第4話

 則麗と別れてから暫く考え込んでしまった。しかし、いくら考えてもなんとも仕様が無かった。取り敢えず宿をとって休む事にした。


 今回の香港訪問目的の友人はこの時代まだ中国にいた。友人は山東省出身のビジネスマンで、仕事を通じて知り合ったが、結構、馬があってプライベートで良く飲む様になった友人だ。


 横道に入ってウロウロと宿を探すのは怖かったので、メイン・ストリートの彌敦道(ネイサン・ロード)沿いのビルの6階にある「百美酒店」と言う怪しげなホテルに宿をとった。


 ミラマーやアンバッサダーと言ったちょっと高そうなホテルは手持ちが心細かったので避けた。


 百美酒店の受付のおばさんはどうやら英語を話している様だが、始めのうちは何を言っているのかさっぱり分からなかった。訛りが強いせいもあるが、受付横のソファーに座っている7~8人の若い女性を指して何か言っていたからだ。


 直ぐに状況を理解した。おばさんは「やりて婆」よろしく、どの女にするか聞いていたのだ。


 私は、女は要らない。泊まる部屋が欲しいと言うと、分かった、で、どの女かと言うので、女は要らない一人で寝る部屋が欲しいとハッキリと言うと、おばさんは困った顔になった。


 どうやら百美酒店はホテルと言っても売春宿で、私は極めて場違いな客であったようだ。何度か押し問答を繰り返した結果、おばさんはようやく私の要求を理解したようで、首を振りながら、「じゃあ部屋だけなら一泊5香港ドル(約300円)だよ」と言った。


 おばさんから、私の事を聞いた女の子達はクスクス笑いながら、私に興味深そうな視線を投げかけて来ていた。


 状況が分からないので、取り敢えず二泊分の支払いをして、女の子達が座っているソファーの奥に続いている、薄暗い廊下の一番奥の部屋に落ち着いた。


 途中いくつかドアが閉まっている部屋が有ったが、空いている部屋を垣間見たら、この部屋より大分狭そうであった。


 聞き間違いだと思っていたが、おばさんはこの部屋の事を VIPルームと言っていた。確かに他の部屋よりは広そうだ。カビが生えてあちこち黒くなっているシャワーとトイレの小部屋は付いているが、一体どこのVIPがこんな部屋に泊まるんだ!


 ベッドカバーはなにやら煮染めた様な感じだし、シーツは花柄だが使い古されて全体的に色が抜け、布はペラペラと薄くなっている。


 はてさて、「VIP ルーム」に取り敢えず落ち着いたものの、この状況が全く理解出来ない。酒でも飲まなきゃやってられないので、おばさんの所にビールがあったので買って部屋で飲み始めた。


 受付に行った時、おばさんはニンマリして愛想が良かった。ほらヤッパリ女を世話して欲しいんだろと言わんばかりの顔だった。今の私はそれどころではない。ビールかなんかないのかって聞いたら、ニンマリ顔が急に仏頂面になって「あるよ」ってつまらなそうだった。ソファーに座っている「女」、いや「女の子」達も期待に顔を明るくしていた。


 ビールが少し効いてきて幾分気持ちが落ち着いて来た。どうやらこれは夢では無い事は確かだ。夢にしてはあまりにも全てが生々しくて現実的だ。とは言っても、死んだ妻の則子の事を思慕するあまりの幻覚とか幻視の類いかなと一瞬考えたりもした。


 部屋に入って洗面所の鏡で自分の顔を見た。明らかに若い自分であった。1964年と言う事は丁度20歳だ。ただ、極めて不思議な事に頭の中は76才のままで、記憶も20歳で止まっている訳ではなく、76歳までの記憶がそのままだ。一方で、身に付けている服や腕時計、パスポート、財布などはそのままだった。自分の肉体だげが1964年に戻ってしまうなんて。


そうなると、やはりこれは夢なのでは無いだろうか。だいたいこんな事なんてあり得ない。いかにも不自然だ。自分自身は、いわゆる超常現象といった類は信じないタチだが、今起こって入る事は説明しようがない。


 水の出があまり良くないシャワーに入り、横になっていたら眠ってしまったらしい……。















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