうは言うものの身体は正直な者で足はすくみ手は震える。それでも勇気を出してなんとか身を乗り出そうとした私の身体にアラン様が手を伸ばした。


「えっ」


 気づいたときには私の身体はアラン様の腕の中にあった。抱き上げるようにして降ろしてくれたのだと気づいたのは地面に足がついてから。

 ただ至近距離で見てしまったアラン様のあまりに綺麗な顔に思わず息をのむ。そんな私に何を誤解したのかアラン様は心配そうな表情を浮かべた。


「クリスが失礼なことをしてしまい、申し訳ございません。大丈夫ですか? 気分が悪ければ医師を呼びますが」

「あ、え、えっと、大丈夫です! と、いうか降ろしてもらっちゃってすみません! 重くなかったですか!?」

「ふふ、大丈夫ですよ。アイリ様はまるで綿のように軽いのでこれっぽっちも負担になどなりませんよ」

「わ、綿って」


 キラキラと眩しい笑顔でそんなことを言われると恥ずかしくて仕方がない。たまらず顔を背けた私を気にすることなくアラン様は、話し声を聞きつけた兵士の人へと声をかけた。


「客人だ。それからキースを呼べ」

「はっ」

「アイリ様、こちらへどうぞ」


 その口調は私に向けられているものとは違い、冷たく固い。どうしたのか、と考えた末、一つの仮説に思い当たった。身分の差、だろうか。アラン様は王子で目の前の衛兵はおそらくもっと身分が下だろう。日本に住む私たちには存在しなかった――していたとしても、そこまで表面化することのない身分差。

 こんなところでもここが今まで私がいた日本とは違うと感じさせられる。だって、どう見たって兵士の人の方がアラン様よりも年上だ。私と同じぐらいか少し上のアラン様が兵士の人に声をかけているのを見るとまるで学生が事務員さんに命令しているかのような年の差を感じる。けれど、でもそれが当たり前の世界なんだ。


「アイリ様?」

「あ、は、はい」

「そう固くならないでください」


 ふっと優しげに微笑むと、アラン様は私の腰へと腕を回した。そんなこと生まれてこの方されたことがない私はどうしていいかわからなくなる。動けずにいた私をそっとエスコートするようにアラン様が腕に力を入れたのがわかった。

 そのまま連れられるままに私はどこかの部屋へと案内された。


「こちらの部屋はアイリ様のお好きに使って頂いて構いません。私はこれで失礼しますが、侍女にお着替えを持ってこさせますので。ああ、お腹は空いていませんか? 軽食などお持ちしますか?」

「だ、大丈夫です!」

「そうですか。では、ごゆっくりお過ごしください」


 アラン様が言うのと同時にドアがノックされ、青みがかった銀色の髪色をした長身の男性と、メイド服を着た女の人が部屋へと入ってきた。


「アラン様――」

「ああ」

 

 男の人はアラン様に何かを耳打ちし、アラン様も頷く。

 

「では、私たちはこれで」

「…………」


 銀髪の男の人を連れアラン様は部屋を出て行く。残されたメイドさんも私の着替えを手伝いそして用はないか確認して部屋を後にした。

 一人になった私はベッドに倒れるようにして寝転んだ。

 何が何だかわからない。

 これからどうなるのかも、この先どうしたらいいのかもわからない。

 それでも――。


「疲れた……もう、無理」


 人間の本能には逆らえない。

 どんどん重くなるまぶたに耐えきれず、私は意識を手放した。

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