32.距離感
「では、早速お話させていただきますね。昔のわたくしはと言いますと……今では考えられないかもしれませんが、パルメイラスの都のギルド協会に努める、しがない気弱な受付嬢にすぎなかったのでございます……」
どう見ても演技ではあるものの、すっかりしおらしくなった様子のジェシカがそう切り出す。虚勢を挟むのが彼女らしいっちゃらしいんだが、それをやってしまうとスムーズに話せないだろうしな。
「冒険者からの理不尽すぎる様々なクレーム……協会での互いの足を引っ張ろうとする陰湿な人間関係……そういったものを脆弱な心と体で受け止めていくうち、わたくしの中に何か異質なものが芽生え始めていったのです……」
「異質なものか……それってつまり、仕事でのストレスで二重人格みたいなものが生まれたってことか?」
「……いえ、もう一つの人格というよりも、本来の自分に突然目覚めたかのような……そんな不思議な感覚でございました……」
「なるほど……」
俺はそのとき、ジェシカの目に怪しげな光が宿るのを見逃さなかった。本来備わっていた黒々とした気質に気が付いたってところか……。
「こんなどす黒い感情を迂闊に外へ出してはいけない……そう思えば思うほどに、本来の自分を解放したいという気持ちは高まっていき、ついには……暴走してしまうのです……」
「……」
ジェシカの歌うかのように気持ちを込めた語りに対し、俺は思わずうなずいていた。それくらいの説得力を感じたんだ。実際、抑え込もう、閉じ込めようとするほど欲求は次第に高まってしまうものではある。その言葉自体、自分が欲しがっている対象を強く連想してしまうからだ。
「クレームをつけてきた冒険者に暴言を吐いただけでなく暴行を働いてしまい、さらに足を舐めさせたことでクビになり、このままではいけない……そう思ったわたくしは、ほとばしる欲求を違う意味で発散させるために幻影術を学び始めました。幻の中なら、虚構の中ならばわたくしの望みが果たされる上、現実への影響もないだろうとそう踏んだからでございます……」
「……」
その試みが上手くいかなかったのは、今の彼女を見ればわかる。それにしても、ジェシカが俺たちに対してしきりに足を舐めさせたがってたのは、多分そのときに味わった快感を忘れられないからなんだろうな。
「しかし……幻の中に浸ることで現実への影響がないと思ったのは大きな間違いでした。幻影術を使いこなし、リアルに近付けば近付くほど、わたくしは現実との絶望的なまでの差を感じて、ますます欲求が深くなっていったのでございます……」
なるほど……。確か、本来幻影術っていうのはすぐに幻とわかる程度のものしか作れないはずなんだが、彼女の場合は高い才能に加えて欲求も強いのか、より現実に近い幻術が使えるわけだ。それが却って現実への思いを強くしちゃったんだろう。現実を遠ざけようとして幻影術を始めたのに逆の結果になるとは、なんとも皮肉なものだ……。
「わたくしはやがて、冒険者を志すようになりました。血沸き肉躍るような体験をすることで、現実を補給したかったのです……」
「しかし、上手くいかなかったってわけか」
「……はい、仰る通りでございます。冒険者としてわたくしは嫌というほど挫折を味わいました。現実は幻影術のようには上手くいかないものでございまして、それからはますます幻影術にのぼせるようになって……そこで気が付いたのです。現実に幻影術を小賢しく混ぜるようにして、ごまかしに使えばいいのではないか……と。万能な化粧のように、棘のある心を柔らかく見せ、お金も胸の大きさも水増しして、仲間が沢山いるように見せかけ……少しずつ本当の現実を手に入れられるようになっていったのでございます……」
ジェシカがいかにも懐かしそうに遠い目をしてみせたことで、俺たちはようやく彼女の芯の部分に一歩近付けたような気がしたが、まだダメだ。
病根に迫ったのは確かだが、ここから先は気が遠くなるほど高い壁があるように思う。この壁を越えないと本当の意味で病を治すことはできない。彼女は幻影術によって本当に現実を手に入れたと勘違いしてしまっているが、そうじゃないっていうのをわからせてやらないといけない……。
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