第六話 君は遥かなる空を見つめている。※

 少女は言った。鎖を解きたいと。自分は、何か勘違いをしていないだろうか?

 少女は確かに言ったのだ。「バサバサプロジェクトに」と。自分はひとりで舞っているだけではないか?

 本当に、”それっぽいもの”で終わらせることが彼女のためなのか?

「そもそもこれ、それっぽいものすら出来上がる気がしないよ……」

 薄れゆく意識の中で裕太は決心した。

 ──なんとかして、この馬鹿げた思いつきを形にしてやろう。

 そうして裕太は、深い眠りの底へと沈んでいった。


  六、〈君は遥かなる空を見つめている。〉


 愛花からしてみれば、裕太はただの変な人である。翔の友人であることは確かだが、それ以上のには、サンタクロースに悪印象を持っていて恐らく信じていないということくらいしかわからない。

 例の計画バサバサプロジェクトに参加しているらしい彼は、ずいぶんと熱心に活動をし、バードウオッチングなどというよくわからないことをしているようだが、その行動の裏にどのような意図があるのかは不明だ。


 裕太が当たり前に感じていた”背後の愛花”だが、きちんとした経緯がある。

 初日、ケーキを買いに家を出た。すると、そこに奇行をする男がいたのだ。

「え、なにやってるのあの人」

 あまりに濃い印象なのでよく会っている気になっているが、愛花は顔すらおぼろげにしか思い出せないほど裕太と対面する機会はあまりなかったのだ。

 特に気になりもしなかったが、通り道なので近づいてゆく。よく見ると、そこにいたのは裕太であった。

「なにやってるんですか、こんなところで?」

 思わず声をかけてしまう。

「なにって、バードウオッチングだよ」

 裕太は素っ気なく答えた。視線の先には鴨。時折パンの耳を投げながら、じっと、鴨を見つめている。まさしく社会に、人生に疲れ果てたおじさんのそれである。

「なんでそんないじけてるみたいなことしてるんですか」

 言葉を額面通りに受け取って答えた裕太に苛立ちながら、言い方を変えて再度質問。

「ついでに、それはバードウオッチングとはいいません。思いっきり関わっているじゃないですか」

 誰がどう見ても、これはバードウオッチングではない。

「じゃあ、僕は鳥を見ているんだ!」

 しばしの沈黙の後、裕太がパンの耳を口に放り込みながら、キリッと効果音がなりそうなほどのキメ顔で返す。

 愛花沈黙。もちろん裕太の行動に驚いたことも事実だが、そこにあったノートに見入っていた。ノートには鴨の動きの特徴や、羽ばたくような動作について、餌を取るときの行動などが細かく記録されていた。

 愛花はそっとその場を離れることにした。

「(あれ、おやつ兼用だったんだ……!)」

 ひそかに驚きながら。


 それから、愛花は読書をしに訪れた『高台』で、裕太を見つける。以来、鳥を観察する裕太を観察するのが愛花の日課になっていた。


 放課後の高台は今日も平和だ。奥の広大な空き地では動物たちの営みが繰り広げられている。それを熱心に観察すr裕太と、後ろの席でそれを眺める自分。すでに日常になったこの光景に、愛花は疑問など覚えない。

 なぜ、裕太は鳥を観察し続けるのか。むろん、『バサバサプロジェクト』のためである。それはいい。しかし、愛花は重要なことを見逃していた。裕太の足元に置かれたノートは、真っ白なのである。

「どうして、人には翼がないんだろうね」

 愛花がいると信じ切ってか、あるいは誰でもよかったのか。裕太は振り返りもせず、ぽつりと言葉を漏らした。


 小さいころから、不思議なほどに空に憧れてきた。そしてなぜか、自分は飛ぶことができるような気がしていた。

 翼も、魔法もないのに。

 あるとき──だいぶ幼い頃だ──誰かに聞かされた話を今でも憶えている。「サンタクロースは、トナカイが引く空飛ぶそりに乗って、子供たちのもとへやってくるのだ」と。

 それ以来愛花の中では、空を飛びたいという夢、サンタクロースに会いたいという願望、自分ならば空を飛べそうな気がするという根拠のない自信がぐるぐると回っている。


「きっとそれは、大地に縛られているからなんだと思います。その鎖を解きたいから、私は『バサバサプロジェクト』に参加したんです」

 心の底から湧き上がってくる言葉だった。

 思ったこともないこと。先ほどまで考えていたことは嘘であったかのような、迷いのない意志。

 答える間、じっと裕太の後ろ姿を見つめていたため、はっとした顔で振り返った裕太と目が合ってしまう。

「っ……!」

 思わず声が漏れる。大きく見開かれた裕太の瞳は、愛花の奥、魂までも見透かしているように思えて、裸でも見られてかのような羞恥をおぼえる。

「えっと、あの、何か進展あったら教えてくださいねっ!」

 顔が熱くなっているのを感じながら、愛花は逃げ出した。



 ここまでが、愛花と裕太の運命を大きく変えた一週間の話である。


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