9.砕かれしもの
「拳聖を目指すために、俺はその人に弟子入りを志願したんだ。何度も断られたけど、しつこく食い下がって。そしたら、そんなに言うならまずはわしの付き人をやりなさいって言われて」
「付き人? 弟子のさらに一段階下みたいなものかな?」
「うん。でも俺、めっちゃ嬉しくて。これで拳聖に少しでも近付けたらって、修練だけじゃなくて師匠の身の回りの世話を毎日やったんだ。そしたら……」
なんだ……? 都合の悪いことでも思い出してるのか、少女の顔色が見る見る悪くなっていく。
「ある日、逃げられちゃって……」
「「ありゃ……」」
俺とアイシャの声がまた被った。
「格闘家なんてやっぱりこんなもんなのかって頭が一瞬真っ白になったけど、一通だけ置手紙があって、読んだら色んな意味で納得できたんだ」
「納得?」
「うん。拳聖なんて崇められてるが格闘家なんぞこんなものじゃよって。お前さんは真面目すぎる。本当の意味で強くなりたいなら遊び心も学びなさいってさ……」
「遊び心、か……」
ただの逃げ口上でもあるんだろうが、なんとなくわかるような気はする。
伝説の賢者が遺した言葉の中に、天才とバカは紙一重であり、叡智と遊戯の二つの要素を上手く複合させることで究極の術が生まれる、とあった。回復術も遊びの中で思わぬ発見が生まれることがあるし、ジャンルの違う武闘家の世界であっても同じようなものなのかもしれない。
「それからの俺は、無駄に練習に励むだけじゃなくて遊び心も加えてみたんだけど、そしたら今までは浮かばなかったアイディアがどんどん生まれてきたんだ」
「視野が広がったってことか。いい傾向だな」
ひたすら闇雲にやるより考える猶予もあったほうがいいに決まってる。ただ、これは膨大な練習をしているからこそであって、終始いい加減だと意味がない。洗練された心身に遊び心というエッセンスを加えてこそ、伝説の賢者が言うように究極へと近付けるってわけだ。
「そのアイディアを生かすためにはもっと周りのことも見なきゃいけないと思って、それで冒険者になってギルドに入ることで、師匠の言ってた遊び心っていうのがなんなのかわかり始めて……遂に念願の拳聖に……」
感慨深そうに話す盗賊の少女。拳聖って、ほんの一瞬に最大限の力を出すために最低でも一日一万回宙を殴るらしいし、俺には想像もできない世界だ。
「まさに開眼ってわけだ。なあ、アイシャ」
「ですねっ。ラフェルさんみたいに」
「お、俺はまだまだ――」
「――はいはい!」
「……」
アイシャに上手く手綱を握られてる感じだな。気をつけないと……ん、拳聖の子がまた浮かない顔になってる。
「俺が拳聖になったことを歓迎してくれるギルドメンバーは何人かいたけど、古参の中には快く思わない連中もいて……」
「嫉妬か」
「それもあるだろうけど、多分俺が頑張りすぎたことで、自分たちが怠け者みたいに見られるから疎ましく感じたんじゃないかなって……」
「なるほど、風通しの悪い腐った組織にはありがちなパターンだ。アイシャ、俺たちのギルドはそうならないようにしないとな?」
「ですねえ……」
「連中は俺と仲がいいメンバーに嫌がらせとか始めたからギルドはどんどん険悪なムードになっていって、俺はとうとう我慢できなくなって文句を言ったらそこで一対一の勝負を申し込まれた。古参たちは知り合いの拳聖をギルドに復帰させるつもりで、同じ職業は二人もいらないから勝負に負けたら出ていってもらうって」
「明らかに罠だな」
「もちろんそれは俺も薄々気が付いてたけど、その頃は自分の腕に絶対的な自信を持ってたし、思い知らせてやりたいって気持ちもあって勝負を受けたんだ」
「……」
拳聖の少女の表情が一層強くなる。いよいよここから話の最も重要な部分に入っていく感じか。
「それぞれの仲間が見守る中、人気のない森の中で俺ともう一人の拳聖との決闘が始まった。相手も拳聖なだけあって強かったけど、俺は徐々に押していって……遂にダウンを奪ったんだ……」
「「おおっ」」
俺とアイシャの被った歓声とは裏腹に、拳聖の表情は厳しいものだった。つまり、ここから厳しい展開が待ってるってことか。
「これで俺はギルドに残れる……そう思った矢先、相手の仲間がケチをつけてきた。何か細工をしたんだろうって」
「おいおい、言いがかりも甚だしいな……」
「そんなバカな言い分通じませんよっ」
「俺もそう思って抗議したけど、実際に細工されてたんだ。俺には心身の能力を上げる補助の魔法がこっそりかけられてた。それも、ギルドで一番の親友から……」
「……買収されてたのか……」
「うん。このためだけに俺と仲良くしてたみたい。このことがあとで大きな問題になって、俺は親友を脅してズルをしたってことになってギルドを追放された。一方で古参は決闘に関わったからって罰金を取られるだけだった……」
「酷いな」
「ですね……」
「俺、悔しくて悔しくて……それでギルドに殴り込みをかけたんだ。汚い真似をした古参の連中にお礼参りをしてやろうって。気が付いたときには右の拳が二倍くらい腫れ上がって血まみれになってて、悲鳴とどよめきの中で元親友やあいつらが足元で倒れてて……俺は槍を突き出した憲兵たちに囲まれてた……」
「「……」」
俺たちは何も言えなかった。彼女はまだ若いのに壮絶な体験をしていたんだな……。
「そのあと、俺は一カ月の禁固刑と去勢として女性化の刑を受けることになったんだ。心は男だから辛かったけど、俺も散々暴れたんだからしょうがないって割り切ったよ。けど……右の拳はそうじゃなかった。傷も完治したのに、殴ろうとするとどうしてか物凄い痛みを感じて……ち、畜生……」
ぽとぽとと拳聖の少女の瞳から涙がこぼれ落ちる。今までの経験も辛かっただろうが、拳聖として利き手が使えないというのはあまりにも残酷すぎる。盗賊まで堕ちてしまったのもわかる気がするな……。
「任せろ、俺がお前の拳を治してみせる……」
「……え?」
唖然とした顔を向けてきた拳聖に対して、俺は固い拳を思わせるように強い表情でうなずいてみせた。
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