第七話 君達は面食らっている。

 裕太が朝、何気なくスマホを開くと、メッセンジャーアプリに通知が入っていた。


『SHOW!:今日の放課後、プロジェクトのことでちょっと集まりたいんだ。手塚どうせヒマだろ?』


 ちなみに、『SHOW!』というのはかけるのユーザ名である。


『SHOW!:あ、あと』

『SHOW!:俺、瀬戸さんと連絡先交換してないんだよね』

『SHOW!:もし知ってたらさ、このこと伝えておいてくんね?』

「……三田くん、僕が知らなかったらどうする気だったんだ」


 憂鬱な朝だ。魂の底からそう思う裕太であった。


  七、〈君達は面食らっている。〉


 バスに揺られながら、裕太は黙々と指を動かす。


『はじめてのメッセージがこれっていうのはすごく不本意だけど、』

『三田くん(君をバサバサプロジェクトに誘った人ね)が、僕らを集めて何か話したいことがあるらしい』

『今度は中庭集合だそうだよ』


 少しの間考える。ここで送る文面は特に重要だと、裕太の勘が告げていた。


『昨日はありがとう。気持ちが吹っ切れた気がするよ。これからも、お互い頑張ろう』


「──よしできた。これで嫌味なく変な空気感もなく、さらっと昨日のことを流せるぞ!」


 裕太は小声で叫び、ガッツポーズをした。反省は生かしていく。

「っと、一限数学だった。……最近まずいんだよね。今日も地獄だ」


 ひそかに教科書を開きながらつぶやく。このバスに乗る学生は、参考書は読めども教科書などは読んでいない。集団の圧力というものは、強大である。


  □■□■□■□


 学校指定の通学鞄の中で、メッセージを受信した携帯がむーむーと鳴いた。

 通知に表示された名前を見て、愛花はぎょっとした。そこにあったのは『手塚先輩』の文字。見ないわけにもいかないのでえ、仕方なく開くことにした。


「な、なぁんだ、集合の連絡かぁ。そういえば私、三田先輩と連絡先交換してなかったもんね」


 裕太からの連絡ということから、真っ先に昨日のことを想起した愛花だが、文中に『昨日』というワードがなかったことに安堵する。

 だが次の瞬間に、その安堵はいずこかへ飛び去ることになる。その先のメッセージの内容は、紛れもなく昨日の話だ。


『昨日はありがとう。気持ちが吹っ切れた気がするよ。これからも、お互い頑張ろう』


「う~ん?」


 愛花には文章の意味が理解できなかった。完全に不意を突かれた形である。

 愛花は、昨日についての話となれば、絶対に「あれはどういう意味か?」と問われることを覚悟していた。昨日の会話のどこに吹っ切れる要素があったのだろうか。いやそれよりも、愛花の言った“あのセリフ”について一切触れられていないのは、つまりそういうことなのだろうか。

 愛花には、裕太の言わんとしていることはなにひとつ、伝わっていなかった。


  □■□■□■□


 さて、ここ一週間一切の家庭学習をしていなかった裕太の授業風景は、惨憺さんたんたる有様である。


「(えっつまりどういうことぉ⁉)」


 教師の言うことを一言一句逃さず書き止め、板書はもちろん完全コピー。しかし家に帰ってから復習していないので知識は穴だらけ。宿題も学校でやっているという状況だ。

 つまり、進行の速い進学校の授業では、置いてきぼりをくらう。


「手塚、答えてみろ。あーいや、お前には簡単すぎるか?」


 もちろん教師に悪気はない。一週間前に行ったテストは満点だったし、こと数学に関しては、昨年度の裕太の成績は学年トップクラス。教師陣に一目置かれていたのだ。


 期待という名の重圧が裕太を脳天から圧し潰す。これだけ言われて「すみませんわかりません」などと言うわけにもいかないし、言ったところで信じてなどもらえない。まさに八方塞がりだ。答えるしかない。でも、わからない。


 そんなときである。


「(第二象限って答えるだけでしょ。寝不足?)」


 背後から救済の声が飛んできた。


「第二象限です」

「そう、第二象限だ。ずいぶんまごついていたが、居眠りしてたんじゃないだろうな?もう少し歯ごたえのある授業のほうがいいか?」

「い、いえ……」


 もう十分嚙み切れませんなどと、口が裂けても言えない。


「次回からはもう少しテンポよくいくぞ」


 教師は淡々と死刑宣告をした。

 同時に教室中からブーイングの嵐が起こる。裕太は、悪いことをしてしまったと心の中で土下座したのだった。


  * * *


 休み時間に入ると、最近の裕太は決まって突っ伏したような格好になりながら次の授業の教科書を読む。

普通、忙しい来年度の受験生たちは裕太になど目もくれない。だが、今日は何かが違った。


「貴方、最近どうしたの?」


 教科書が引き抜かれる。裕太が顔を上げると、そこに立っていたのは後ろの席の少女であった。


「天宮さんには関係ないでしょ」


 天宮聖あまみやひじり。一年次に体育と数学以外の全ての科目で学年首位をかっさらったミス・アカデミックである。相当の対抗心を抱かれているが、聖が犯人であろう『下駄箱にメモ付き参考書が入っている事件』もあり、裕太は彼女のキャラが掴めずにいる。

 まず、そもそもあまり交流がない。


「ここ、前々回の範囲じゃない。数学じゃ負けなしだったのに。」

「どうでもいいだろ、最近忙しいんだよ」


 ひょいっと教科書を奪い返し、鞄にしまう。


「どうでもいいことないでしょう。あんなあからさまにできなくなったら誰だって気になるわよ」

「じゃあ気にしないでくれ。どうせもう済んだし」


 聖にプロジェクトについて話しても意味がない。ややこしいことになるだけだ。

「もう授業始まるよ。席に戻ったら?」

 渋々といった感じだが、会話を終わらせることに成功した。


  * * *


 さて、例の空き教室に集められた裕太と愛花であるが、「来い」と言われただけで詳しい内容は一切知らされていない。

「今日集まってもらったわけは、ものすっごく深刻なことなんだ」


 ごくり。教室が緊張に支配される。


「集まる場所が、ないんだ。この教室も無理言って借りてる」


 一同、沈黙。


「そこで、なんだが……」


  * * *


「三田くん、ここは、どこかな?」

「手塚ん家だな」


 裕太は頭を抱えてしまう。

 ここは裕太の叔父が所有、および居住している一軒家。つまりは裕太の自宅である。その応接室に、裕太と翔、愛花までもが立っている。


「なんで、この流れでうちなのかな?」

「学校の教室は借りられない。けど、俺ん家はアパートだから、狭っ苦しい」

「うちもあんまり人を上げられる感じじゃないので……」


 チラッ。


 裕太の家はとても広い。二人で住むには十分過ぎるほどだ。掃除の手間はあるが、おかげで狭さによるストレスは全くない。


「そうですか、そうなりますよね普通はね。じゃあ、今度からうちにたむろすることになるのかな?」

「まあ、そうなるな」

「それしかないですもんね」


 確かに、ここ以上に最適な場所を裕太は知らない。諦めて従うしかなさそうだ。


 ところで、と翔が口を開く。


「肝心の今日の議題なんだが、根本的なところ言っていいか?……俺たちさ、そもそもどうやったら浮くのかわかってなくね?」


 本当に、根本的なところである。実際に裕太は鳥を眺め続け、翔は何やら東奔西走し、愛花は飛行機や鳥についての本を読み漁っていたが、誰ひとりとして具体的な翼の案を出せていない。

 裕太はふと、頭に浮かんだ考えを口にしてみた。


「みんなのわかったことを言ってみたらどうだろう。別々のことをやってたんだから、全員分合わせたら何かいい考えが浮かぶかも」


 しかしそれぞれの調査結果は、


「ヒトが羽ばたけるほど軽くて丈夫な素材はあんまりないし、何より高い」

「鳥や飛行機は、風を利用して飛んでいます。鳥が飛ぶのには翼にたくさん付いている羽根が重要で、あれが付いているから羽ばたいて飛べるんだそうです」

「ずっと見てたけど、鳥を浮かせるには十分でも、人間を浮かせられるような大風は普通吹かない」


 というもので、そこから導き出せるのは『非常に現実的でない』ということ。

 応接室に流れる空気は一瞬にして重苦しいものになり、少し室温が下がったようにすら感じる。わかっていたこととはいえ、結果厳しい現実を突きつけてしまった裕太の気は重い。


「まあ、その、さ。とにかく考えてみようよ。僕たちが気づいてない、なにか重要なピースが見つかるかもしれないしさ」


 などと、柄にもないことを言ってしまうくらいには。

 だが、この発言が彼らの運命を変えた。ここにいるのは、結果的に転ぶことがない男である。


「そうだよな。たまにはイイこと言うじゃねぇか、手塚!そうさ、想像できるなら、きっと実現する方法はある!今日はとことん考えるぞォ!とりあえずコンビニでなんか食うもの買ってこないとな」


 まさか、と思ったが、どうせそのまさかなのだろうから裕太は突っ込まないことにした。今日は金曜日。翔が考えていることなど手に取るようにわかる。


「その必要はないよ。とりあえず軽く食べられるもの作ってくるから、待ってて」

「お、風呂吹き大根とか作ってくれたりする?お前、料理得意だろ?」

「あのねぇ……。何時間いるつもりなの?夜が明けるよ」


 また、規格外な料理を提案されたものだ。


「適当に何か作ってくるよ」


 軽食を作成すべく、裕太は応接室を後にした。



 ちなみにこの会議は、少し形を変えて夜通し続くことになるのだが、それは次回語るとしよう。


  □■□■□■□


「行ったか?」

「行きましたね」

『よし』


 彼らの実家の倍はある豪邸。佇まいはごく普通の一軒家だが、大きさが段違いである。そんな屋敷に上がり込み、生まれて初めての応接間にいる愛花と翔にとってここは、異世界同然の空間だ。


「いろいろ気にならないか?」

「気になります」

 先輩と後輩が連れ立って探検を始めるのは、道理である。

 などと心の中で言い訳をしながら、好奇心旺盛なふたりは応接室をうろうろし始めた。


「なんかかっこいい電話置いてあるぞ。子機みたいだ」

 光沢のある木製のテーブルの上に、シックなデザインの電話が置かれている。翔は手に取ってみたい衝動に駆られたが、壊してしまっては事だ。奥歯をかみしめて絶えた。


「当たり前のようにあったから気づかなかったけど、このラグ、ふっさふさです!」

 それもそのはず。ラグに限らずこの部屋の家具は皆、裕太がこの家にきた三年前にはすでにあったものだが、高級品であるためか、一切と言っていいほどの傷みがない。そればかりかアンティークな味もあり、ある種の迫力すら感じられる。


 戸棚も、立派すぎるほどに成長し、まめに手入れされていることがうかがえる観葉植物も、カーテンも、天井の隅のシミまでもが、この空間の重々しさを演出していた。


「……静かにしていよう」


 どちらからともなくうろちょろするのをやめ、ソファにちょこんと腰掛けるのだった。


  □■□■□■□


 料理をこしらえて戻ってきた裕太はその様子に、危うくせっかく作った料理をだめにするところだった。





 これほどの高価な家具、大きな家を持つ裕太の叔父。職業や経歴、なんなら年齢も気になるところだ。しかし残念ながら、本編で明かされる予定はない。

 裕太の叔父は、それはもう壮絶な経歴を辿ってきた。もしかしたらスピンオフを書く、かもしれない。

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