第三話 君は巻き込まれている。

 裕太は、思わずケンカ友達の顔を覗き込まずにはいられなかった。

 それはなぜか。彼の言葉は、冗談としか思えないものだったからである。

「どうした、手塚?はい、イエス、喜んで。どれだ?」

「それ、選択肢じゃないけどね。それより、正気?ホンマもんの鳥人間になりたいって」

 裕太が本気で心配そうな目を向けると、翔は肩をすくめた。

「まさか、本当に鳥と同化したいなんて思ってないぞ。俺は、はばたきたいんだ!鳥人間コンテストとか、あれバサバサしてないじゃん、鳥じゃないじゃん。俺は、ちゃんと鳥みたいにはばたける『翼』を作りたい」

 岩兎は、へぇ、と感心せざるを得ない。語る翔の目は、しっかりと岩兎を見据えていた。とても嘘や冗談ではない。科学者や技術者はこうやって新しいものを生み出すのだろう、岩兎にはなんとなくそう思えた。

「そっか。手伝うよ。まあ暇つぶし程度にはなるだろうし」

 そう、安請け合いした。本当になんとなく、深く考えずに。彼ならば本当にやってしまうかもしれない。そう、夢の枯れ果てた裕太にも思わせるほど、翔の瞳は真っ直ぐに夢を見つめていた。


  三、〈君は巻き込まれている。〉


 さて、やろうということにはなったが、二人とも何をどうすればいいか見当がつかない。なので、どうすれば飛ぶのか、何を使うのかなどをそれぞれ調べることになった。それが、入学式から二日後の昼休みのことである。


 その日の放課後、いつものとおりにバス停のベンチに座っていた裕太は、あることを思い出していた。

「そういえば、彼女のこと、どうしよう」

 こんな時期なのにサンタクロースを待っているという謎の少女。彼女とは今、非常にまずい空気なのである。


 バスで叫んでいた裕太を見るあの目。形容するならば、さながら路上で痴漢をはたらいている男を見る通行人の目だ。とても好意的とは言えない。


 別に、あの少女に嫌われたところで裕太にとっては痛くも痒くもない。お互いどこの誰とも知らない間柄なのだから。だが、ここで彼女のことを掘り下げなければ──

「あの子を掘っていかないと、新しい、鮮やかな世界は拝めないだろうな…」

 そうつぶやく裕太がふと、不意にわずかに暗くなった視界を上にずらすと、そこには、たった今考えていた少女が立っていた。

「や、やあ!今日も、サンタさんを待っている、の…?」

 裕太は限りなく動揺に呑み込まれ、うわずった声で話しかける。ぴしっ、と顔の横に挙げられた右手は、小刻みに震えている。実はこの男、無関心には慣れていても、嫌われることには一切耐性がないのだ。

「先輩。初めて会ったときから、初対面なのに馴れ馴れし…距離感が近いなと思ってはいました。けど、まさかそんな、えっちなことを考えているオオカミさんだとは思いませんでした!」

 今ここに、野性味溢れるオオカミが誕生した。そして同時に、雌のオオカミも尻尾を晒してしまった。

「君も十分距離が近かったような、って目が死んでる……。待って待って!誤解だから!今のは単に、君のことをもっとよく知りたいな、っていう──あ、待って!」

 少女はすっと後退り、きびすを返すそのまま走り去っていった。

 流石の裕太でも、今追いかけると火に油を注ぐだけだということはわかった。ので、立ち尽くして見送ることしかできなかった。



 商店街で買い食いでもしようかと考えて、バス停から徒歩での帰宅をしていた翔は、背後から猛突進してきた例のサンタクロース待ちの少女からタックルを食らい、よろめいた。

「…ん?──うわっ、とと。どうしたんだ、そんなに慌てて?」

 翔の背中に強烈な頭突きを見舞った少女を、彼は知っていた。朝、裕太と離れるためにバス停で時間調整するとき、きまって彼女はそこにいるのだ。声をかける理由もないので無視しているが。

「あっちのバス停で変な先輩に絡まれて、卑猥なことするぞって言われて、それで──」

「ああもうわかったから。きっとあれだろ?死んだ目をしてて、なにげに身長高いやつだよな。あいつは見かけと言動の割に無害だ。取って食われたりはしないから安心しろ」

 走ってきた道を指さしてわなわなしているその少女の背中を、翔は優しく撫でた。


「ところで、その不思議ちゃん度合を見込んで相談したい。俺に協力してくれないか?」

 落ち着いてきた少女に、翔は思い切ってそう切り出した。当然少女は、なんのことやらさっぱりといった様子。翔はなにも説明していないのだから、わかるはずもない。しかしこの少女、不思議ちゃんという単語を見事にスルーしている。

「あぁええと、俺さ、飛びたいんだ。鳥みたいに、バサバサァって。こう、翼作って、羽ばたくんだ!だけどひとりじゃ絶対できないから、今仲間を集めてるんだが、どうだ、一緒に羽ばたかないか?」

 普通の人間ならば鼻で笑っていただろうこの言葉に、サンタクロースを待つ少女は、

「なんかいいですね、そういうの。私でよければお手伝いしますよ!」

 と二つ返事で引き受けた。

 実を言うとこの承諾の裏には、空からならばサンタクロースを見つけやすいだろうというユーモア溢れる、それでいてある意味現実的な思惑があるのだが、そもそも出来上がらなければそれもかなわない、ということに彼女は気づいていない。



 視点は裕太にもどる。

 さて困った。乾ききった日常に現れたオアシスが、遥か遠い存在になってしまった。今のところ、打つ手なしだ。

 ともあれ、落ち込んでばかりもいられない。翔に対して手伝うと言った以上、何かしら成果を上げなければ格好がつかない。

「とりあえず、鳥類について調べてみるか。あいつらの飛ぶメカニズムがわかれば、何かしら役立つだろうし」

 調べもの、といえばスマホの出番だ。だが、ネットで情報収集をするのも考えものだ。

「世の中にはホントみたいなウソが溢れてる。そんなものがもっともらしく書かれているのがネットだ。その点、まったくの専門外を調べるときには出版された本は信頼性の高い」

 ということで、裕太は図書館に行くことにした。


 翌日、裕太は図書館に来ていた。もちろん、人が羽ばたくための材料集めをしに、である。

 異世界転生ものが増えてきたライトノベルの棚を鼻で笑いながら、目的の科学エリアに向かう。ここはテーブル付きの椅子も近く、調べものにはもってこいだ。が、大半の席は小、中学生が占拠していた。そして皆、目線の先にあるのはラノベ。

「あんなののどこがいいんだか。……うん?」

 空いている席を探してさまよう裕太の視線は、出会う可能性が非常に低い人物をロックオンした。

「彼女、今の時間はいつもバス停にいなかったっけ?それにあの本、『はじめての空気力学』?あんなのがサンタにつながるっていうのか?いや落ち着け。彼女にもいろいろあるんだ。きっとなにか他の事情が」


 あった。週明けの月曜日。翔に、わざわざ申請して押さえたらしい会議室へ呼び出された裕太は、衝撃の事実を目の当たりにした。

「この〈バサバサプロジェクト〉に参加してくれることになった、瀬戸せと愛花まなかさんだ。裕太はこの子と知り合いなんだろ?」

 そう紹介する翔の隣に固まっているのは、一昨日図書館で目撃した、サンタクロースに会うことを夢見る少女その人だった。

 裕太はこの事態を喜ばしく思う半面、愛花を気の毒にも思っていた。

「ああ、三田君のバカな思いつきの犠牲者が増えてしまった…」

 この計画にどんな落としどころをつけるか。裕太の苦闘の日々が始まった。






 今回もやってきた、ちなみにコーナー。実はこの愛花加入の裏には、本人も知らないいきさつがある。

 愛花は幼少期に、空に憧れていた時期がある。その当時、愛花の将来の夢は『パイロット』だった。幼いなりに、空を翔ることに憧れと、魅力を感じていた。しかし両親はそれを許さなかった。「女の子なんだから、そんなことはできない、似合わない」と。

 それ以来、空への思いに蓋をして生きてきた愛花。もはやそんなことを思っていたなどということは、忘れ去ってしまっていた。

 愛花が見知らぬ先輩の言葉にうなずいたのは、こういった過去にも影響されてのことだった。

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