聖女じゃないと言われたので元の世界に帰ります。今更やっぱり聖女だったと言われてもダメです。

望月くらげ

第一章 召喚しておいて聖女じゃないってどういうこと!?

第1話

 平凡な人生を歩んでいると思っていた。

 その日も私は大学の講義が終わったあと、バイト先から一人暮らしをしているマンションへと帰っていた。賄いで食べたぶりの照り焼きは美味しかったし、お客さんにもいい笑顔だねなんてレジをしているときに声をかけてもらって、はたからみてもわかりやすいほどに上機嫌だった。

 あとは帰って楽しみにしていたドラマを見るだけ、そう思っていた。

 ポケットに入れてあった鍵がないな、なんて思いながら鞄の中を探っていた私の足下が何故か崩れ落ちるまでは。


「きゃーっ!!」


 思わず悲鳴を上げ、ギュッと目を閉じる。このまま落ちて死んでしまうのだろうか。もっとしたいことだってあったし、それに彼氏もできないまま死んでしまうなんて悔やんでも悔やみきれない。


 ああ、神様。今度生まれ変わるなら、もっと美人で愛想もよくてワンランク上の女の子に生まれ変わりたいです――!


「……て、あれ?」


 痛く、ない。

 足下が崩れて落ちたはずなのに、痛みどころか浮遊感も感じない。そもそもこの身体の下に感じるふわっとした、まるで高級な絨毯の上にいるような感覚はいったいなんなのだろう?

 そっと目を開けてみる。そこは真っ白な部屋だった。

 ワンルームマンションである私の部屋よりも少し広い、十畳ほどの部屋には銀色の髪をした少年とフードのついたローブを着た人がいた。少年はまるでファンタジー映画の中に出てくる王子様のような格好をしていて、どこかの撮影現場にでも迷い込んだ気分だ。

 と、なるとローブの人は魔法使いとでもいったところだろうか。

 私は頭の中に魔法使いを思い描く。最近見た映画の中に出てきた魔法使いはたしか細い杖を持っていた。けれど、目の前のローブの男は何も持っていない。どうせ夢ならそこまで再現して欲しいところだ。

 そう、これは夢。夢なんだ。

 じゃないと、こんな非現実的なことはありえない。もしくは死後の世界だろうか。痛みを感じることもなく死んでしまったということだろうか。うーん、あり得る。

 この状況をなんとか理解しようと私は必死に考える。


「おい、お前」


 そもそも、だ。こんな偉そうな態度で呼ぶ王子様風の少年なんて、どんなにカッコよくても願い下げだ。

 表情や顔立ちを見るにせいぜい私と同い年か、むしろ年下のようにさえ思える。17歳、いや15歳ぐらいといったところだろう。なのにどうして偉そうな態度をとられなければならないのか。


「無視をするな。それとも聞こえないのか、そこの女」

「お、女って! 私にも名前があるんですけど!?」

「ふん。それで、どうなんだ? エルメル」

「はっ。……鑑定」


 そう唱えたかと思うと、エルメルと呼ばれたフードの男は私に右手の手のひらを向けた。

 そこから白い光が放たれたかと思うと、私の身体へと降り注がれる。


「何を……」

「これで俺の継承権も安泰だ。おい、まだ鑑定は終わらないのか」

「あ、あの……」


 ローブの男はカチカチと歯を鳴らす。震えているのかもしれない。いったいどうしたというのだろう。

 同じように疑問に思ったであろう王子様風の少年はローブの男を睨みつけた。

 その眼光に、一瞬の躊躇いのあとローブの男は口を開いた。


「王子殿下、この方は聖女様ではございません」

「何!? 聖女ではないとはどういうことだ!」

「この少女にはなんの能力もございません。魔力値も……測定不能、と出ております」

「測定不能だと? そんなことがあり得るのか?」


 聖女、とはいったい何なのか。そう問いかけたい気持ちは山々だったけれど、それよりも王子様風の少年が王子殿下と呼ばれていることに私は驚く。

 

 そっか、王子だからこんなに横柄な態度なんだ。

 

 エルメルという男はどう見ても王子よりも年上だ。なのにあんなに偉そうな態度を取っているのだ。今だって王子のあまりの剣幕に縮こまってしまっている。

 そうこうしている間にも王子はエルメルに詰め寄りその襟首を掴み上げた。


「ふざけるな!」

「も、申し訳ございません」

「とにかくさっさと聖女を呼べ。お前の処遇についてはそれからだ」

「それが……」


 言いにくそうにエルメルは私の方を見る。

 え、なに? その目は。

 つられるように王子も私へと視線を向けた。


「この国に、異世界からの住人を呼べるのは一人まででございます」

「どういうことだ?」

「同時に二人以上の異世界の住人を召喚することはできません。聖女様を呼ぶためにはそちらの女性を元の世界へと送り返すか、それとも死んで頂くか。そのどちらかです」

「死っ!?」


 え、私、無理矢理呼ばれたあげく殺されてしまうの? それはさすがに酷すぎない?


 そう思ったのは私だけではないようで、王子も「うーん」と唸る。その反応に、意外とこの人悪い人じゃないのでは、と思った。だって、本当に悪い人なら即座に「殺せ」って言ってそうだし。いや、言われても困るけど。

 とにかく王子は悩んだように宙を見て、それからエルメルに向き直った。


「ちなみに元の世界に戻せるのか?」

「私の力では不可能です」

「そうか。かといって、手にかけるのは……」

「そもそも、本来ですと異世界人を召喚した時点で王様にご報告せねばなりません」

「黙れ」


 どうやらこの王子は王様への報告どころか相談もなしで私を召喚したようだ。聖女を召喚できればその辺はなんとかなると思っていたのかもしれないけれど、いざ召喚してみたら出てきたのがなんの能力も持たないだったと。そりゃ残念でしたというかなんというか。


「ちゃんと相談してから呼ばないからこんなことになるんでしょ」

「なっ……!」

「あ、しまった」

 

 思うだけにしようと思っていたのについ口が滑ってしまう。


「お前、今……!」


 凄い、人がわなわなと震える様を初めて見てしまった。

 

 感情が顔に出やすいのか血が上って赤くなった頬、そして私を睨みつける青い瞳に思わず苦笑いをしてしまう。王子様ってもっと落ち着いていて知的なイメージだったのにこの人はまるで高校生男子のようだ。

 そんな私の呆れたような、それでいて生あたたかい視線に気づいたのか、王子はイラッとした表情をこちらに向けた。

 なんとなく嫌な予感がする。

 そしてそんな予感はよく当たるのだ。


「来い!」

「きゃっ」

「王子!?」


 慌てるエルメルを放置し、王子は私の腕を掴んだままどこかへと歩いて行く。誰かに助けを、と思うのに人気がない。どうやら私が呼び出されたのは地下にある部屋だったようで、石段を上がるとそこは真っ暗な森の中だった。バサバサと何かが飛び立つ音が聞こえる。頬に触れる風が冷たい。

 これはどういう状況……?


「乗れ」

「え?」

「さっさと乗れ」


 乗れと言われましても。

 

 どこからか引っ張ってきた馬を王子は指さすけれど、ごく一般的な日本の家庭に育った私にとって馬なんて子どもの頃動物園のふれあいコーナーでポニーに触ったのが最後だ。こんな大きな馬、触ったこともなければましてや乗ったことなんてあるわけない。


「の、乗れません」

「は?」

「こんなの乗ったことないです」

「チッ」


 え、今舌打ちした!? 王子様なんだよね? 品行方正じゃなくていいの?

 

 そんな私の戸惑いを余所に、王子はひらりと馬にまたがると上から手を差し伸べた。掴め、ということだろうか。

 恐る恐るその手を掴むと、勢いよく引き上げられる。気づくと私の身体は王子の腕の中、そして馬上だった。


「ひっ。な、何これ。すっごく高いんだけど!? こわ! めっちゃ怖い!」

「うるさい。馬が驚くだろ。こいつは繊細なんだ。騒ぐな」

「うっ、ごめんなさい」


 慌てて口をつぐむ。

 私の態度に満足したのか王子はそのまま馬を走らせた。

 それにしてもよくできている夢だ。でも、夢は夢。そろそろ目が覚めてもいい頃じゃないだろうか。この辺で目覚めて「あー、続きが気になるなー」なんて思うのが夢というものだろう。

 ……なのに、この夢は覚めることなく、それどころかまるで感じる空気もすぐそばで手綱を握る王子の体温さえも現実のようにリアルだ。

 いや、現実なんてありえないけどね? あり得てたまるものか。

 そんなことを考えている間にも馬はどんどんと森の奥深くへと走って行く。一体どこに行くつもりなのだろう。

 ようやく馬が止まったのは、ゆうに十分は走った後だった。先程よりも薄気味悪く梟のような鳥の鳴き声と、どこからか獣が唸るような声も聞こえる。

 こんなところで何を……。


「まさかっ」


 思わず振り返った私は、王子が真剣な表情をしているのに気づいた。

 ああ、駄目だ。これは。


「降りろ」

「やっ」


 降ろす、というよりは落としたに近いのだけれど、王子は私の身体を乱暴に押しのける。体勢を崩した私はそのまま地面に落下した。


「痛いっ!」

「ふん。殺すのは忍びないと思ったが、気が変わった。俺は手を出さない。だが、ここなら気づいたときにはあいつらの腹の中だ」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

「じゃあな。恨むなら自分の不運さを恨むんだな」

「あっ」


 吐き捨てるように言うと王子は乗ってきた馬の手綱を引き走り去ってしまう。

 いやいや、待って? ちょっと待って。

 夢にしてはいやにリアルなこの状況。それにさっき落ちたときすっごく痛かったんだけど、夢って痛みを感じないんじゃなかったの? まさか現実? いや、まさか。

 ってか、さっきまで殺すのをためらってたのに何あの変わり身の早さ。キレやすい男子高校生ってこれだから嫌だ。

 ああ、でも。

 辺りを見回して私はため息を吐く。

 こんな状況……。


「信じたくない」


 頭が痛くなってきそうなこの状況に、私は思わず首を振った。だって、これが現実だとして今からどうすればいいの? と、いうかあの王子。ここならあいつらの腹の中だと言ってたよね? あいつらって何。まさかと思うけどさっきから遠くで聞こえるあの唸り声の主を指してるんじゃあ。

 背筋がゾッと寒くなる。とにかく動かなくては。ここに突っ立っていても状況は何も変わらない。


「王子が戻っていった方向に行けばいいかな」


 王子が住んでいるといえばお城だから、ここを戻っていけばきっとお城に着くはずだ。さっきの地下室がお城だったら、の話だけれど。

 とにかく歩こう。そう思うのに足がすくんで上手く動けない。森の中を歩くなんて高校の時の宿泊訓練以来だし、それも真っ昼間だ。こんな視界の悪い夜の森を歩いた経験なんてあるわけがない。

 それでもなんとか前に進もうと歩き出した私は脛に焼けるような痛みを感じた。


「痛っ」


 何かに引っかけたのか血が滲んでいる。さっき落とされたときにぶつけたあちこちも痛くて仕方がない。


「なんで、私がこんな目にあわなきゃいけないの!」


 勝手に呼び出して間違いでしたって森の中に放っていくなんてありえない!? だいたいバイトから帰って22時からのドラマを見ようと楽しみにしてたのにどうしてこんなところに来なきゃいけないのよ!


「ふざけるなー!」


 思わず叫んだ私の声に反応したのか、何かが木から飛び立つ音がした。

 そして――。


「グルルルル……」

「え、な、なに?」

 

 突然聞こえてきた唸り声に足を止める。辺りを見回した私は、何かと目が合った。

 それは鬼だった。子どもの頃、よく絵本で見たような鬼。私の身長よりも遙かに大きな鬼がまるで餌を見つけたようにニタリと笑ってこちらを見ていた。

 あ、これまずい。絶対にまずい。

 本能が危険だと叫んでいる。このままここにいれば食べられてしまう。逃げなければ。そう思うのに足に力が入らない。その場にへたり込んでしまう。


「あっ、あぁっ」


 叫び声すら出ず、掠れたような声だけが口から漏れる。こんなところでこんなのに食べられて死んでしまうなんて。まだなんにも楽しいことなんてしていない。

 これからもっと勉強をしてそれから恋もして楽しいキャンパスライフを送るんだと思っていたのに。こんな意味のわからない世界に無理矢理連れてこられて、そんなの、そんなの……。


「いやああああ!!!」


 今にも飛びかかってきそうな鬼に思わず私は両手を突き出して叫んだ。

 その瞬間、辺りに金色の光が溢れ、眩しさに目を閉じた。

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