62話 若返り


「……」


 ちらっと懐中時計を覗き込むと、ギルドで全員揃っての夕食まであと2時間くらいだった。まだ余裕があるから大丈夫だと思うけど、それまでにやることが色々あるから急がないと。


 というわけで、僕は貼り紙に書かれていた依頼人の住所へと向かう。そこは古城ダンジョンと同じ都の郊外だけど逆方向ということもあって、【混合】+《跳躍・大》+《裁縫・大》+【擦り抜け】+【鬼眼】+【維持】で一直線に向かいつつ、人や動物に当たりそうになったら縫うような動きで回避していた。


「うはっ……!」


 本当に爽快感があって、屋根の上を跳んでるときとはまた別次元の気持ちよさで癖になりそうだった。たまに間違って人の家の中に入っちゃうことがあるけど、すぐ通り抜けるのでそこはご愛敬みたいなものかな。


 何より【鬼眼】が便利すぎて、住所への道がぼんやりと輝いて見えるからそこを辿るだけでいいので、僕はあっという間に目的地へと到着することができた。


 同じ郊外でもここまで違うんだって思えるほど、こっちの方向は建物と建物の間隔が離れてて緑も豊かで、依頼人の家はそうした場所にひっそりと佇んでいた。


 牛の鼻輪タイプのノッカーを何度か鳴らして待つけど、しばらく経っても誰も出てこない。留守なのかな?


「ごめんくださーい……!」


「――おや、お客さんかねぇ……?」


 ノックしつつ声を張り上げてみたらようやく玄関の扉が開いて、出てきたのは80歳くらいの皺だらけのお婆さんだった。依頼人の母親か祖母かな……?


「あの、不老草の件で来たんですけど……」


「え……? 耳が遠いんで、もうちょっと近くに寄っておくれ……?」


「不老草の件で来ましたっ!」


「お、おおぉっ……! 遂に……遂にあたいの念願がかなったんだねぇっ……!」


「え、えぇ……?」


 お婆さんが小躍りしてる。この人が依頼人だったのか。何故だか勝手に30、40代の人を想像してしまってた……。


「それで、現物はどこなんだいっ?」


「これなんですけど……」


「こ、これが不老草っ……! 植物にそこそこ詳しいあたいでも、見た目も香りも完全に未知の領域だよ……。まさか、本当に存在するなんてねぇ。ありがたや、ありがたや……。早速煎じてみるとしようかねえっ!」


「それじゃ、僕はこれで――」


「――ちょいとお待ちっ! 依頼の証明用のサインを忘れてるよっ」


「あっ……」


 ついうっかりってやつだね。


「それにお菓子を出してあげるから中にお入りっ」


「えっ……そんなにしてもらってもいいんですか……?」


「何言ってんだい、そんなの当然のことだろっ」


「……」


 意外だった。依頼をこなしたといっても、年齢を重ねた人に優しくしてもらえることなんて今までほとんどなくて、むしろ毛嫌いされてばかりだったから。離婚して僕を意地悪な伯母さんに預けた身勝手な両親もそうだったし……。まあそれについてはもう終わったことだし、しょうがないくらいには思ってるんだけどね。


「さ、お入りっ」


「は、はい、それじゃお言葉に甘えて……」


 まだ時間はあるし大丈夫なはず……ってことで、僕はお婆さんの家にお邪魔させてもらうことにした。まず、依頼をこなしたことを証明するための本人のサインが入った紙を貰う。これをギルドに届ければ報酬として金貨を150枚も貰えるとあって、油断するとニヤニヤしてしまいそうだった。


「――さあ、焼き立てのチョコクッキー、たんとお食べ」


「……お、美味しい……」


 口の中に入れた途端、ほどよい甘みと苦みが混ざり合って、びっくりするくらいサクサクとした食感も相俟って絶妙なハーモニーを奏で始めた。こんなに小さいクッキーなのに食べた瞬間世界を感じてしまうほどだ。


 これって、やっぱりを持ってそうだよね。それも最高のやつ……。気になるけどさすがにもう【鬼眼】スキルは効果が切れてるし、無暗やたらに他人のステータスを覗くものじゃないと思ってるから、【鑑定士】スキルをお婆さんに使うつもりはないんだ。


「いよいよだよおぉ、もうすぐ念願の不老草の煎じ薬が出来上がるよぉぉ……。このままじゃ熱くて飲めやしないから氷で冷やして、と……」


「あ……」


 お婆さんのしわがれつつも弾んだ声が耳に届いて、僕はなんとも複雑な気持ちになる。もし不老草の効果が大したことなかったら、凄くがっかりされちゃうんじゃないか、嫌われちゃうんじゃないか……そんな暗い感情が脳裏をよぎってしまうんだ。


「ゴクッゴクッ……プハアー、まっ、不味いねぇ。でも、もう一杯っ……!」


「……」


 うわ、確かにグラスに注がれた煎じ薬は全体的に青っぽくて確かに不味そう。それでもお婆さんは腰に手を当てて一気に飲んでしまった。


「ふぅ……なんだか力が漲ってくるような気がするよおぉ……」


「う、うわっ……」


 思わず声が出るのも仕方ない話で、お婆さんは信じられないくらい見る見る若返っていって、誰が見ても別人だと思えるほどの変わり様だった。これって、40代前半っていわれてもおかしくないんじゃ……? これが不老草の若返りの効果なのか。それについてはよく知らなかったけど、これだけ凄いなら獲得を目指す人が沢山いるのもわかるし、あの髑髏の多さもうなずけるよね……。


「あぁぁっ……まさかこれほどとはねぇ。ちょっと皺が消えて肌に張りと艶が戻ればいいくらいに考えてたけど、最高だわっ……!」


「あはは……」


 お婆さん……いや、おばさんが手鏡を見て涙ぐんでる。声まで若返ってるし本当に見違えたなあ。


「さあ、次はあんたの番だよっ」


「えっ……? で、でも、もうサインは貰ったし、お菓子も……」


「盗みたいんだろ? あたいの技術をっ」


「っ……!?」


 ど、どういうこと? もしかしてこのおばさん、鑑定スキルのようなものを持ってる……? で、でもステータスについては【偽装】でちょくちょく弄ってて本物のものは隠してるし、受動的パッシブ効果だから切れることもなくいつ見られても大丈夫なはず……。


「そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫だよ。あたいのスキルは【占い】といって、人が望むものや経験してきたことがなんとなくわかっちまうんだよ」


「そ、そうだったんですね……でも、料理の技術とか削除されたら困るんじゃ――? あっ……!」


 し、しまった……僕はおばさんに考えを見透かされたことでよっぽど動揺してたのか、つい口を滑らせちゃった……。


「あらまあ……盗むんじゃなくて削除なのかい。そんなことができるなんて凄いねぇ。いいよ、どんどん削除しちゃって! でも、どうやるんだい?」


「で、でも――」


「――大丈夫だって。ちょっとお待ち……んーっと、確かこの辺に……あった! ほら、これを見てご覧っ」


「あ……」


 おばさんがごそごそと棚の引き出しを漁り始めたかと思うと、ニヤリと笑いながら分厚いメモ帳の中身を見せつけてきた。うわ、料理のレシピがこれでもかとびっしり書かれてる。


「料理の技術が削除されたところで、すぐに復活できる自信はあるよ。今のあたいには若さもあるしねっ」


「な、なるほどっ……」


 腰に手を当てて得意げにウィンクしてくるおばさんがとても魅力的に思えた。僕ってもしかしてマザコンなのかな……?


「じゃ、じゃあ、僕のために何か手料理をしてもらえれば……」


「それだけでいいのかい!? 凄い才能だねえっ!」


 本当に驚いてるってのもあるのかもしれないけど、おばさんの言い方は全然嫌味がなくて人を傷つけない術を知ってる感じだった。良い歳の取り方をした人なんだってよくわかる。


「ありゃっ……!?」


 料理をし始めたおばさんの手つきが明らかにおかしくなった。これは僕が削除したからなんだ。なんか罪悪感があるけど、おばさんは目をキラキラさせて好奇心に満ちた目で僕を見つめてくるので、照れ臭さのほうが上回るほどだった……って、そうだ。用事があるんだった……! 懐中時計を見ると夕食まであと30分しかない。急がなきゃ……。


「そ、それじゃっ、僕そろそろこの辺で帰ります。ありがとうございました――あっ……」


 僕は帰ろうとして背中を向けた際、おばさんに抱き付かれるのがわかった。


「今日はとても楽しかったよ。また来てくれるかい……?」


「……あ、えっと、機会があれば……」


「あんたの名前はなんていうんだい? あたいはリゼリアっていうんだ」


「僕はカインっていいます」


「そうかい、いい名前だねえ。親の愛情を受けずに育った子は、あたいにはよくわかるんだよ。けど、あんたはそれを許せるくらい心の優しい子だ。だから、辛くなったときは心の片隅でいいからあたいのこと、思い出しておくれ、カイン……」


「……はい……リゼリアさん……」


 僕は涙を堪えつつ急いでその場から走り去った。なんだか小さな子供の頃に戻ったようでとても懐かしい、それでいて心地良い気分に浸ることができたけど、やっぱり過去じゃなくて未来のほうを向いて生きていきたいから……。

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