第2話 地獄の底で力に目覚める
気が付けば、俺は竪穴(たてあな)の底で気を失っていた。
長い落下だったから、本来は生きているはずはないんだが、体の所々が痛むだけで特に支障はない。
「痛てて……」
と、起き上がって頭上を見上げてみると、そこには中心から突き破られたような感じの壊れた蜘蛛の巣が見えた。
で、周囲には蜘蛛の糸が散乱している。
落ちている糸を拾ってみると、粘着力は少ないが弾力性と伸縮性に富んでいる感じだった。
恐らく、これがクッションとなったのだろう。
「スキル:鑑定」
・ジャイアントスパイダーの糸
弾力性と伸縮性に富んでおり、魔法耐性も高い。
その頑丈性から魔術師のローブに加工されることが多いが、火には弱い。
その文言を見た瞬間、俺は咄嗟に周囲を確認した。
ゴツゴツとした岩肌の巨大な竪穴だった。
上は天井が確認できないほどに高く、穴の底には2か所の横穴も見える。
良し、とりあえず生物の姿は確認できないな。
と、言うのもジャイアントスパイダーと言えばそのレベルは25相当。
冒険者でいうとCランク、つまりはベテラン上位冒険者相当の実力がないと単独では討伐できない。
Dランクと、Eランクとの中間程度の俺ではどうこうできるはずがないのだ。
そうして、周囲の確認を終えて、巨大蜘蛛の姿が見えないことに俺はほっと安堵の溜息をついた。
と、その時、ゾクリと背中に嫌な汗が走った。
右方の横穴からこちらに向けて歩いてきたのは、ナイフを持った真っ黒な人間。
いや、そのままの意味で影が実体化したモノだった。
「スキル:鑑定」
・ナイトウォーカー:レベル45
真祖の吸血鬼の影。
不可視(インヴィジブル)の魔法を常時展開しており、その役割は隠密行動と攻撃力特化タイプである。
一撃必殺の攻撃力を誇っているが、所詮は影であり簡単な攻撃で消滅する。
そのことから使い捨ての自爆兵器との異名を持つ。
この個体は敵が半径5メートル以内に入った場合、攻撃されるようにプログラムされている。
その姿を視認するには、鑑定や範囲聖魔法等の特殊な方法によらなければならず、死角からのい一撃必殺に、一流冒険者を震え上がらせる魔物である。
レベル45だと!?
そんなものはBランク冒険者でもどうにもできない領域じゃないか。
それに真祖の吸血鬼ってどういうことだ!? おとぎ話の世界じゃないんだぞ!?
ヒタヒタと、ほんの微かな足音と共にナイトウォーカーがこちらに歩を進めてくる。
恐怖と共に明確な死が、俺に近づいてくる。
そして、あまりの事態に固まっている俺に、鑑定結果の≪5メートル≫という文言が俺の脳裏に掠めた。
5メートル?
5メートルってどれくらいの距離なんだ?
ともかく、ナイトウォーカーと俺との間にはもうそれほどの距離は無い。
逃げないと。
歯ぎしりしながらそう思うが、体が言うことを聞いてくれない。
動け、動け、足よ動け。
だが、足がすくんで動かない。
あるいは、体が動かないのはナイトウォーカーの精神汚染系のスキルか魔法なのだろうか?
ともかく、体が動かない。
そうしてナイトウォーカーは懐から短剣を取り出し、こちらに向けて振り下ろしてきた。
と、同時に足をもつれさせた俺は転倒した。
サクっ。
小気味良い音と共に、額が割れた。
ドクドクと、血が溢れて視界はすぐに真っ赤になる。
攻撃を受けて死ななかったのは、偶然転倒したから。
理由はただ、それだけに過ぎない。
もしも、転倒していなかったら裂かれていたのは額ではなく首筋の頸動脈だっただろう。
あるいは、もう少しだけでも額への切り込みが深ければ、それでも終わりだった。
死。
その一文字を、目の前にある現実と認識した瞬間、心臓がドクンとなった。
「う、う、う、うわあああああああああああああ!」
火事場の馬鹿力という奴なのだろうか。
生存本能が恐怖を押さえ付け、金縛りが解けた。
立ち上がると同時に、俺は半狂乱となってそのまま踵を返して走り始めた。
と、同時に背中に、更なる斬撃の感触。
過剰分泌されたアドレナリンの影響か、痛みは感じない。
ただ、背中の服が血で濡れるのをひしひしと感じる。
異様に冷たい、その不気味な感触を背に受けながら、俺は振り返ることもなく走り続ける。
そうして、ナイトウォーカーが出てきた横穴とは逆の方向への穴へと向けて、ただただひたすらに俺は走り去ったのだった。
「ハァ……ハァ……っ!」
何だ、何だ。
今のは何だ?
ここは初心者のダンジョンだろう? どうしてあんなシロモノがこんなところに存在しているんだ?
稀に未調査領域で難易度が上がることはあると聞いたことはあるが、いくら何でもこんな極端な例は聞いたことがない。
ここは一体、何なんだ?
そんなことを考えることができる程度には、どうやら俺の頭は冷静さを取り戻しているようだ。
さっきは足がすくんで動けない状況だったしな。
とにもかくにも、自分の状態を確認しないとダメだ。
と、俺は懐から一枚の小さな板を取り出した。
「ステータスオープン」
職業村人:レベル15(レベル限界)
HP125/221
MP0/0
状態異常:出血
ステータスプレートをマジマジと確認して、俺は舌打ちと共に吐き捨てた。
「最悪に近い。やっぱり出血を貰ってる」
そもそもが、さっきの攻撃でHPが半分以上持っていかれているし、あのナイフには出血付与の魔法効果もあるようだ。
止血はしている。
が、HP現象を抑えることはできても、大本の状態異常は勝手には消えない。
放置しておけばジリジリと体力とHPを削られて、48時間……いや、24時間以内にはお陀仏だろう。
「ともかく、外の出口を探さないと」
そのまま俺は周囲を警戒しながら、横穴を進んでいく。
チラリと後ろを見るが、元の場所に戻るつもりは毛頭無い。
ナイトウォーカーみたいな化け物が出てくる場所なんて、いくら金貨を積まれても帰る気はしないのは当たり前のことだろう。
と、そこで横穴の出口が見えた。
若干の安堵感と共に、横穴から出ると、そこは巨大な鍾乳洞となっていた。
半径10キロ以上はあるだろうか。
軽く窪地を見下ろすような光景になっていて、俺はすぐさまに前言を撤回した。
つまりは、さっきまでいた竪穴に今すぐ戻りたいと絶句した。
と、いうのも、鍾乳洞内には無秩序に魔が溢れていたのだ。
おびただしい数の巨大な蜘蛛がそこかしこを走り回り、5メートルほどの大きさのカエルがそれらを追い掛け回して捕食している。
見渡す限りの巨大な蟲、蟲、蟲。
宙に飛ぶのはワイバーンや羽の生えた無数の大ムカデ。
ポツリポツリと島のように、魔物がほとんど存在しない、200メートルから500メートル半径の静かな場所も見える。
そして、それらの場所の中心には、必ず巨大に過ぎる何かの姿があった。
その姿は空想の中、おとぎ話や神話で語られる怪物を連想させる。
もう、見た感じからしてヤバいソレ等に向けて俺はスキルを行使する。
「スキル:鑑定」
・タイラント:レベル78
詳細鑑定不能
・ファフニール:レベル98
詳細鑑定不能
・ブラックデーモン:レベル78
詳細鑑定不能
・ウェールズの龍:レベル135
詳細鑑定不能
迷わずに俺は道を走って引き返し、しばらく走ってから嘔吐した。
何だ。何だコレは?
モンスターハウスってレベルじゃねーぞ。
そうして、俺は落ちてきた竪穴に向かって力なく歩みを進めたのだった。
さて、元の竪穴に戻ってきた。
ナイトウォーカーについては戻ってきてからも何度か遭遇した。
が、鑑定結果のとおりに近づかなければ攻撃されないことは確認している。
と、いうことで、ナイトウォーカーは当面の脅威ではない。
とはいえ、出血の状態異常の関係もあるし、早く脱出の方法を考えなければならないわけだ。
とりあえず、落ちてきた竪穴を上がっていけば、外に出れることは間違いないだろう。
けれど、ジャイアントスパイダーが存在しているらしいことと、更に不味いことに竪穴自体にナイトウォーカーが闊歩しているのだ。
連中、地面を歩いている時は真っ黒な人間の姿なんだが、竪穴を上下移動する時は1メートル半径くらいの、文字通りの丸い影になって移動しているんだよな。
竪穴の半径は10メートルちょっとくらいだ。
相当な速度な上に複数個体で面を潰すような感じで移動していて、更に攻撃半径は5メートル。
まるで、壁を昇っての脱出はさせないという風な硬い意思さえ感じるような……。
ともかく、俺がロッククライミングしている最中に「こんにちは」してしまえば、その時点でジ・エンドだ。
だけど、ナイトウォーカーの数自体はそれほど多くない。
かれこれ3時間くらい観察しているけれど、その総数は40も50もいる感じではない。
それに巡回警備員よろしく、同じ巡回路を移動しているようだ。
これについては、奴らのマスターである真祖の吸血鬼がそういう風にプログラミングしたということだろう。
まあ、ロッククライミングについては一旦保留だ。
元の高度の場所に戻るまで体力が保つとも思えないし、そもそものナイトウォーカーの対策ができない。
で、連中は入れ代わり立ち代わり、二つある方の横穴の一つ、つまりは俺がまだ確認していない横穴から出入りしているわけだ。
「ともかく、あっちの穴に出口があるか確認しないと」
もう片方の横穴については既に選択肢からは完全に消えている。
普通に考えて、あんなところを突っ切るなんて不可能だからな。
と、そうして俺は、音と気配を殺してもう一つの方の横穴へ向けて歩を進めた。
横穴は、なだらかに上方へと向かう坂道となっていった。
S字型にクネクネとうねっている感じで、道幅が相当に広いことが何より有難かった。
何度もナイトウォーカーと出くわしたが、その度に壁に張り付けば、どうにかこうにかやり過ごすことができたからな。
そうして歩くこと20分程度、延々と坂をゆっくりゆっくり上がる感じだった。
ひょっとすると、元にいた初心者の洞窟までこの道は続いているのかもしれない。
そんなことを俺は思い始めたんだ。
ま、当然、そんなに甘くはなかったわけだが。
と、言うのも、道は途中で途切れていて、竪穴へとつながっていたんだよな。
試しに穴の出口から頭を出してみると、高度はおおよそ100メートルってところだろうか。
ともかく、そこで行き止まりのどん詰まりだった。
そこで、俺は状況を打開するための手持ちのカードを確認を始める。
・鋼の剣
攻撃力+15
・冒険者の軽鎧
防御力+10
・冒険者の額当て
防御力+2
・冒険者の籠手
防御力+3
・最上級ポーション
希少な薬品から作られた最上級のポーション。回復量(大)
・スキル:鑑定
最上級ポーションの使用回数は俺のHP換算で恐らく15回程度。
それで、俺の最強にして最後の切り札は村人が所持する唯一にして有用なスキルである≪食いしばり≫だ。
元々、暁の銀翼では俺は半年ほど前から完全に戦力外通告だった。
他のメンバーがそれでも俺の様子を見てくれたのは、このスキルのおかげというのも大きいだろう。
即死級の攻撃を受けてもHPが1の状態で踏みとどまり、おおよそ10秒程度の無敵時間を得ることができる。
俺は足を引っ張るだけだと自覚していたので、強敵相手の時は俺が特攻して、その間にみんなで魔物をボコボコにって戦法が刺さっていた時期もある。
とはいえ、10秒程度の足止めなので実力差が広がり過ぎた今となってはやっぱり役立たずになったんだが。
そもそも、足止めすらできなくなってたし。
が、今この瞬間、この状況であれば勝機を掴みうる切り札となる。
と、いうのも鑑定によるナイトウォーカーの説明文には「攻撃特化」と書いてあった。
最初から差し違える覚悟で10秒間の無敵時間を有効利用すれば、倒しうると俺は結論をつけたんだ。
つまりは、竪穴を巡回しているナイトウォーカーの駆逐はできる可能性があるということだな。
HP1の状態で相手に勝利しポーションで回復。
これを繰り返していけばナイトウォーカーを駆逐する可能性はある。
が、問題は他にもある。
天井すら見えないような高さのロッククライミングで俺の体力が持つかということと、あとはジャイアントスパイダーだな。
問題は山積みだが、とにかく一個一個片付けていかないと始まらない。
「ステータスオープン」
職業村人:レベル15(レベル限界)
HP115/221
MP0/0
状態異常:出血
やっぱり、体力がジリジリと削られている。
皮肉なことだが、この状況で、ケントから貰ったポーションが生命線になってしまったようだな。
そうして俺はギュっと拳を握りしめて、ゆっくりと頷いたのだった。
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